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薫葉豊輝の電脳日記
 

        2004年


2月

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2月29日(日)大安・「闇のループの因果って何だろう?」
 ループの中から出られず、出る術も見出せないまま今日も明日も。そんな子供達を持つ両親等から、何か術はないか相談され、考える。10代には10代の世界があって、地域のギャル系のグループ。そんな物が存在している。その中にいないとギャルとしては生きられないらしく、出るために必要な勇気も、それ以前に、現時点では、その気も起こらないらしい。
 ループの中で、異性は、先輩のお古が後輩へと回ってきて、同じタイプの恋愛が繰り返される、堂堂巡り。
 ワルと呼ばれる連中ばかりが固まるため、学校へ通ってる者も、前向きに物を考える者は一人も存在しない。だから、新しい視点もなく、勉強することの甘美にも気付けず、あらゆるきっかけを棒に振ってしまって、数年後にはヤンママ?となって、借金、離婚……転落?
 「一国は一人によって起こり、一人によって滅ぶ」の論理と同じで、これが学生なら、一人の転校生によってクラスはよくも悪くも変わる(札付き+格好いいモテ系の不良が転校してくればクラスの不良化は進むだろうし、逆に頭がよくて、モテ系の秀才が転校してくれば、男子は皆、自分も負けじと勉強に励んでクラス全体の偏差値は一気に鰻のぼりもありそう。単純だけど)
 まず、そのループに体制を変えてくれる、超新星が入り込むとか、何か変えてくれる人が現れればいいだろうに、難しいでしょうが。
 もう、ループから出る。その決断をするか、リーダーのビジョンを変える何かがないと難しい。としか言えない。きっかけさえあればいいけど。だけど、他の世界の人間とつきあわないから、グループ外の人の考えることと触れるきっかけも、その人達の持つ豊かさも知ることなく時間を浪費するという不幸……一般人にしても、そのループの中にまで入り込んで、子供達を説得する、そんな勇気のある人もいないでしょうし……。

 構造改革の手段はないだろうか。だけど、難しいですよ。安楽椅子の上で推理しても、なかなか。
 でも、別のジャンルの味。それを知れば、皆の意識は一気にそっちへ向く。そんな論理もあるでしょうが。今まで野球しかしなかった野球の国の住人が、サッカーと読書を知れば、どっとそういう目新しい物に流れるでしょうし。変える「X」(エックス)って何だろう。
 でも、もし脱出したとしても、それまでの友は無くすでしょうし、八方塞となって(同じ地域に住む限り)古いワル仲間等から嫌がらせを受ける。そんな論理もある。
 組織から嫌われたら、生きていけないというのは、学校もサークルも劇団も宗教もネットも、総じて社会全体共々同じで、嫌われ者は孤立したまま別の基軸へ移るきっかけを得れぬまま、自分の狭い見識の中だけで臨機応変に動く、この社会とはかみ合わぬまま過ごさざるをえない現実。
 だけど、今、そのループを出ないと、もっと悪い問題が生じてくるのは必衰。挙げ句の果てには……待っているのは地獄……それに早く気付かないと。
 出て孤立して生きていくのが「恐い」という需要がある分、それを何とかする法律。それもいつかは整備されるでしょうし。過去を捨てるために孤立した人は、実際、脱ループ後、次は社会から吹いてくる強風に吹き飛ばされてしまうかもしれない。
 だけど、そういう社会から見捨てられた人達に手を差し伸べてくれる。そんなルールも、同じように失敗をし、教訓を自分の体で覚えてきた、そんな「煩悩即菩薩」の境地に到れた先輩達が、整備してくれる日もきっと来るでしょうし。
 ループの切れ目。それを造るトリックを思案中。

 別角度から、ふと思ったこと。
 人間、派手な格好にせよ、強く見せる言動にせよ、理論武装する人にせよ、実は凄く何か守ろうとしている物があるのかもしれない。
 実は自分の心が傷つきやすいから、それに土足で踏み込んでこようとする者から、守る砦を、服装や言動にて覆っている?人一倍、派手な格好をして。
 だけど個性が濃いと、社会全体からは冷たい目で見られ、その挙げ句に差別扱い、厳しい注意の連打責め。そんな論理もあるはず。
 と言うことは、裏返せば、服装や武装(強気な態度)をすっとばかして、その本人の枯れた心の根へと目を向けて、何か、いいところを認めてやるとか、枯れた根に水(に代わる言葉)を与えることで、動かなかった良心の歯車も動き出すかもしれない。癒しの水の泉を探すのが早道かも?
 ループを内側から崩壊させるか、自分だけ脱する術を思案するか。方法は色々とあるでしょうが、誰か「ループを自己崩壊させる公式」を考える方はいないものか?
 「脱ワル方程式」を完成させる数学者の出現なんて、江戸時代のエレキテルみたくに常識の範疇を超えているのだろうか。でも、そういう領域も、デジタル化できるような気もするけど。
 もし、その公式が、アカシックレコードの何頁とかに書かれているなら、その頁へ飛ぶ術(公式)を見つけたいけど。
 頁飛ばし=早送り=同時間にて動く範囲の宇宙域の粒子速度をUPさせる?=それは無理か……人間の小ささ、宇宙の大きさ。心の大きさってどれぐらい?
 だけど「必要は発明の母」という言葉が存在する限り百年後には、小学生でも九九を口にする如く、その公式をそらんじているかもしれないし。
「そんな公式、小学生レベルだろ」と百年後の子供たちは言ってのけるかも?
 と言うことは、今覚えている僕等の学問って、すっごいなぁと感動モードに。
 やはり勉強って、覚えた数よりも、自分で考えた数が大切と言うことか。
 ・「殺しはエレキテル」 芦辺拓読了。書評荘UP!


 
2月28日(土)仏滅・月が最遠(月―地球間404km)・木星面で衛星と衛星の影が通過
 仕事帰りに
劇団「プリクル」(掲示板の記事番号1075に詳細)「卵をめぐる四つの小編」を観劇しに文化センターへ。
 最近、演劇結構見てるなぁ。だけど、何でも観よう精神。というわけではなくて、やはり自分の足跡は、ルート沿いに付けているみたいです。
 今まで、複数の劇団のお芝居を観てきた結果、岡山で見応えのある劇団は「黒い兎団」と劇団「魅感性」の二つ(特にオリジナル脚本に光る物がある劇団!)と判断。
 その脚本を担当する「黒兎」のYさんと、「魅感性」のソコマデユウカさんの芝居は、かなり観たと思う。(「黒兎」のYさんと会ったのは劇場ではなく「岡山映画祭2000」のスタッフ同士としてですが)

 そこで「黒兎」の脚本は上り調子だけど、「魅感性」は学生(医大生)中心の劇団なだけ、ソコマデユウカさんが卒業と同時に去年結成した「プリクル」の時点で下降……残念。
 ソコマデユウカさんが卒業=脚本に期待できない?=観劇もやめようと思っていたけど、まあ新「魅感性」を一度観て決めようと足を運ぶと、次なる才能ある書き手であるスミス夫人が脚本を書いて上演。これが(魅感性)とってもよかった!プリクルとの共同公演だったので、その際のプリクル第一回公演はイマイチ……。
 しかし、それまで、ソコマデユウカさんの脚本に才能を感じていた私としては(本当に、玩具箱のような作品群だった)第二回公演に期待しようと思い今日、会場入り。前回よりはよかった。けど、何かが足りない。
 どうして、人は学び舎を卒業すると平凡化してしまうのか……勉強量や、読書量と、創作ってやっぱり関係してくるのかなぁ……。実際、最近の新人賞受賞者に二十歳前後が多いのも、そんな論理と関連してるのかも。でも、ある時期を超えると自分の力を取り戻せると思いますが。

 だけど、今回足りない物って何だろう。
 ストーリーだ。正確にはストーリー展開。(ここに記載していることはアンケートにも書きましたが《長文、失礼》)卵という小道具にしか過ぎない物をテーマとして扱うのも無理があるし、卵だけで全体を収束するのも難しい気が。
 もう少しガジェットを増やしてというか、素材と素材の関連性を強めて調理しては?
 あと、卵を追いかけるスタイルの話にするとか。何故か少年が妊娠し、体に卵を宿すという設定は面白く、さらに卵に隠された謎の解答(春を呼ぶ卵)も面白かったけど。展開が弱いので、できれば、冬の精霊(女王)みたいなキャラを出して、冬の女王に、少年が卵を産むのを阻止したいいう動機を持たせる。つまり、春を呼ぶという卵が孵ると、春が来てしまうから、自分は冬眠(あるいは死)しなければならない。
 そこで、作中に登場していたゴンドラのキャプテンと会い、乗せてもらい、冬の女王一味の追ってから逃れる。途中ゴンドラが故障したり、その間にゴンドラの仲間たちと友情が芽生えたりと、笑いと涙を入れる。
 最後、ゴンドラは冬の女王の手に落ちるも。女王が春を呼ぶ卵を抹殺しようと、少年の腹へと剣を向けた際、それがあの少年でないことに気付く。そう、妊娠した少年の方はすでにゴンドラを降りていて(つまり、入れ替わりトリックを用いる)、(例えば)春の息吹にパワーを与えるという静かで神秘的な場所にて、一人、卵を産むとか。そんなふうに何かストーリーを転がしていくと言いますか、繋げ方を工夫して欲しかった。
 だけど、それが学生時代のユウカさんには出来ていたんですよ。だから「凄いなぁ」「てんこ盛りの作品だなぁ」と関心して観ていましたが。
 人間の脳は常に進化するわけでなく、後退もすると言うわけですね。
 聖書の中に「速い者は遅くなり、遅い者は速くなる」確かそんな一節があったと思いますが。人間やはり、努力次第かも。

 ただ自分の知っている限りで、昔も今も、未だ変わらずに、速くい続ける人間が一人いる。
 彼は、特別に何か生まれてきたんだろうなぁ。あれぐらい運に恵まれつづけて、なかなか沈まない人間も珍しい。それは芸能プロA氏のことですが。
 例えば、沈まないのは、何となくだけど、未来にまだ大きな仕事をする使命とか、生まれる前から定められているとか?
 例として、ある企業家が、19XX年。テープレコーダーを開発する。そんな世の中の未来設計図があの世で定められているとする(Eケイシ―のアカシックレコードじゃあないですが)
 そうすると、その開発者はやはり、テープレコーダーを完成させる定められた年月までは必ず職と生命は約束されているとか。
 豊富秀吉は、日本一出世して、奇跡的としか思えないような生涯の果てに日本を統一するとか。
 最近のことなら綿矢りささんは19歳で芥川賞を受賞する。だから落選した人は才能がないわけではなく、そうなることが宇宙全体の調和から見て、一番よいフォルムとして、アカシックレコード管理委員会として、多数決を得た。とか=運命?
 そんな定め書きがあらかじめ、アカシックレコードに書かれていたら、どうしようもない。戦争にせよ、そうで、もしそれを阻止するなら、莫大な量の偶然を詰め込んで製造した核爆弾でも投下するぐらいのパワーが必要そう、アカシックレコード管理委員会の多数決を変える一票が、それに値すると言いますか。そんな、何か予期せぬどんでん返しでも仕掛けないと。
 しかしレベルの差こそあれ、芸能プロA氏は多分、まだ事業か何かわからないけど、一仕事、二仕事やりそうな気が。



 
2月27日(金)先負・水星と天王星が接近
 今週のTV版「名探偵コナン」=火曜日にビデオチェック。驚いたのは原作無しのTVオリジナルだったこと。推理するのは難儀なので手付かずでしたが、今週はサンデーのコナンがお休みなので、少しだけでも手をつけておこう。実は自信はほぼ無し。難しいですね。ホント。(手がかりが少ないよ!)まぁ、今週の推理は、やってる人も少なそうだし、一応私が率先して、重い腰を上げることに。

 まず犯人は、線路脇に死体を置き、遺体と板とをテグスで連動していたのではないだろうか?そして遺体は、半分落ちそうな状態にしておき、板は、線路の端か、どこかに引っ掛ける。その後、電車が来てテグスを切断。板は湖に落ちて、遺体は落下したとか?
 あるいは、線路付近に引っ掛けるのは無理なら、湖上の引っ掛けポイントとかを使ったとかどうだろう。そうなると、板は潜伏型の釣り用仕掛けとか?(釣り知識がないのでよくわからないけど)
_______   
_|\____線路 
 ・  \      
 ↑   ・←ココか、その下の木の枝とか、湖上の何かに引っ掛ける。
 ココに遺体。

 電車でテグスは切断後、板は飛んで光彦のボートに当たり(元々ボートと連動して水中に潜らせていたのかも?でも重すぎるか)、遺体は真下に落下。犯人はあの釣りしてた釣り名人の男性(名前忘れ)か?
 自信ありませんが。一応チャレンジ推理と言うことで。

 週刊モーニング「カバチタレ」=プラチナ被害者の示談書を被害者の代理人として書いた田村。そして告訴取り消し書も、代理人として書いたので、告訴できないはずなのに告訴することに。
 怒ったのは悪徳業者。しかし、そのからくりが面白かった。
 今回の告発状には、行政書士の田村自身の名前を書いたため、前回交わした示談書も、告発取り消し書も田村とは何ら関係ない(前回は被害者の代理人という立場の反面、今回は田村個人で告発)。そんなからくりを田村が仕掛けたという、ある種の文書トリック。悪徳商法に立ち向かうための技なので、読んで胸がスカッとした方もおられるのでは?  だけど、プラチナ代金を請求して、すぐ払う人をランクA。押しかけるなりすると払った人をランクB。払わない人をランクCに振り分けた名簿を、悪徳業社とかに売り、それが、身に覚えもないのに「最終通告」という感じで、期限までに幾らを払えと請求書を送る、あれに利用されているとは、恐ろしい世界。
 だから、すぐ払う人は悪徳業者からも、名簿で判断され、鴨にされているということでしょう。金融の洗濯機が欲しいところ。

 B・コミックスペリオール(月二回発売)「こまねずみ常次郎」=会社の資金を盗まれたため転職することとなった常次郎。再就職のポイントは大手の金融屋が債権回収テクニックをシステムに組み込みたいため、そのプロの常次郎はそこへ。
 だけど、回収セクションが第一から第三まであって、さらに係りも幾つかあるみたいだけど、すさまじい世界ですね。

 でも企画者の青木雄二さん亡き後、青木さんが関係されていた3作品(「カバチタレ」「こまねずみ常次郎」「極悪がんぼ」)とも、内容濃度が薄まってる観(特に常次郎と、「極悪ガンボ」)。やはり「一国は一人によって起こり、一人によって滅ぶ」という古語(この場合、ジャンルと言えばいいか。金融という1ジャンルの興りは青木雄二という個人の企画力が起こし、亡き後はジャンルも下火になっていく?)をこのケースに当てはめてみると、やはり舵取り者のビジョンが時代を築いていくと言うことかも?

 少し、筋は違うもの、青木系の漫画は絵柄が全部同じなのは(ある意味、青木系、青木節という意味においては個性だけど)難点な一面もあるとは思う。
 漫画は、線次第で、目新しく見せられるそんな論理があると思うので。
 そこで最近、これは目新しいと思った漫画があります。
 それは、今月のアフタヌーンに掲載されている「神戸存在」
 この漫画は、横線の使い方が、どの漫画とも違う、ある種の世界観を打ち出すことに成功しているのでは?顔とかキャラ自体は、どこかで見た絵柄を引きずってるけど、普通はベタ塗りしたり、スクリーントーンを貼ったりするところを、そういうマニュアルには頼らずに、全ページを通して、横線を使うことで、独特なノスタルジーを表現。個性を感じました。


 
2月26日(木)友引・月と火星が接近・南大西洋方面では火星食。
 クラブ33勉強会。今日は石井先生と小川洋子さんがお二人で審査員をされている倉敷文学賞の受賞作品のお話が中心。パラパラとめくり、字面だけを見させてもらっただけですが、原稿を少し拝見させていただく。(いい作品は、字面だけを見ても、何だろう、立っているものを感じる。匂うものを)
 応募者の年齢が、10代と50代(他60〜80歳が数人)に偏っていることが気になったのでそれを私が訪ねると「実は授賞式の日も、小川さんとその話になった」と。
 お二人の意見は、今の20代から40代前半までは、文学(小説)が抜け落ちた世代ではないかと。映像や漫画世代な分、才能がどっとそちらへ流れ込んだのではと。(実際、映画、音楽、漫画に比べて、小説を書く自体、どこかマイナーなイメジがありますしね=薫葉)
 よって、読んだり、書いたりする人が、それまでよりも大幅に減少した世代ではと。
 なるほど。しかし大賞の作品。あれっ、文法がおかしい?助詞の使い方とか。主語述語のねじれとか、そう私は思ったんですが、それを払拭するほど、壮絶な内容なので、受賞に到った。そんな経緯があったそうですが、確かに、それはもう文章どうのこうのこうという次元ではないですね。
 80歳が書いた、渾身の一作。まさにそんな感じ。(自伝的な物語です)
 なかでも、戦争の描写には度肝を抜かれました。あれは体験した人でなければ絶対に描けない世界。体験の力。私など足元にも及ばない。だけどジャンル・フリーな賞なだけ、こういう系統の作品が最後に勝つ。そんな論理はありそうな。ただ、売れる売れないは別にして。
 それと、10代の投稿者が多いのは、やはり、ハリーポッターの影響でしょうね。やはり書き手が生まれる影に、ブームありきでしょうか。それと、倉敷市内の複数の中学校が、夏休みの宿題として(応募を前提として)小説を書かせているそうなので、今回、中学生にも奨励賞が与えられというのは、若い書き手には大きな励みになるのでは?(ただ、何かに出す前には本を買う習慣から始めていただきたい! 少しでもいいから。書く人は増えても、買って読む人達はどんどん減少しているのが現状ですし。そこから未来を予測すれば、未来は決して明るくないでしょうし。一ヶ月に一冊でも本《小説、それもできれば新刊》買いましょう、投稿される皆さん)
 それと、年齢論を持ち出すと、年齢が上がるほどに(あらゆる)賞は縁遠くなるでしょうし、チャンスもなくなると言う「姥捨て山」現象というか、現実って、ホント、若手以外には厳しいですし。
 この賞は、もちろん名前やプロフィールを伏せて、石井先生と小川洋子さんは原稿を見る分(中学生は内容でわかるでしょうが)ある意味、公平にはやっているそうです。私も一度出してみようかと喚起。倉敷在住でなくても、倉敷に職場等がある人は応募可だそうなので。もちろん、応募するなら、名前伏せだから公正そのもので評価してもらいます。だけど、その前に山積の課題が先ですが。
 他に、やはり横溝正史の話で盛り上がる(好きなんですよ)。しかし、横溝先生はやっぱり天才だと思います、私。
 石井先生も、何か原点に戻る気でという姿勢で、何か新しい物を書く兆しがあるそうで、それと関連して、横溝談義?に。
 だけど、横溝正史の魅力って何だろう。一言で言うと、何もかもが入っている玩具箱。あの作家ならここは完璧だけど、ここが抜け落ちてるとか思ったり、人間欠点があるもの、横溝正史という作家は、何と言いますか、パーフェクトに近い芸当をやってのけると言いますか、黄金色の脳細胞の持ち主。そんな風に私は思っている次第。
 綾辻さんの「十角館の殺人」を機に(それまで知っていたミステリのどの作品とも違う、この驚きは一体何なんだという歓喜から)、ミステリへとのめり込んだ私ではありますが、横溝正史を読んで驚いたのは、やはり、綾辻ロジック&トリックの原点みたいな物をそこに感じたうえ、その上を行っていることに度肝を抜かされた(映像ではまったくそれを感じれなかったのに、ああ、また「金田一」やってるという程度の関心が、活字で読むと、ある種の電気ショックを脳に浴びせらるかのような知的興奮を体感!)ホント、(内的)世界崩壊でした。(有栖川有栖さんは、E・クィーンと直結してるものを感じてます。それが私の分析。なので横溝正史の持つ、ある種の超絶的感覚みたいなものは、やはり綾辻さんの方が濃く受け継いでいるのでは? 魔は乱歩と直結している観)
 石井先生にも「人が原点となった作風。その位置というものは、そうやすやすと動く物ではないよ。君がどれだけ勉強してもしなくても、十角館に感銘したんなら、おそらく、創作の位置がそこにあるだろうし、それが私の場合では正史だから、未だに正史風の本格推理には特別な思い入れがある」と言う感じのことを言われましたし。確かに。

 しかし、横溝正史。リアルタイムで見たかったお一人であることは確か。今デビューした新人であっても、きっと凄いものを書いてたはず。トリックは出し尽くされたなんて、泣き言なんて言わずに。まさしく天才。

 勉強会の後、図書館へ行き、ある本(ミステリ)へと手を伸ばすも、何か別の味、普段読まない作家の物の見方、体験のろ過のさせ方、興味、切り口、人間の書き方を見てみたいと、その本と同棚にあった角田光代さんの本を手にして読んでみる。これが大当たりで、ラッキーでした。
 と言うのも、ミステリばかりを読んでると、どこか似た物にぶつかることが多く、それならと発想を転換した次第。  実際、ミステリファンにしろ、ミステリ作家にしろ、ミステリを中心とした読書=隣同士で扱うシチュエーションとか、現場の描写とか、どうしても似てくるでしょうし、そうなると、背景や現場の書き方。その相似色が強まるのは必然。そんな論理もあるでしょうから。
 そこで、今日読んだ角田さんの物の見方、書き方は私から見ると、とっても新鮮でした(もちろん角田風の作品ばかり読まれている方は、すでに飽きがきているでしょうが)。
 まだまだ世間には、未知なるものがあふれていると言うことでしょうね。
 読書って、やっぱ深いです!
  
・「東京ゲストハウス」 角田光代読了。書評荘UP!


 
2月25日(水)先勝
 ふと、携帯メールって、話言葉中心で構成されていた、それまでの社会に対して、文字化社会を奨励するというか、そんな流れを生んでるかも?そんな社会の基盤作りに貢献してるもの、それに到る伏線かもと思い浮かぶ。
 と言うことは、この先、メールから文学が生まれるかも?
 題して「メール文学」
 メールの文字から、作品が生まれ(もちろん十代、二十代が生み出すようになりそう。話題性も兼ねて)
 だけど、自分がプロデューサー(仕掛け人)なら、社会にそのジャンルを根付かせるため、「メール文学新人賞」と言うのを作って、大きく広報活動するかも。
 意図=新ジャンルを作りたい願望と、出版業界を活性化するため。

 だけど、こんなことを考えるのも、小説という定型を、どう新しく見せられるか。そんなことばかり考えているからなんですが(それをトリックにも利用しようという意図もあり)まあ、ビジョンさえあれば、分野は先へ進むはず。なければクラッシックというか、鎖国になりそうだし。一人でも「未来会議」して、思考の時計を進める。
 「未来会議」か。いいフレーズだ。最初「ライター会議」って、「企画会議」という名前だったんですが、つまり、文芸の会に縛られず、そういう何か新しい企画を発案する場として発足させるも、なかなか企画を商品とかに結びつけるのは困難だし、創作に集中すべきという課題から、「ライター会議」に改名。でも「未来会議」という名も面白いか。当面は現状維持していきますが。

 S・ジャンプ「ゼロ」=マヤ文明の油田に迫る話。マヤ文字の読み方が「前接続」「上接続」「主語」「後接続」「下接続」と読んでいくという、うんちくにへぇ〜と思っていたら、畳み掛けるようにアカデミックな話題が出てきて、高度、高度。
 マヤには色は五色しかないことから、色に秘められた方角と、月と点と横棒が示す数字。
 そららから、マヤの文字の書かれたマヤの道具に刻まれた文字を解読する手法はなかなか読み応えが。しかし、さらにもう一つ踏み込んでいたけど、毎回毎回、高度なことをやってくれる。

 少年マガジン「探偵学園Q」=ケルベロスの使った脱獄トリック。その小道具のメカニズムが、単純だけれど面白かった。あれを作るには、芸術的な才能が必要っぽいけど、作者も、色々なアイデアを盛り込んできますね。同作者の「リモート」を終わらせるのは探偵学園に集中するためなのだろうか?
  
・「猫は知っていた」 二木悦子読了。書評荘UP!


 
2月24日(火)赤口・金星が月の北3°
 夜、芸能プロA氏とカラオケへ。途中F氏も参加。歌も結構、唄ったけど、唄って好評だったのはホラードラマ「あなたの隣に誰かいる」の主題歌「勝手にしやがれ」(ミステリ系の歌は一応、押さえておこうと)と、ポルノグラフティの「メリッサ」
 A氏はラルクを延々と唄ってたけど好きなんだなぁ。上手いからいいけど。
 それはいいとして、アフターの食事の席で色々語るも、考えさせらることばかり。
 A氏の場合、作品主義みたいなところがあるらしく、ネットで綴られる、作品にはなりえない文章を正当評価できないと。趣味で延々と書くのはいいけど、はじめから作品でないものは書き続けても、おそらくいつまで経っても形にはならないだろうから、それと作品とを混同しては考えないと。そんな思考。(販売作品などは除く)だから小説は、受賞作とか、作家名とかはどうでもよく、自分が読んで納得できる物か否か、面白いかどうか、それが全てと。作品だけで評価する。作品がなければ、評価はできないと。
 次に音楽の話をはじめ、自分の事務所にも、シンガーソングライター志望者や、バンドマン等がよく売り込みに訪ねてくるけど「SONYでいい線まで評価された」とか、「今、ライブの動員数が増えつつあり、ブレイク中」と大きく出てきても、その言葉等はほぼ無視して、曲だけを聴くと。他人の評価は信じない。自分の耳だけで評価すると。
 すると、ブレイクの規模は、大学ならサークルレベルとか、1つや2つの地元のライブハウス単位でブレイクしている水準と言うのが、曲を聴けばすぐわかるし、曲以外にも、もし一番の歌詞を聴いて歌詞が駄目な場合は、二番にはきっといい詞があることを期待して最後まで聴くと。でもなかなか……。

 彼曰く「下手な人はいないんだよね。今の時代、売り込んでくるぐらいの人たちは皆、ある水準には達している。でも音の繊細な部分。そこを表現できる人がとっても少ない。そこを超えれないと、うちも返事は出せない。小説も同じだろ。マニュアル本がたくさん出てるだけ、皆、技術だけはある水準に達してるはず。難しい表現を使ったり、ぱっと見ただけなら皆、上手いんじゃないかな。だけど、皆が達している平均点。その上へ行くのは、なかなか難しいことだろう。それにおおかた、アマチュアの作品は、一作を通して、筋が通っている作品が少ないことが多いしね。それだと、まず何に投稿したとしても受からないだろう」と。
 そして突然、今年の芥川賞のお二人のことを話はじめ「確かにあの年齢にしては才能ありそうだけど、もう二、三作ほど書いたら、壁にぶつかるだろうね。書けなくなった時が勝負」と。もう読んでたのか。漫画もCDも映画も人一倍観てるのは知ってるけど、読むのも観るのも遊びも仕事も速い人間。
 だけど、彼も物を書く人間だからこそ、言えるんだろうけど。実際、お笑いユニットの「ヘングレ」(「へンデルはグレテル」の略)の台本を書いて、収益も得ている自体、商的文才というか、同時にリスクも抱えながら何かをしているから、言葉も地に足が付いたものと言うか、言葉にも、例えば労働者が、店や営業先を回って商品として、何かを売ろうとする際、必ず負うリスク、売るための工夫を考えなければならない分、重みを帯びてくる。そんな論理と同じリスクをやっぱり彼は台本を書く時負っているからこそ、説得力のあることを口にできるのかもしれない。
 ただ「ヘングレ」というユニットは、彼の気まぐれでやってるみたいなのでやる気がなくなれば解散。そういう規模ではありますが。メンバーは辛いけど。
 でも、一昔前までは脚本も書いていた彼だけに、さまざまなジャンルについて物が言えるのは、ある種の才能と呼べばいいか。
 シナリオと言えば、3月19日(金)に吉本三丁目劇場の方で「E−1グランプリ」中四国大会という、演劇の大会があるらしく、その作品枠が一組足りないので、急遽、三丁目の方から出演を依頼されたと。なので、急遽、事務所のタレント(ヘングレを中心に)数名をピックアップして劇団を作り、約30分でシナリオを書き上げたというA氏(上演時間28分のシナリオ)。
 それもお笑いではなく、元々好きなサスペンスを題材とした話らしく、結構なかなか気に入ったものができたと。「濃いけどな」と。帰り際「結末が意外なところも観てくれ」とも言うので、観させてもらいましょう!
 だけど、30分で書いたか。凄いな、実際彼は、東京時代、自分の脚本にて、大きな収益を上げた実績もある分、内容も期待していいんだろうけど、招待してくれるそうなので、観覧に期待しよう。

 あと、旅行の話で発見があったのは、正月過ぎにセブ島に行ってきたらしく、そこで出会った手の平に乗るターシャという猿の話は面白かった。
 その猿は、手に乗るほど小さい猿なので、観光客がポッケに入れたり、虫かごみたいな籠に入れて持って帰ろうとすることが多いもの、頭の骨がかなり弱いらしく、自分から籠から逃げようとして頭をぶつけて脳死してしまうと。
 申年だけに小さな猿の話は面白かった(その写真は、先月か先々月号のタウン誌で連載中のエッセーの中で使用したそうです)。  あと、今年はオリンピックの観戦にアテネへも行くらしく、まさに「旅人間」の彼だけど、私も旅に行きたくなった。貧乏人には縁遠いけれど、現地(もちろん国内)を歩いて調べたいこともあるし、近場を念頭にセレクトしよう。


 
2月23日(月)大安・月が赤道上空を通過
 週刊アスキーにて、期待のホープとされる渡辺明五段(棋士)が「羽生さんと対局した際、自分は50手先まで読んでいて、そこからの分岐も幾つか読んでいたけど(結果的に2勝3敗で負けたのは)、羽生さんはさらに先を読んでいたということでしょうね」
 と、書かれてましたが、50手先か、凄い。私なら10手先を読めるかどうか。将棋は頗る論理性と記憶力を求められるジャンルだけに、手筋を記憶できなければ絶対に勝てない世界。単なる迷路と違う点は、迷路自体が、相手の動きによって縦横無尽に変化するので、常にこちらもその変化する道筋を読みつつ駒を動かさないといけないので、本当に記憶勝負、そして論理勝負。
 だけどその厳しい世界の中にて脳の感じる甘美。それを思うと、面白みもありますが。だけど将棋って、もしかしたら、50手に到るまで全ての分岐する手筋を記憶しておかなくても、あるポイント、ポイントを記憶しておけば、その前後もセット読みできはしないだろうか。図にしてみよう。


   30手目 \ \ \||/ / /

   24手目   \ \||/ /
   23手目    ―||||―
   21手目   ―||||||―
   20手目  ―|||||||| ―

 例えば、こんな感じ↑で、20手目から30手目まであるとして(一番底の土台から上に繋がっていない線。つまり分岐する線は、他の手筋)、まず、21手目を覚えるとする。
 その21手目に、付箋を付けておき、そのフォルムを暗記。
 すると、その前後の手までを記憶しておかなくても、24手目付近へまでに行く航路が見えてきて、22〜23手目までをも記憶しなくてもいいような気が?
 なので、30手に通じる道にしても、21手、25手とか、要所以外は、飛ばかして覚えておくだけで、もしかしたら、将棋の手筋は図形として右脳で覚えられるのでは?
 でも実践するのは、大変だと思います。

 マガジンG「QED」=ある絵本に隠された事件。つまり、事件を元に絵本は書かれている。絵本の中に象徴として書かれている鳥や道具。その記号から、心理とそれが何を示しているのかに到る文章心理トリック。
 凝り具合は前回ほどじゃないけど、ロジックはなかなか。作者がE・クィーンファンだというのが読んでてわかるだけ、本格ミステリの高さは高い!(本物)
 でも「名探偵コナン」と比較すると、どうだろう。QEDはお約束で作る反面、最近のコナンには目を見張る物がありますね。論理の外し方とか、コナンの中で、ミステリの新たなテクニックが誕生してるような?とにかく構成が美しいばかりか+αがある。何だろう裏設定の緻密さが、最近さらに緻密になってきたとか。何か同じラーメンなのに、違うスープの味に秘められた秘伝を、作者は開発してるような?

 Y・マガジン「リモート」=最終章だけに、氷室警視のプロフィールに到る物語開始。彼に来た脅迫状。氷室がA別館に引きこもった理由が明かされて幕ということになりそう。次週犯人は登場するだろうか?

 東京に長期出張中だった芸能プロA氏から電話があり「スーパースターが戻ってきたぞ」と。「ああ、そりゃあまだ寝床で夢を見てるに違いない。夢なら早く目覚めた方がいい。夢の中で(一匹二匹と数える、あの)羊の背中に乗ってウェスタンごっこしてるのが見えるよ」と切り返す。
 宇多田ヒカルの武道館ライブ鑑賞のことを聞くと「倦怠期のせいか、ヒカルはずっと俺の方を見ていたね」と言うので「そりゃあ、君の後ろにとんでもなく背が高い、例えばジャイアント馬場のような人がいたに違いない。見てたのは気のせいで、背後のノッポが気になっていただけだろ、気のせい、気のせい」と切り返す。
 話の流れで明日の夜、カラオケに行くことに。久々に歌が唄えそうなので、何を唄おうかセレクトしとかなきゃ(するほどレパートリーはないけど)。


 
2月22日(日)仏滅・天王星が合・C/2003H1リニアー彗星が近日点通過。
 日記って日常を連載するものかも?という言葉がふと浮かぶ。では、この日記も連載中と言うことですね!?

 昨日の「黒兎」のお芝居のシチュエーションって、脱獄(こちらは3人)、ヘリというキーから、ジェフリー・ディーヴァーの「静寂の叫び」を下地にしてるのでは?とふと喚起(未読ですが)。

 「麻原被告の宗教的確信は、極めて体系的だったもので、単に「自分は悟った」というものではありません」と書かれたオウムの中川被告の手記に立ち止まる。
 体系的。もしそうなら、日本の教育そのものも、それを育てた根の一つにあるのでは?そんな一面が。暗記中心の詰め込み教育の結果、何かを悟るという芽は出にくいし。
 利益重視の企業という論理の側から見るにしても、オウムというある種の奇妙な企業は、資本主義の申し子だとも思うし。その特殊企業という概念が後ろ盾になって、罪悪感も吹き消してしまうロジック。それも元教祖の策?
 色々な物を組み合わせる才能、計算力、記憶力、商才が人一倍あったのが元教祖のような気がしてます。(生きていくために商売はしなければならないので、その一点に関すると生活の基本ではありますが)「マザーテレサ」のような博愛の使徒ではなく、縦横無尽に人の心理の暗部と、システムを利用する術を研究、実証した「ザ・システムの魔人?」
 でも「俺は世界を征服する」と学生時代に豪語していた時点で、危険を察知できそうだけど、本当に宗教を興したい人なら「俺は世界を征服する」ではなく「俺は世界を救いたい」なのでは?

 百年後、ミステリはどんな形になっているんだろう。
 「京極夏彦氏直木賞受賞100周年記念『講角創ミステリ』増刊号」発売と、電車?の宙吊り広告にあるのだろうか(講角創社=講談社、角川書店、東京創元社の合併した会社名)
 「本格も、今や百人百様だ」を合言葉に「百本格」ブームとか来てたりして?(もう古いって=未来からの声)
 ちょっと過剰な妄想なるも、何となく流れ的に予想できそうなのは、本格の戦国時代が、1990年代だとしたら、その後「分岐(発展)の時代」そして、今が「新本格21」「脱本格」「メタ本格」と横並びしていて、次は何だろう。その前に私的には今は「暗黒文学推理の時代」に突入してると思うので、次は「新文学推理」の時代が来そうな気が。
 文学推理が復興!?
 その後、また方向性を見失い「透明の時代」とかが来るかもしれませんね。
 だけど、一つ言えるのは、時代に現れるスター作家の作風が、時代を作り、引っ張っていくのが世の常なので、次世代のスター作家が、目新しいスタイルを追求する方ではなくて、クラシカル、オーソドックス系の方ならば、時代はその時間、停滞する気も。鎖国時代の日本とアメリカのように、差が出てくる?
 なので、時代のスターが未来に対するビジョンを持つか、持たないかで、未来の明暗も分かれる。そんな論理もあるかもしれません。
 その点、90年代に登場された森博嗣さんは、「推理小説」を、「ハード系SF」や「哲学」にまで引き上げた。そんな功績があるような気もしています?
 その観点から考えると、旧本格と、森的新本格の差というのは、そんなところにあるような?(気のせいでなければ)
 でも、今や時代の先端を走る「ゼロ世代」(若手スター等)の方々には、ビジョンがあるようには私の見解が狭いせいか、余り思えない?ので(内心期待してるんですが)、今のようないわゆる「壊れ系」現象が長引くと、その先に待ち構えているのは「崩壊」そして「透明な時代」そんな風に変化していくような気も?なので、それも予測に入れて、上記してみた私でした。(以上、薫葉豊輝の勝手に未来予測でした=予測は予測ですから、予測できないものこそ未来。だから未来に期待したい!)
 
・「亜是流城館の殺人」 舞阪洸読了。書評荘UP!


 
2月21日(土)先負
 仕事帰りに黒い兎団公演「egg」を観に「芸文館」へ(今日に限り無料)。
 今回のお芝居は、劇団「転機与砲」と「黒い兎団」との合同公演「バリアブルロード」の前置きのようなお話らしく、今回の「egg」に関すると「黒い兎団」(以後「黒兎」)のYさんオリジナルの脚本だそうです。(「バリアブルロード」は転機与砲の方が脚本を担当)
 まず、芝居へ行かないと得れない臨場感、パッションがあると思う。
 映画ではどうしても、薄っぺらく、リアリティも希薄な物しか得れない反面、芝居は熱、迫る物、疾走観、ライブ観、焦燥感、肉感、声のリアリティ、官能感、総じて追い立てるものがあり、それは醍醐味。刺激としてもイイ。
 多分、演劇という分野には、動により、感情を揺らす。そんな効力があると言うことでしょう。
 だけど、Yさんのシナリオ。やはり手応えありましたね。たった30分強の短編だったけど、台詞のテンポ、スピード感。ブラックユーモア。緊迫感。総じて切れがある。
 ふと観てて乙一さんの文体が浮かんだ。乙一さんの文体って何故あんなにも「もっさい」感じがするのだろうと。トリックはシャープなのに。
 もしかしたら、それは生活リズムにあるのかも。生活というかジャンルというか。芝居する人には何か、独特のリズム感があるのかもしれない?単調ではない。  でもYさんも、こもって書いてるんだとは思いますが、何かシャープさがありますね。そして、物語において、独自の「コード進行」のような物を持たれてるような。

 映画の台詞&ストーリーセンス&展開と、演劇の台詞、ユーモアセンスと、本格ミステリ。それらの融合をやっている。そんなふうに感じました。そして、私は今回のお芝居。「ブラック+(偽)ロジック=嘘つき探しの物語」
 そんなふうに定義づけてみましたが、センスありました。
 この間読んだ、富士見ヤングミステリー大賞佳作の「仮面は夜に踊る」と(この間の日記にて)比較してしまいましたが、もし今日の「黒兎」の公演内容が「仮面は夜に踊る」だったら、次回は、ちょっと千円以上払ってまで足を運びたいなぁとはちょっと思えないかも、正直……それぐらい今日の「egg」玄人芸だったという印象。
 何でしょうか、「黒兎」から発するフェロモンは?私は最近、日記にて創作の進行コード(創作手順)みたいな文章を綴っていましたが、Yさんのシナリオには、そういうマニュアルが一度、消化されてるということでしょう。常に細部に捻りを入れてくる。台詞の一つ一つが、意地悪なパズル?
 そうなんですよ、これはもう、独自のカラーというか「進行コード」を持っている証拠なのでは?なかなか高度なことをやっているなと。本格系ミステリ歴の長さ=発酵とも取れるか。
 表現の厳選の仕方にしても、ただ厳選してるという感じではなく、その選択のセンスもあるし、スパイスもてんこ盛り。
 お話は、真夜中の監獄から4人の囚人が脱獄。しかし数えてみると5人に増えてたというシチュエーションを、ある種のロジックで解いていく。
 ロジックも最初は真面目に計算していくも、次第に(ブラック)ユーモアにギアチェンジ。そして、そこからメタになり……つまり、ロジックそのものがミスリードであったというところへまで持っていくのは、なかなか。それでいて、増えた理由(論理)も一応は入れておく=ロジックの名残を残しておく。そのずる賢さはセンスかも。
 遊んでますね、ロジックで。本格ミステリにおけるロジックを、手の平の上で転がしながら、それを解く過程をコミカルかつ、サバイバルに描いたブラックなお話と言えばいいでしょうか。ヘリに乗れるのは4人なので、1人は乗れない=選ばれる者をめぐって、冷酷な殺人劇もあり、小道具等、ガジェットも押さえてる観。その殺人手法もただの撃ち合い(安っぽいアクション)ではなく、パズルとして見せている。つまり基本には、「組み立ての見せ方」というのがある点が、Yさんのスタンスかも?

 感想はそれぐらいにして、私は知らなかったものの、今日は「倉敷演劇フェステバル」のプログラムの一つの上演だったみたいで、京都育英大から批評家でもある太田耕人助教授が来岡され、シンポジウムも開催されました。
 その折に助教授は「黒い兎団の脚本は、最初に謎を持ってきて、それを解いていくスタイルはエンタメ系演劇として、上手い手法。それだけでなく、さらにひねっているので、なかなかよかったです」という感想を述べられていましたが、正確には「本格ミステリにおける論法を演劇にシフトしている」というのがミステリ・サイドから見た場合の印象であります。

 「egg」の後、次回公演の予告編を
「劇団・転機与砲」の方々が公演されていましたが、二つの劇団のカラーは対照的ですね。
 「黒兎」が台本重視なのに対して、「転機与砲」にはアクションと華がある。ダンスや、SF系の殺陣がド派手で、視覚的インパクトは結構、凄い。
 やはり座長の趣味=劇団カラーとなると言うことでしょう。だけど、観るだけなら「転機」は結構、面白いかも。動員数も増えているのは、スカッとさせてくれるパワーがあるから?
 でも私のように、脚本重視で観る客は、装飾を取っ払った骨組みにばかり目がいくので、壮大な物語系のお芝居というのは、ちょっとステレオタイプと思ってしまうんですね(一度観たこともあることだし)。
 あと、一番のネックが、それまでの演劇の手法、脚本の流れから作る論法のせいか、内容も、亜流(の脚本)の域からなかなか出にくいというネック(派手なので、客受けはいいもの。でも、他ジャンルから形式やジャンルを持ってくる自体、難しいことですが)
 だけど、「転機」は自由奔放で、役者も生き生きしている。よって客も沸くし。地元での人気も最近は上がってるみたいだし、スケールや、アクションは好感。
 その点「黒兎」は脚本が完成されてる分、ちょっと役者自身がいじろうと思ってもいじられる部分が薄く、隙間がないかも。よって役者のアドリブ、味が出しにくい。
 これは本格ミステリにおいての「人間を描けない」という問題と相似してるかも。
 今日はなかなか勉強になりました。
 
・「あたしの中の王子さま―今夜だけ退魔少女」 真坂たま読了。書評荘UP!


 
2月20日(金)友引・新月
 昨日論理について書いたけど、そういうのは続けて考えないと解答に近づくのって難しそう。
「論理のマラソン」とでも銘打って、ミステリにおけるロジックの定義とかを模索してないと。
 ところで、上手い伏線って何だろう。
「伏線とは、迷路の要所に(幾つか)打つ印」とかという言葉が浮かぶ。
 では、構成はどうだろう。上手い構成は、「魔方陣」に似てるかもしれない?だから、魔方陣のどこかの数字を隠すことが、推理という目的において、ミッシングリングとなり、そこを解くための手がかり(ヒント)を匂わせるのが、伏線。
 そして、その伏線を手がかりに、魔方陣(ミステリにおいては、事件)から消えてしまった数字(謎)を捜し求めるのが、即ち、ロジック系の推理小説(いわゆる本格ミステリ)という言い方もあると思う。

 そうなんです。その伏線の表現方法や、数字の隠し方が上手い人が、やはり本格系ではセンスある人と(曖昧ながら)、イメジされているような。(最後に一つだけ謎が解かれるタイプは、どちらかと言えば「大味」とされ、例えば《何かの受賞作品ではありませんが》倉知淳さんの「星降り山荘の殺人」のようなE・クィーンの再来?と言っても過言ではないほど(細密機器みたくに)緻密な作品こそ、名料理人による、手の込んだ名料理と絶賛されるのが、本格ミステリの世界においての評価の基準?っぽい気が。ソースよりも素材の持つ繊細な味。マクロよりもミクロ。大スペクタルよりも密室)
 なので、論理の死角をどれだけ見つめられるかどうかが、推理のポイントか。
 定義っぽい物を付けるとするならば、本格ミステリにおいての謎解きのポイントは「論理の死角を見る眼鏡」それを掛けるられか否か。
 もちろん、正確には「眼鏡」ではなく、自分の思考と視力や視界を広げる努力のことを眼鏡に例えているだけで、自分の頭の使いようこそ、第一義ではありますが。でも謎解きのハウツーがあるとすれば、それは「眼鏡」と言い換えれるかも?  
 
 話題を少し変えます。
 最近、文学作品を連日のように読んでいてふと思ったこと。文体って、理論どうのことのと言うよりも、自分の影みたいなものかもって?(もちろん、理論を身につけることが、まず前提ではありますが)
 だから、真似から入っても、ろ過して残る物は六、七割方は自分の資質ではないかと。そして、育てるもの。育てて伸びるもの。(即ち栄養をやらないと伸びないし、逆に過剰に栄養をやりすぎても駄目になる?回避ポイントとして、運動と栄養取得のサイクルも大事?そして、生き物だから死もあり?)
 人が自分の体温で育てていくもの。その一つに文体も数えられるかもしれない。借り物ではどうにもならない、レプリカでは駄目な、体温に近いものか。でもこれも一つの考えに過ぎないので、もっともっと別の角度からも考えるべきかも。
 でないと「定義」(あるいはマニュアル)の境地へまで到るのは程遠そう。
 そして又、迷路へと迷い込む。また、振り出しに戻り、また一つ賢くもなれず闇の迷路の中で、小窓の灯りの真下にて日向ぼこ?
 ・
「オアシス」 生田紗代読了。書評荘UP!


 
2月19日(木)大安・雨水(太陽の黄経が330°)海王星が月の北5°・水星が月の北3°
 ロジックの高さとは何だろう。おそらく伏線と(収束後の)符号の関係。相関図全体が、時計の歯車のように精巧で、美しいフォルムをしているとか、定義にまでこぎつけないけど、何となくはイメジできてはいるんです。
 でも何故か、本格ミステリ(それも極右の)と、本格ミステリ漫画しか、そのゾーンを描こう。今やそんな姿勢がなくなっているような気が。
 例えば、それは枠のせいかもしれませんが。本格とか社会派とか、ヤング系とかの枠が、それぞれの分担のみでしか、その意識を強く持てず、その枠に止まってなかなか隣を覗く余裕がない(皆、忙しいんですよね)。
 でも言い換えるとそれは平行線でもあるので、その課題は、ちょっとした個人の生活サイクル革命でもしないと変えれない。
 人間、いきなり普段してないことをやれと言われるほどパニくってしまうことはないと思いますし。
 あれこれべそでれ?と、そんなことを、第3回富士見ヤングミステリー大賞佳作「仮面は夜に踊る」(名島ちはや著)と、昨日発売の少年マガジン「探偵学園Q」を読んで、頭の中、1/2分くらい、ふつふつ。

 探偵学園Q=大きなポイントは押さえました。いい線はいった。でも違う部分。私の読み方では無理なところがあった。購読してないため、先々週の第一発見者がメイド役の生徒ともう一人誰だったかを忘れてたのは致命的。でもいいところまで押さえましたよ。狙いはグー。
 それと完璧ミスリードされたのは、台本を変えることを反対する生徒よりも、グラスを割った生徒の方に意識が行き過ぎていた。その論理の迷路で、別のルートを選択。そっちの伏線は、実はバンドエイドが、針と結びつく回路という線で繋がっていて、グラスと、傷の露出の回路の繋がりは直結ではなく、バンドエイドというワンクッション後に繋げる。その二重構造のところでルートを見誤ってしまった。 (ただ第一発見者の二人とも、忘れずに覚えていれば、おそらく選択肢も変わっていた気もするけど)。
 だけど、今回の論理、頗る高いですね。ここまで高くロジック・ミステリをやってくれるとは。やはりE・クィーンが脳裏に過ぎってしまいました。クィーンの、重箱を突付くような細かい細かい伏線回収の論法。緻密すぎて、真似をするのは疲れるから、本格ミステリは絶えてしまった。そんな論理が日本では「新本格推理」として復興するまで続いていたような気がしますが。
 そう考えると「探偵学園Q」はやはり極右の本格で、緻密な論理にて(読者へと)謎解きを求める王道もの。それもそのロジックがステレオタイプでは決してなく、常に新しい切り口によって見せてくれるので、読む度に発見があるのは事実。そんなこんなで、今週は好感触。それが感想です。でも何故ここまで凝った物を毎回の如く(特に今回は凝っていましたが)発表するんだろうという、作者サイドの熱意というか、スタンス。それがよくわからないのですが。マガジン自体、探偵学園の隣頁を覗けば、ロジックとはほど遠い、妄想系というか、幻想漫画ばかりが描かれているのに。何故、そこまで凝った話を連打してくるのでしょう?

 反面、今日読んだ第3回富士見ヤングミステリー大賞佳作「仮面は夜に踊る」この作品。世界観は好きです。だけど物足りなかった、正直……何かが欠如している……ロジックだ。
 例えばこの間、名探偵コナン推理サイトのRさんの犯人当て推理小説に、私は七転八倒して推理に挑戦しましたが、ロジックの高さに感動しまくりました!文章の方は……いいとして、ロジックは高い。あと、メイントリックも、コナンの某トリックを引用しているのでは、これはと直感しましたが(賞に投稿してる作品でもないから、それは自由だと思っています)それもいいとして、そんなことよりも、伏線の張り方や練りに練った構成力に感動。完成されたパズルから、一個だけピースを外す際、その外し方。これはセンスとしか言いようがないほど、ずる賢い。
 あと、私がいつも足を運んでる岡山で唯一オリジナルの本格ミステリを公演する劇団「黒い兎団」のYさんのシナリオ。私はいつもそのトリック&ロジックのセンスを観に足を運んでますが(凄いとか、面白いとか感じなければ、行かないでしょうし。つきあいとかだけでは)アマでも、才能豊かな人は在野にいると言うことでしょう。
 今日読んだ「仮面は夜に踊る」の物足りなかった理由。
 それは書評荘の方に書いてはいますが、それは私の主観に過ぎないので、読まれる方は、私の意見を頭から追い払って是非読んで見て下さい。ただ江戸川乱歩の世界がたまらなく好きな人は(内容どうのこうのと言う前に)それだけで楽しめることは確かです!
 ・
「仮面は夜に踊る」 名島ちはや読了。書評荘UP!


 
2月18日(水)仏滅・ヘルクレス座Tが極大
 芥川賞二作を読んで、大人が文学を書く際、それまで社会からインストールされた先入観をどう排除、あるいはろ過し、自分の殻に閉じこもれるか。ここが肝心だと直感。宗教でも倫理が過ぎると社会とのギャップで苦しみつつ、組織に利用されて投資だけが誇大化。でも投資0では何も成り立たないと言うのも正論。これも社会の方が基準を作ってくれたらわかりやすいけど。多すぎるルールに対して、まったく開拓されていないルールも多いのは、人がマニュアルやルール、常識でしか物をとらえられない、安心の産んだ悪循環かもしれないけど、それで一応七割方平和なら今の日本はある意味資本のおかげで安定。

 でもインストールも大事で、まさに、芥川賞のお二人は文学に必要な百通りぐらいの何か(ソフト)をインストールしてるのは確か。それでいて間違いなく自分自身の目で世の中を見ることができて、世の中には左右されていない印象。
 人気が出たい、有名になりたい。そんな芸能人志望系のタイプでなく、自分の物の見方、考え方に、確固たるものを持っているのではないでしょうか?そのため、賞を取れてよかったというより、賞など、どちらでもいいというスタンスがあるはず。その証拠に、文章の中では、決してかっこうをつけない。飾らない。これがモデル志願者とかなら、自分のエゴやわがままなど、とにかく心理面はできるだけ押さえて、アピールに徹すはずだと思うし(どれだけ格好をつけられるかを競うはず)、なので、お二人は、その反対の位置にいるはず。
 実際、カッコウをつけると、作り物と判断されて、評価されないというのも一理あると思うし、即ちそれが「文学の門」?
 家庭の恥を、恥だと思うと文学は書けないということでしょう。だけど今日発売「名探偵コナン」を読みながら、
 E・クィーンの偉大さと、同時に生活を書くことの大切さ。その二つに苦しめられる。
 コナン等、本格ミステリのトリックは、ここで終わりという線などがなく、手垢にまみれたトリックを、どれだけジャンプさせて、そこから新しい切り口を探し出せるか。それに尽きる。なので、大変勉強と、頭が必要な世界なだけに、ただワープロを叩けばいいと言うものではない。
 その点、文学は、広げるよりも閉じた方がいい。同じ場面を、どう描くか。表現するか。これに尽きる。
 でも、その奥深さが果てしない。だから、コナンの凄さは、ドイルやクィーン体験あってこそ、その土台の上で成り立っているという一面もあるので、やはり特にクィーンは偉大ではないかと。定型を完成させた人物だけに。
 でも、コナンも凄い。よくこれだけ論理とトリックを考える。でも、人間ドラマもやっぱり大切かもね?
 有栖川有栖さんが、乱歩賞を落選した時、もしE・クィーンファンの方が下読みとして、「月光ゲーム」を読んでいたら、もしかしたら、一次審査は確実にクリアしていたと思うし(応募原稿を手に、現代のE・クィーンここに現るかと、賞賛する形で)。
 だけど、人間ドラマがないものは、とかく敬遠された時期。運が悪いと言えば悪いけど(綾辻行人さんの成功のおかげで、その実力が上手い具合に世間から認められただけに、有栖川さんは、やはり運が悪いわけでなく、その後に運が来る。そんな運命だったのかも?)
 しかし、E・クィーンは罪深い。社会性の高い、人間ドラマ全盛期を予測することまでは出来なかったのは仕方ないとしても。余りにも影響力が強すぎるせいか、本格が受け入れられぬ時代に苦しむ人々(クィーン等に影響を受けた本格ファン)を生み出してしまうとは。だけど、未だにその才能を孤高に誇ってるのは凄いけど。 
 今回の芥川賞のお二人は、クィーン体験がない=「名探偵コナン」のような物は到底書けそうにないという論理は存在するにはするとは思う。(裏を返せば、クィーンを読んで、はまれば、近づけますが)
 でも、そんなことはどうでもよく、自分をどれだけ見つめられるか。文学の探求は、それに尽きると思う。自分とは何か、それを考えに考える。
 なので、生活圏にて起こりえない、それもとんでもなくひねったコナンのような話というのは、やはりドラマとして、非現実的要素が高いという意見は、正論かもしれない。
 そのミステリの死守してきたラインと、文学の抱えるラインはどこまでも平行線状態で、ほとんど交わることがない。だから私は苦しんでるのかもしれない。
 何だろう、この壁は。今までは、文学は文学。推理は推理と割り切ってきたけど、どうも今回の芥川賞二作と、今週の名探偵コナンを(同時期に)読んで、私の小説観が変わりつつある。そんな揺れが生じているのかもしれない。風邪みたく、三日で覚める可能性もあるも、何かに突き当たっている自分自身に、まずは正直になろう。(なので、こうして綴ってみることに)

 サンデーの「コナン」の推理=今回は、ほぼストレートフラッシュ推理を決めることができてよかったけど、何故、D暗号(メッセージ)が、唯一無二でないという理由に触れないんだろう?何故、御上でなければならない理由に触れないんだろう。触れないと言うことは、作者の中でD暗号は、絶対に御上でなければならないわけではなく、他の要素で御上犯人説を言い得ていることで済ませてくれと言っているようなもの。となると、あれだけ細かい推理をした自分の推理は何だったんだろう。犯人もトリックも全部当たったけど、何か腑に落ちない。そうなんですよ、今回外れた方は、最後まで迷ったはず。その原因は、作者の設定(D暗号)の曖昧さにある。誰でも当てはまるから、結局D暗号は唯一無二の犯人を示す暗号ではなかった。でも表す面もあるから御上が犯人という曖昧さ。

 こうして考えると、やはりコナンの推理にしてもどこまで本気でやるか、それを見極めた方がいいかも。それにそんなことはどうでもいいことと言えば、どうでもいいことだろうし。ドイルや、E・クィーンの息吹がたまたまいい形(コナンや金田一少年の成功という形)で表れている(歴史から見れば)、一現象かもしれない。これが1987年以前だったら、そんなブーム、まずありえないだろうし。
 推理の数をこなすことばかりにとらわれるよりも、芥川賞のお二人を見習って(チャンネルを減らして、目の前の課題だけに集中し)自分をどれだけ掘り下げられるか。そちらに意識を向けた方がいいかもしれない。
 推理小説は文学よりも、数学に近いものだけど、やはり小説は、数学に近づくほど面白みはなくなってくるという一面もあることを少し考えた方がいいかも?
 ただ、そんな年代やブームに左右されることなく、ただ一人この道を開拓した島田荘司さんの孤独。それに学ぶべきところは多いとは思う。トリックや本格などが正当評価されない時代に、不毛の地から生えた反骨精神の竹(あるいは鏡)。
 「推理小説なんて」と思う時、「あの時、島田荘司はこう考えたのかもしれない」と思い返そう。それは、島田荘司こそ、売れてるとか、ブームだとか関係なく、何故本格ミステリなのか、そこにこだわり、活路を見出した人物だと思うから。今のようにキラキラとした業界ではなく、真っ暗な宇宙に生じた超新星。仲間も何もなく、ただ一人輝く。土台がないから賞にも縁はなく、受け手がないから出版もされない。だけど「これぞ、もしかしたら、今やジャンルとしては絶えてしまった本格ミステリというジャンルにおいて、最高の作品かもしれない。絶えてしまったようで根強く存在している、本格ファンが望んでいるのはこのような作品のはず」(おそらく)という感じで評価してくれる編集者の力で、出版され、成功した前例があるし。
 星は、闇を照らすものと言うことか。
 コナンの推理は、正解に到ったけれど、何か虚しさを覚えてしまった仏滅の夜に。

 
・「蹴りたい背中」綿矢りさ読了。書評荘UP!(この作品は「文芸春秋」誌で読みました)


 
2月17日(火)先負
 ある人から「いつも話を聞いていて思うけど、何でも、小説ならこの言葉は、ここに持ってきてとか、映画なら、この映像はここにもってきて、これはあそこに置いた方がいいとか、こことそこは変えた方がいいとか、そんなことばっかり言ってるけど、自分の文章でもきっと、そんなふうに直すばっかりしているんじゃないの。そんなに神経質になって直してばかりいたら、元々の文章の原型がなくなっちゃってくるんじゃない。素直なまま書く方がよいのでは。普通に書くだけでも充分、味があると思うし」と言われ、面食らう。確かにいつも向上したい気持ちはあるもの、肩に力が入りすぎているのかもしれない。それでいつも裏目に出る。ポップな方が受けがよく、人気は出るという、ある種の公式は、芸能プロA氏とつきあってきて、よくわかっているもの。だけど、まだまだ理論不足なんです、私は。
 こんなことを言われると、余計、考え深くなるので、気分転換に物語でも書こう。即興だけど。(ジャンルはホラーか?あるいは、メタミス?)

題「蚕」
 ボクの吐いた蒼白い吐息を真綿で包みつつ、それを飲み込む蚕。すると、蚕の腹部が突然、蒼白く光りだし、ブルースカイブルーな色彩を喚起させてくれる。蒼さの再生産、それはボクにとって鏡を覗くような行為であるに違いない。
 そして、鏡は反転する。
 蚕はボクで、ボクは蚕に。パラドックスの罠にはまる。蒼色は次第に体内中の色を蒼一色へと染めていき、ボクの前頭葉はDAIパニック!そのムズ痒さったら、ハロウィンの南瓜を頭からすっぽりとかぶりながら、そこにダリの髭を描いて、バベルの塔を駆け足で駆け上がっていくほどに、マイナスなフルコース感覚。(意味不明だけど)そんな感じ?
 腹部の色は、完璧、意思を持ち始めたのかもしれない。色が進化していくなんて。
 いや、それは幻想だ。幻想に違いない。かといって、蚕にもカメレオンのような(知られざる)神業があったと言うのか。いや待てよ、これは「励起作用」(化学現象)って奴じゃあないだろうか。同色が同色を吸収していく例のやつだ。この場合、蒼が強く、全体を蒼くするのが色素の狙い?ああ苦しい。蒼がボクを苦しめる。窒息するのも時間の問題か。
 も、もしかして、これが蚕の狙いだったのか? そう、蚕の持つ特殊能力ってやつで、蚕はボクのことを……。
 けたたましく鳴る目覚ましの音で気がつくと、目の前に、真っ蒼な姿で横たわる蚕が、死んでいた。
 ああ、夢か。よかった。だけどこんな蚕になんてならなくて、ホントよかった。いや待てよ、もしあの蚕がボクで、このボクこそが蚕であったら、じゃあ、このボクの体は……?
「ボクってもう!?」
 
 ・
「蛇にピアス」金原ひとみ読了。書評荘UP!(この作品は「文芸春秋」誌で読みました)


 
2月16日(月)友引・九州でいて座Xの接食(南限界)・月が最近(月-地球間距離368km)・月の赤緯が最南
 ヤングマガジン「リモート」=先週で犯人は判明するも、さらに裏に祖母の作為が隠されていたことに到る。でも確かに紅茶マニアなら「X」でわかるという論理も、納得。今回はE・クィーンの世界再現という感じでなかなか楽しめました。でも次回は最終章へ突入!
 リモートを第一回から読んできた人間としては少し寂しい気も。星は最後(燃え尽きる前)に輝きを増すとは言うもの、確かに「リモート」の連載開始の頃、たくさん推理漫画が繁殖していた。異常なほどに。(途中でリモートがドラマ化されるとは思わなかったけど)

 これとリンクして、その前後、横溝正史生誕100年祭があったり新本格15周年があったり、とにかく本格ミステリの星は強い輝きを放っていた印象!だけど、燃え尽きる前の最後の輝きという観もあるか。つまりミステリ漫画の斜陽期に入りつつあるのではと。
 推理小説(正確には、1987年に登場した綾辻行人以降の新本格推理)を追いかけつつ、推理漫画は出発し、追いついてきた現状。でもそれはあくまでも「新本格推理」という定型なわけで、
 今や「ゼロ世代」(2000年以後デビューしたメフィスト賞系作家群)をはじめ、脱本格、メタ系(SF本格等)の作品群が、本格推理の最先端を行く現状。ゆえに、このポジションには、まだまだ(いや、まったく)推理漫画の方は追いついていないわけで、そこでもう一度、推理漫画仕掛け人の方々のビジョンに、コペルニクス的な転回がなければ、次の流行(逆に、物理学的な質感、トリックという具体的な技で勝負してきた新本格世代に対し、メタ系やゼロ世代は抽象性が高いために、つまり、わかりにくいうえ、絵画化しにくという難点があるので、流行しない可能性も高いですが)を生み出すのも、難しいかも?だから、どんどん斜陽していくのは仕方がないかも。
 それと、推理漫画から今、若手読者がシフトする際待っているのが、西尾維新さんのような壊れた本格の枠なので、明るく前向きにロジック推理していくコナンや探偵学園ファンは、はまるか、離れるか、微妙な気も(最近の本格ミステリは、ロジックよりも世界観、推理よりも暗黒文学にシフトしている傾向があるように思えるので)。
 なので、次に推理ブームが来るとすれば、次に健康雑誌がブームになるのは、男性群が健康をファッションのように楽しむ意識が芽生えて、市場性が生まれた時と考えられている(健康誌の)出版社サイドの分析と似ていて、今のゼロ世代をそのまま推理漫画へシフトしてくる土壌ができたときのような気も?(ちょっと考えすぎか)

 松本清張全盛期に、横溝正史が「今やミステリを書くなら、松本君の洗礼を受けていないとね」と言われたそうですが、最近なら、森博嗣さんとかが、これに当たるかもしれない。上記した「ゼロ世代」でも、ほとんどが、綾辻行人、有栖川有栖、森博嗣さん等の洗礼を受けているわけで、特に(21世紀の今)森博嗣さんのファンは多いですよね。
 その森博嗣ワールドの持つ、ある種のセンス。そのセンスと符号する世界を描く劇団。
「黒い兎団」の公演がこの2/21の19時より「倉敷芸文館」にてあるそうです。
 今回の公演は、3月に行われる「劇団・転機与砲」との合同公演の予告編だそうですが、ちょっとした仕掛けがあるみたいで、私は仕事を早退後、足を運ぶ予定。(今回は予告編のため、無料)
 追記=黒兎のYさんの作風は、森博嗣、京極夏彦を彷彿とさせるものはあるのは確かですが、ミステリにおける彼のルーツは結構古く、小学生時代のE・クィーン、ヴァン・ダイン体験が原点にあるだけに、なかなかトリッキーな作品を発表してくれています。Yさん曰く「今は、ミステリにこだわってはいない」とは言われるもの、必ず毎回、作中にトリックを盛り込み、意外な結末を見せてくれるので、きっと次回も、何かやってくれるはず。さて、次はどんな球を投げてくることやら?
 
「埋もれた青春」 赤川次郎読了。書評荘UP!


 
2月15日(日)先勝・水星が海王星の南約2度の位置に。
 自分は何故、推理漫画を推理してるんだろうと原点回帰。一つ最近、自覚してきたことは、自分の中に、厳しい読者を育てているからかもしれない。そして、その読者である自分の人格と、書き手である自分は、ある一点のみで異なっている(他は同じ)。
 それは、読者と作者という境界において違う。立場という一点が。
 でもこの姿勢、たまたま今、それに気付けているだけで、永続できるだろうか……まぁ、脳細胞の襞にでも、ペーストしておければいっか。

 養護施設で育ったという提案者(真剣十代しゃべり場)が、1日1回(家族のない寂しさをまぎらわせるせいか)動物に会いに、公園に行くシーンを見ながら、ふと短歌調のフレーズが浮かぶ。
 一夜明け、捨てられたチョコに合掌す少年遍路がポツリ「それは俺の影なのさ」
 差は圧力となって、少年の行く手を阻む。この世は橋だから家族も幻かもしれないけれど、あってあたりまえの物が無いと、人は平常心でいるのは難しいのは事実。結果、その後の人生も狂ってくる。狂った者には愛の手など差し伸べられることなどなく、世間の風当たりだけが友達となるのが未来図。だけど、温かい場所もあるでしょう。口の悪い人ばかりでもないでしょう。
 わかりあえる友達や恋人ができるといいですね。

 ヤングサンデー「なんてっ探偵アイドル」=やはり社長が怪しかった。でも、今回はメインの筋より、周辺のおかずが見せ場という感じの構成でしょうか?
 B・ジャンプ「公認会計士萌ちゃん」=業者が機械の誤認にて、商品を購入してもいない無関係者の銀行口座からお金を下ろすというケースが、今週のお話。しかし、それ(誤認)に対する慰謝料を払う裏で、そんなこと(?)が行われていたとは!?

 ある人から「座右の銘は」と聞かれたので口ごもる。
 至急、以前から頭にあった言葉を、一句にまとめてみることに!(チャレンジ)
・1「右手にトリック、左手に論理」
・2「両手にトリック、ハートに愛」・あるいは「ハート・トリック」
・3「ミステリ=トリック+ロジック+α」
 色々浮かんだけど、やっぱりこれでいこう(実は「ニューダニット」も候補だったりして)。
 その言葉とは。
 「左手にトリック、右手にペン」

 
「殺意は青列車が乗せて」 柄刀一読了。書評荘UP!


 
2月14日(土)赤口・P/2003E1 ニート彗星が近日点(楕円軌道上で太陽に最も近づく位置)を通過
 「名探偵コナンの推理」再度検証=もう確率と、作者の頭が文字を、どう認識、判断するか、その2点によりけりかと思うところに行き着き決断。
 ポイント=二川は三上と気付いた時点で彼にとってD暗号は漢字である。よってカタカナ、平仮名ではない。よって野々宮は除外する(他の除外理由は前レスの「結論出ました1〜」に書きました。例としてもしNEと書いた場合、煙草を1本減らし一本短いのを付け加える手もありそうなもの、二川はNEと書かない。名前は漢字で書くはず。最低漢字で書けなければ平仮名で書くはず等)

 御上説=二川は、河埜は誤認で「三上」と書いたから御上を呼ぶ、口止め料目的に。その際、御上は出向くもおそらく望遠鏡類は不使用(自分の道具=不利になる)。そこで逆に二川を殺害。御上が遺書を書く間に、二川の頭はこう考えた「6本では三上にしかならない。(この際D暗号は漢字と認識してるからM・Hという発想は彼にはない。よって漢字で発想)三上ならさっき台帳を見る限り字は違う=誰にも伝わらない。カタカナも相当煙草を足さねばできぬ。そうだ下の名で示そう」と平八と書いた。(この時点で二川は、御上を書く際、漢字で平八と書く以外なかった。姓の「御」の字だけでも御上とわからせることもできるが、御の字は本数の面で断念する。これが天土の場合、天の字だけで書けるから、天土は7本でなく4か5本あればできる点=気にかかる点)
 この説は、殺害の動機、遺書を書く動機ともに濃いこと。

 天土説=天土は、二川が台帳を読む意図がよくわからぬも(そのため、呼び出す動機も少し弱まる)、F・H=二川と判断。二川を呼ぶ。問うために=ここで分岐点に差し掛かる。
「お前がやったんだろう、F・Hがそう示している」と天土が迫る。「F・H?何のことだ。あれは河埜が御上を三上と間違えただけだ」
 岐路1=「何を理屈言ってる。御上を三上なんて読むか。ふざけるな」といきなりすごみ、周囲の棒か枝を持って、突然襲い掛かる?(何故、そこまでやるか動機に欠けるも……=説得力の有無は作者がどう理由をつけるか次第)
 そこで下記の台詞を言っていれば思いとどまると思われる。
「今、台帳の順を確認した。河埜は1番客で御上の漢字を知らなかったんだよ」と二川が言うなら。天土は、絶対に二川を突然殴ったりはしないはず。まず彼の話を聞こうと。

 岐路2=天土が呼び出した時点に戻り「お前がやったんだろうF・Hがそう示している」と天土が迫る。「F・H?何を言ってる。あれは河埜が御上を三上と間違えただけだ」と二川が言うのに対し「何だって、間違えとは何だ。話を聞こうじゃないか」となった場合=「あんたが何でFHなんてイニシャルにたどり着いたかわかんねぇが、今、台帳の順を確認してみて俺は確信した。河埜は1番客で御上の漢字を知らなかったんだよ。だから三上という字を残したんだ」「何だって、ああ、ああそうだったのか」と天土は納得して、二人は和解する=二川は生き延びる。

 岐路1の続き=二川が天土が、かっとなった挙げ句に殴打された場合=天土は遺書という形で事件を葬ろうと考える。
 その際の二川の頭=「今ある煙草で天土と書くには、1本足りねえ。土の字の上2画は小煙草でいいが、そうだ、1本足して、土の下の1画に充てよう。さっき天土が言ってたイニシャルにしろ、ARなんてできねえし、カナもカタカナも本数がいりすぎる」と考え、天土と残した。
 そこで疑問点1=何故二川は「待てよ、天でもいいじゃないか。本数を足さなくても、減らして天にしよう」という選択肢も選べたと思うのと、天の字の左右非対称が気にならなかったという点。

 よって、この事件は、作者が「天の字の左右非対称が許せるか許せぬか」で、つまり考え方次第でどちらも正解になるところがD暗号の持つ論理の弱いところ。
 そこであの伏線を重視して「NEでも平八でも天土でも7本でできる」という言葉が伏線なら、犯人は御上説が高まる。

 何故か、NEが野々宮とするのは余りに横暴だから。Eの字は小煙草3本でないと字として把握できないはず=そこで作者が「3つのD暗号」とも一応、読めるが、一番字として格好がスマートな字を結論とせよと、読者に求めているなら、NEは違うはず。
 そして、天土も、どうしても天の字の人が(小煙草をもう1本を足さない限り)左右非対称になる。こんな不恰好な字は論理的におかしいと作者が言いたいなら、天土は外すしかない。(この辺、作者の頭次第)
 よって、一番綺麗な字は「平八」となる。二川は6本では御上(漢字かカナ系)が描けなかった=姓は書けない=平八としか書けないとなる。
 小煙草2本で平の\ / の部分に充て、他の大煙草5本で字を構成したという結論に行き着く。
 だから確率と、作者の文字に対するこだわり次第。
 そう考えると、まだ迷いはあるもの、確率は、二川殺しの犯人は御上平八の方が高いと私は判断。比率は6:4か、あるいは7:3ぐらい?

 複雑な1日・知り合いが話を聞いてもらって今まで悩んでたことの霧が晴れたと言っていたから、私の娘のカウンセリングをしてくれませんかと、ある母親から頼まれ、話を聞いてると、こんな人生も存在するのかと感慨。だけど私と話して癒しの森へ行けた。みたいな事を言われたので、詩人みたいなことを言う子だと思ったけど、落ち着きの種を得れてよかったですね。だけど、考えてみると、私は一体何者なんだ。人に手を差し伸べる以前に自分のちっぽけさにうろたえつつ歩く日々。ホントは自分こそ癒しの森を探してるんだろうけど、まぁ自分が斜陽系だから人の抱える斜陽のメカニズムを分析、その結果、何か物が言えるのかもしれない。

 夜、夜想や句会でお世話になっているSさん宅に招いてもらい鍋パーティー。文学の話で盛り上がる。文芸春秋の話から俳句、タンゴ、甲斐欄番さんの「徳望」の話。
 県(真備町在住の)在住のある女流作家の方の話。アートガーデンの話。しかし、いつもながらにSさん夫婦の文学観は深く高い。甲斐さんの作品を出汁にして申し訳ないもの、結構カライ(お二人の古くからのお友達という面もあるもの)。私は構成だけは気になったもの、小説としては面白く読ませてもらいましたが、お二人の目はホント、肥えていると実感。読者を舐めてはいけませんね。そう言うことでしょう。だけどおもてなしのお酒が美味くて美味くて酔い酔い。
 
「風水探偵タケル 四三の外法」 六道慧読了。書評荘UP!


 
2月13日(金)大安・下弦の月
 下弦の月へ弦張りて月の調べを奏でよか。その月の音色で兎も踊り、今日の餅は「良」印。その餅にふと「下弦の調べ」そんな名前でもつけて月面基地で販売す。コロニーへ届け、月の餅。地球人懐かし餅の味。時差があるからCMは遅れてくるけど、その遅れ。今じゃあそのレトロチックがたまらない。白黒TVみたいなレトロ感。遅れてくるのがナウいのさ!
 お腹満腹、餅食べて、腹ごしらえしたら出かけよう、月の餅は栄養剤。月の餅喰って鬼の占拠する月軌道上に浮かぶもう一個のコロニーへと鬼退治。実は裏の手用意した。下弦の月とは擬似太陽(即ちミラー)使って起こした1/2の喰いかけリンゴ。半面の影から出撃し、闇から登場、我等宇宙お化け。鬼たちに向かって月曜八時四十五分頃のお約束だったか「控えおろぅ、この月の紋所が目に入らぬか」そんなこと言ったって通用しない。タタラの片目に涙浮かぶ。話を聞いたら鬼たちの言い分もわかったので、右手にす、新世紀系節分の豆を床に投げ、番組自体を(大岡越前に)切り替える。
 大岡裁きを用いよう。納得いくまで話し合い、鬼退治ではなく、鬼裁判。支離滅裂な番組だ。だけど和解も成立し、にっこり笑うはお月様。

 出だし、「下弦の月に弦を張る」といういいフレーズが出たと思ったので詩でも書こうと思ったら、何故かユーモアSFになってしまったと分析。自分が今、パロディ満載な話を読みたいと思っている表れだろうか?

 ようやく読んだ「名探偵コナン」(時間なく斜め読みながら……)=頭痛発生。最終推理で御上説に切り替えたけど、何っ、天の字の人の部分、左右非対称でもOKなの、コナン君?そうか、その程度の論理の穴は許容できると言うことか……それなら話が早い。では犯人は天土だ。
 流れを書くと、前回推理した通り、二川が河埜の漢字のD暗号を受けて(つまり三上と解釈)、二川は漢字で書いた。そこで平八も候補に上がるけど、やはり2/7、8日の日記に記載した通り、「右端にある煙草の折れ方は、八の字の右に当てはめるよりも、 天の字の「人」の左側に当てるのが自然」と解釈し、やはりあのD暗号は天土を示すと決断!
 確かに迷いもあるけど、例えば8本(ノノミヤとか)だったのを、二川の手から1本引いて、誰の名にも取れる7本にしたとか、でもここは台帳の順番と、下の名を知らぬという発言から、野々宮は除外せよと言う作者の信号と解釈。次に御上。御上が犯人の場合、二川が下の名を書くのはどうかと思うし、D暗号=漢字なので、二川がイニシャルで書くのはやはり、おかしいかはず。なので犯人は天土。招待状の送り主も天土。河埜殺しのみ御上。

 「探偵学園Q」推理もう一つ追加=消えたナイフの問題に触れてませんでしたが、ナイフはおそらく、犯人が、第一発見者であるメイド役の子の荷物にでも紛れさせているのではないでしょうか?(何となく)
 
「太陽の塔/ピレネーの城」 森見登美彦読了。書評荘UP!


 
2月12日(木)仏滅
 今日も「サンデー」捕獲できず。コナンは遠くなりにけり。そこで昨日書いた「探偵学園Q」の推理の続きを。真夜中、夢うつつになりつつ、何故ハンガーがないのか考えると、もしやハンガーにある仕掛けがあったかもと、ひらめいた!
 論理の繋げ方として、ポイントをハンガーに触れた事に置くと、あることが見えてきた。これは毒殺では。次に毒殺に必要な伏線を探すとあった。グラスだ。
 グラスを割った女性(名前忘れ)が犯人に違いない!何故か、グラスを割れば傷が露出する。そして、だから彼女はバンソウコウを隠した!傷をふさがれるとこれから行うトリックを上手く運べないから。(ここがロジックのポイントに違いない!)
 何故か。ハンガーに毒を塗るためだ。だから(更衣室へ戻る先生の)露出した生傷に毒は触れ、結果、先生は毒死した。
 これが犯人のトリックのはず!そう、ハンガーの一部か、全体かどちらでもいいけど毒を塗っておいたに違いない。塗るだけなら(更衣室にて)他の人が触れても毒死はしない。ではハンガーはどこへ消えてしまったのだろう?(ここで又、考える)
 あのコートの真下にでも隠れているんじゃないだろうか。転んだ拍子に滑り込んだ。(先生の体の真下かも?でもコートっぽい)全員集合してるから、まだコート下にあるのでは?
 そうなると、コートを脱がせず、ずっと着たままでいるよう、脚本の変更を止めた犯人(グラスを割った女生徒)の意図も見えてくる。
 コート裏かシャツの背に血糊でも塗っておいたんだろう。そして、もう一つ、マリア像につけた血痕。これは傷=背中と、周囲に先入観を植え付けるために犯人が仕掛けた心理トリック。以上、証明終了。
(今回マガジン購入してないので応募券も手元にない=応募できませんが)でも年に一度ぐらいはサンデーもマガジンも買うべきと背を突付かれる。神の見えざる手に?せめてコミックスぐらいは買わないと(「名探偵コナン」2冊「探偵学園Q」1冊という所有数は少なすぎるかも……でも今でさえ本代だけであっぷあっぷしてる状態なので食費は聖域にしておかねば)
 神の……この台詞を使うと、本格ミステリの超人?柄刀一さんを喚起。そう言えば私一押し作家の一人「柄刀」さんの新作「殺意は青列車が乗せて」が刊行されました。私は近日中、購入予定!
 
「塩の街」 有川浩(第十回電撃ゲーム大賞)読了。書評荘UP!


  2月11日(水)先負
 じゃがいもを、がじゃいもというのを「音位転倒」というそうです。言い換えると、アナグラムでもありますね。個人的に「音位転倒」には、アナグラムが付属してるんだから、別の言い方もありかなとか思ってしまいます。
 単純に「言位転倒」と勝手に造語化してみることに。

 夜、某コンビニで一冊だけあったサンデーを手にしようとしたら、サッと横から手が。なので今日も読めず。おそらくコナンに見放された=推理外れを予知してると解釈。頭切り替えることに。なので、何故かたくさんあった少年マガジン「探偵学園Q」を再度読む。
 時差の真意がまだよくわからない。全員集合後に殺害という時差トリックなら、どうやって凶器を隠したのかがわからない!メイド役は第一発見者だけに犯人ではないと私は踏んでいるので、おそらく犯人は脚本家だと思うけど。だから時差は全員が来る前だと思うけど……?
 まず先生(被害者)は棚からハンガーを取る。この時上の箱でも落ちたか?(落ちる仕掛け=ハンガーにテグスが付けられていて、それが上の箱と連動とか?でも箱の片付けはどうしよう?)先生は倒れて気絶?右手にコート、左手にハンガーを握って。
 背中の傷は、ただの血糊で傷などはなく、傷は頭部のみに生じた?傷は背中と印象づけるために、マリア像の背に傷を付けておいたのが犯人の意図?(皆が立ち去った後、剣を刺そうと考えているのでは?)
 でも箱なら、どうやって処分したんだろ?それと犯人は何故、先生が右手に握っているはずのハンガー(作者は、何を握ってるのかを推理させているので、ハンガーを握ってたかどうかもわからないけど)を持ち去ったんだ?何のために、意図がわからない?置いてていると、何かまずいのか?そして、いつ持ち去ったんだ?思考停止。
 正解ではないかもしれないけど、こんな手はどうだろう。この案の場合、犯人は練習中にグラスを割った生徒となるけど?(名前忘れ)
 先生の血液をあらかじめ採取するために、グラスを割り、床に落ちた血か、拭う物を利用して採取?そのために、ばんそうこうを隠した。その血液を入れた(弱点は血の量、そんなに採取できないけど)水を凍らせ、小刀の刃の部分だけを作る。  それを先生が更衣室へ行く寸前、棚の上かどこかに潜めておく。
 そして、棚からハンガーを取り、コートをかけようとした先生は、ハンガーと(テグス)で連動した血糊を固めた赤い氷の凶器の落下によって背中を刺された?
 きちんと背の辺りに落下するように、一つだけ服のかかっていないハンガーより、体一つ分、背後の(棚の上の)位置に、刃を斜めに向けて仕掛けておく。テグスと連動して、箱と箱の間かも?
 これなら、氷が溶ければ凶器も消えるし(テグスの回収も、全員集合後でも透明なだけ、うまくやれば回収可能なはずだろうから)。時差トリックは可能となる気も?
 でもハンガーが何故ないんだ?ハンガーが氷の凶器だったとは思えないけど……私の推理、全ての伏線を収束できていない時点で、まだまだ詰めが甘いかも?(でも推理も結構大変。頭がそちらへ向く分、他の課題は全て後回しになる……西尾維新さんじゃないけど、ロマンによる首締め状態か)
「刺青」 藤沢周読了。書評荘UP


 
2月10日(火)友引・月が赤道を通過
 中世時代(西洋)、聴くだけで自殺したくなる音楽が流行したそうですが、旋律というものは、気分を左右するのかもしれませんね。こちらは音楽ではないですが、福沢安夫さんの「ホームレス日記」読んでると生きる気力が無くなってくる。
 世の中の過酷さを、肌で感じさせてくれるほどに詰まってる臨場感。映画もそうですが「ドキュメントにこそ真あり」かもしれません。
 ライター会議に参加して下さるIさんが以前「会社で校正をしているせいか、多くの自費出版原稿に目を通してるんですが、自分史は凄いですよ。小説読むよりも、人の自伝を読む方がよっぽど面白い」と言われていた言葉。本当かもしれませんね。でも小説と自伝の違い。そこをきちんと見つめねばと、私は思ってはいますが。

 豊国神社(秀吉の墓)の北に、北斗七星の概念を用いて、方広寺が置かれたという易の論理と、家康の東照宮(ある地点から見た北に東照宮は置かれたという)論理の根は同じ。と言うのは頭の片隅にありましたが、面白い仮説をあの漫画が描いてました。
 S・ジャンプ「ゼロ」=秀吉の墓のあるという豊国神社。易の観点から(わかりやすく言うと「風水」的に)、その線上にある「西本願寺」を封じ、秀吉のパワーを弱めるために、家康は「東本願寺」を建てたという説は面白かった。
 だけど、方広寺の大仏殿が火事の際に流行した歌の歌詞にある「後ろの正面」の歌詞と、秀吉の遺体のありかを結び付ける発想は、なかなか。(秀吉の棺おけは発見されてるそうですが、それは足を折って入る棺おけなのでこれは地位ある人の埋葬と違う《秀吉程の人ならあお向け》とされ、そこで漫画では発見する話。でもホントに、方広寺の大仏殿の前の部屋の地下に、秀吉の遺体があったら凄い??私なら、その部屋の天井に何か別に目を向けさせる偽の手がかり《つまり暗号》でも描いておき、実は遺体は、天井裏に隠してあったという落ちでまとめたいところ。いや、それなら思い切って、秀吉の体を五体に分割し、それを全国五ケ所の大仏殿の地下にでも隠しておく話の方が、本格ミステリとしての謎の度合いは高いか。でも壮大な作品になりそうな反面、罰当たりな発想なので、小心系の私としては避けたい発想)

 何故か一日早く発売少年マガジン「探偵学園Q」=(その前に、サンデーは売り切れてたのかチェックできず。明日読もう)今回は犯人当ての応募もあるみたいですが、とりあえず私は応募見送り。でも少し取り組もう。
 脚本が根にあり、それによって全てが動かされてる気もするけど、グラスが割れたことと右手に握っていた物との関係性に迫れない。これも脚本の何かが割る因を作ってるかも?
 先へ進めて、その後、遺体の右手が握ってたのは、その手の形からナイフだろうと思うけど、わからないのが、それを犯人が握ってるまでの流れ。握るではなく、駆けつけた後、服に隠してるのでは?でも、時差トリックなんだから……。
 何となく、ハンガーに剣が隠されていて、それを先生がハンガーを(右手は痛いから)コートを持ったまま左手で取る、そこで脚本を思い出して、コートに何故か包んでしまう。その後(人が来たので?)、無意識にも脚本どおりに手に持ったままコートを背中へ回してしまった際、そのコートに隠れるナイフが背に刺さったのでは?そんな動作が脳裏に浮かんだけれど、どうも詰めが甘い気が。つまり把握量が足りない。
  
・「ホームレス日記『人生すっとんとん』」 福沢安夫読了。書評荘UP


 
2月9日(月)先勝・小惑星エウノミヤが衝(太陽と小惑星の黄経差が180度)
 財政危機で、国レベルで国民から採取する手法。それが眼に見えて激しくなってると感慨。例えば自宅付近に(点滅)赤信号があるんですが、最近は毎日のようにパトカーが張り出し始めた。(死角に潜み)
 一体一日のノルマがいくらか知りませんが、かなりの数の車が減点+罰金で泣きを見てる気が。(その道の需要が高いだけに、その場所の取り締まりを強化しているんでしょうが)
 それに警察って本当に人の生活を保護してるのやら。福沢安夫さんのホームレス日記という本を読み始めると、CDプレイヤーの販売をしていた福沢さんは、不景気のせいかディスカウント店で皆が買い始めた挙げ句に歩合制の給与では家賃も払えなくなり、サウナを転々し、サウナ代も払えなくなった挙げ句ホームレスになったそうですが、その福沢さんが、得意だった絵を活かして、生活のために、上野公園で絵を描いて売買してると、それにストップがかけられ、テントごと追い出される場面が切実で、人の生死に関わるだけに、何故その商売まで取り締まるのかと感慨。ストリートで稼ぐミュージシャンとかを代表に、たまたまその場所が路上というだけで、自分の作品を売って生活を成り立たせるという行為は、生活のためにやっていることでしょうし、今やそれが、都会を中心に文化と化してきているのではと思うだけに、その自給自足的な生活を公的な力で追いやるのはどうかと。
 それよりも、国民から集めた税金で豪遊(海外旅行等)とかしてる官僚とかの方が、よほど、どうかと思うけど。(お金儲けは商才次第というか、知恵のある人ほど、お金儲けが上手いという論理がそこに潜んでいると言うことかもしれませんが)

 故松下幸之助さんが「不況で、企業からお金が回ってこなくなったから、ようやく政府も、あぁ、お金と言うのものはそんなに簡単に手に入るものではないんだなということに、ようやく気付き始めた」という言葉を残していますが、絵の売買を取り締まる前に、人の生活というものの本質に眼を向けるべきではと。マニュアル捜査がもたらすのは心の盲目の加速だけなのか?
 実際、生活を成り立たせるために絵を描いて売り出したんでしょうし、人の暮らしを成り立たすその応援という視点も国レベルで欲しいところ。
 法律は需要の母ではなく、マニュアルの部下になっているのが、近代なのかもしれません?

 ヤングサンデー「なんてっ探偵アイドル」=あきら以外に社長しか出入りしてないし、犯人は社長以外、思い当たらないけど。何故こんなにも情報を提示しないんだろう?今回は焦点が犯人当てにはないと言うことか?

 ヤングマガジン「リモート」=犯人は正解する。(やった)
 ただ論理の一部に相違があった。
 私(薫葉)の論理(2/3の日記参照)=カップを弁護士は触れず、祖母も触れず、入れた三女は外し三人に絞る(ここまでは正解)さらに長男まで到る(ここまではいいとして)。
 長男は、弁護士がアールグレイを飲むことを知っていて、まず弁護士へ渡し、祖母に毒入りを渡した。そして紅茶自体を頼んでいないのに弁護士は誤って飲んでしまい、本来飲むはずだった不動産屋に、祖母は「私のをどうぞ」と勧め、それに毒が入っていた。

 作者の論理=長男は、アールグレイが二つあるのを見て、一つに素早く毒を入れ、毒入りでない方を自分が弁護士に渡す。毒入りカップの方は手に触れず、妹に回してもらう。もう一つ(毒入り)は必ず祖母へ行くことを踏まえ。しかしそこで長男はミスをした。いつも弁護士はアールグレイを飲むことを知っているだけ、まさか今日に限って頼んでないとは。それを先に聞かずとっさに弁護士にアールグレイを渡してしまい、いつもの癖で弁護士は紅茶を飲んだから祖母が気を利かし自分のを不動産屋に渡したので、不動産屋が死んだ。つまり長男は祖母狙いだった。

 ここで何故私は、論理の筋を外れたか。少し言い分もある。それは普通7人いるのに、何故紅茶は6つしかないか。それを長男が気付かないのが疑問。これから毒も入れるし、神経も過敏になっているような状態で、6つをどう7人に配るか、それを先に考えるはず。つまり、紅茶のオーダー者を聞いてから配るはず!それもせず、6つの中の2つのアールグレイを見た瞬間、これはいつも飲んでる祖母と弁護士と判断まではするだろうけど、何故7人いるのに1個足りないのか?と論理が繋がるはずなのに、長男は繋げず弁護士へ渡した。そこで私は長男は祖母に毒入りを回しつつ、弁護士の癖を見越してアールグレイを渡し、弁護士が飲んだ所で祖母が、本当にアールグレイを頼んでいた不動産屋へ渡したと考えた。つまり不動産屋狙い。まあ、それはいいとして犯人が当たってるのは幸い。と、毒を入れた方は手に触れず、容疑者から外れようとした長男の作為というアイデアは、ミステリとしてなかなかテクニックを駆使してると感慨。

 「名探偵コナン」(サンデー版)=原点に戻ると、もし天の字の場合、左右の長さに差が出来る=となると、犯人は御上かも?(天土だと思ってたけど、最後の最後に又、迷いが)

 「名探偵コナン」(TV版)=暗号は苦手と自己分析してる私。今回の事件の検証は去年の6/4,5,11,18(解決)の日記にて推理してますが、解決に到れなかっただけ難解だった。でも外れてもいんですよ、一応目的は完全解決より思考の可能性を広げる事にあるし。だけど最近は「岸から岸までに続く一直線の航路を見つけるという具合の、直感推理」になりつつある分、このまま完璧さよりも、カンを高めることに徹しよう。カンに潜むメカニズム、論理を平行にて検証していきながら。
  「天外魔境ZERO―炎の勇者たち」 広井 王子&レッドカンパニー読了。書評荘UP


 
2月8日(日)赤口・月と木星が接近
 「ライター会議」=夜想にも来ていただいたNEOさん来場。興味の範囲が科学、映画、文学と多岐に渡るそうなので、早速、量子力学のお話で幕を開けることに。
 私、最新のはついていけませんが持論あって「電子が壁を通る理論って、何となく、壁をホントは突き抜けてるのではなくて、壁を叩いた際、それが振動として壁の向こうの空間を揺する=そこで壁付近に電子が生じる?」とか(これはあるか)
 もう一つ「壁を通り抜けるのは電子よりさらに小さな素粒子だけで、その壁を抜けた素粒子が(振動の力が、偶然にも壁の向こうにて磁力と化すことによって)その素粒子が(磁力により)一箇所に複数集まった結果、一つの電子として結合。した。そんなメカニズムでも潜んでいるのではないかと?(ロマンがないなぁ……)

 でも博識のMさんはそれを宇宙論へ持っていき「アメリカアリゾナ州のツーソン会議」で取上げられている「四次元論」を持ち出し、太陽クラスの星のエネルギーの力を利用することで、空間上に次元の穴を開けることが可能という報告書などの話題を口にし始める(ちょっと話が逸れているような気も……)でも、太陽規模のエネルギーを利用することで開ける次元の穴という理論???単にそれって、空間に穴を開けると言うよりは、磁場を生じさせているだけのような気も……。しかしMさん、ホントに博識です。
 
 作品の方は、遥伸也さんがなかなかいいものを書いてきてくれました!今回のファーストキスというテーマを上手く扱い、落ちで収束。力まない文体。無理のない展開。叙述による意外な結末と、一日でプロットを立て、ほぼ徹夜で書いたとは思えない出来栄えでは?だけど遥さん、原稿用紙換算枚数30枚近くも書いてくるとは(読みなれていない初参加の人の視点にたつと少々多いかも??)。私でも18枚ですよ。
 でも今回の作品、かなりミステリ・ミステリ!してましたね。特にXX心理の扱い方が見どころでした!

 私の作品はライトな文体で、究極のXX愛?を書いたSF。一応、叙述トリックも用いてるので、ミステリ的な一面もあるも、今回のポイントはアイデアに尽きるかも?そのアイデアに関すると、ちょっとしたパイオニアをやったのではと自負?トリックやロジックの冴えた物語ではなくSFとしての小技を見せた?そんな感じ。NEOさんの感想は「自己言及型のパラドックスみたいで、なかなか面白かったです」と。どうも。
 博識のMさんからは、パラサイコロジーを例題に挙げていただきながら、感想を戴く。

 評は早めに終わり、アフターは某店にて団欒。
 NEOさんは「ニュー・ロマンサー」などサイバーパンク系のSFを愛読しているそうなので、SFの話。てるさんの格闘技系創作の話。間に遥さんが映画の話を入れたり、今年の芥川賞の話題になったり、私の本格ミステリ論になったり(コレ、長くてスミマセン)、キャラ談、本格ミステリとして、コナンのココを見てほしいという話や、夜想や、皆の創作の悩み等々……なかでも特に印象深かったのは博識のMさんから聞いた「民主党にまつわるイロハ」
 さすが、Mさんの身近には関係者が多いだけ、色々と勉強になりました。でもNEOさんの言った「話を聞いていると、本格ミステリと言うのは、小説で読者を獲得するのは難しいかもしれませんね。そんなに緻密な設定なら、漫画の方を誰だって読みますよ。科学で解くという構造なだけに、わかりやすい一面もあるとは思いますけど、小説の読者層を増やすのは大変でしょうね」という言葉は結構コタエタかも。
 そうですか、本格ミステリの読者層増やすのは至難の業ですか。やはりそのため(読者獲得法)のトリックを考えねばならないと言うことでしょうね……でもこれ以上最大のミッシングリングって、他にないかも!?

 コナンの推理難航中=もう一度煙草を再確認。やはり右端の煙草の折れ方は八の字の右より、天の字に「人」の字の左側に当たり、もう一つの(やや)折れた煙草(他の二本の内、天の字の人の字の右側に当てはめると何となくしっくりとくる方)が、その(天の字の)片割れではないだろうか?
 あと、二川は台帳を見たとしても、普通人が、人の名を記憶する際(姓名のうち)下の平八なんて名前まで覚えているだろうか?山田平八という人がいて記憶するのは山田だけのような気も?
 それと、他にも星座の線も念頭に入れたけど、7つだから北斗七星とか?でも形は違うし、論理繋がらず……次のヒントを待つしかないか……。

 
 
2月7日(土)大安・「キミボク派を極めると、文学に到る!?」
 朝起きると、そのままベッド内で転倒。そのまま無意識状態へ(単に寒気+眠気=風邪のせいですが)。お客さんからの電話の音で目覚めると、今日は「休日御免」光線を電話の向こうへと送り、謝罪。ああ、声ガラガラでしたが、きちんと日本語として相手に届いただろうか。でも考える力も出ない。
 しかし、寝ている間にSFチックな夢を見た。それは、イラクにD・ランドみたいな巨大遊園地が出来る夢。やはり頭は別次元へ行ってたらしい?
 災いの中の小さなツキ=ライター会議用原稿を水、木曜日の二日で書き上げていたこと。(今、書く気力がない分、ツイてた)

 最近、複数のサイトにて「キミボク派」論争が起きてますよね。中身は年齢や世代戦争みたいなもので、実は「キミボク派」って、誰もが通り過ぎる「過程」のようなものな気も。
 年配者は振り返って、自分の過去から得た反省を語るから、それは語る方の論理であり、結論。
 だから今、キミボクを求めてる人に意見を言うのは、過去の自分に言ってるだけで、実は自己確認であり、ああ、あの時もっと広い視野で物語を考え、書くべきだったと大人の視点から見た言葉。では、その未来から見て、若い世代に、私の経験の位置から共に始めよう。それが推理界全体にとって貢献度も高いはず。そして、その境地から初めてこそ、21世紀の今、本当にすべきことが見えてくるのでは?+それを考えていこうという意見な気が。
 その高い位置から発信する意見なので、おおかた正しいはず。
 でも、もう一つ視点があって、今出てる批判は、過去のイメジから見た「キミボク派」へ向かう「これまでのキミボク派の持つフォルム」へ対する意見なので、今のように新しい形として進化してきている?キミボク派の方向性に関すると、全てを言いえてはいないかもしれません。ただ現時点では弱いと思うけど。(次世代のキミボク派は、さらに視野が広いはずでしょうし)
 例を挙げると「機動戦士ガンダム」以前以後論争に似てるかも?
 例えば、ガンダム以前なら、ロボットというイメジにリアリティ、科学性が乏しく、大人にしても「漫画やアニメばっか観るよりも、勉強しろ」が合言葉だったでしょうが(つまり今のキミボク派が批判されてる稚拙なイメジに似て?)、サンライズの富野さんの登場で、ロボット漫画(アニメ)は確実に進化!
 話を戻し、でも議論って新たな視点を産む母親ではとも私は思いますし、議論から新たな形が見えてくるかも?(無駄でないはず)
 ちなみに私「キミボク派の奥底に、無限があるのでは」とも思っています。それは文学の人間を描くということと根が同じだと思うから。
 つまり、新しい古いと言うのは、デザイン的なところだけで、本質はキミボク派を究めると文学に近づくのでは?そんな気も?
 昨日考えた。今週のコナンの推理結論。(夜想の後で、こんなことしてるから、風邪の治りが……)

 推理=まず天土は、事前(招待状を送る前に)に煙草を発見し、これは「三上」(6本のうち、大煙草を五箇所に使い、他2本のちぎれ煙草の使う場所は、「三」の字の真中と、「上」の字の横棒に用いる)を示している。あるいは「FH」(二川)を示している? どちらかを示してるのではと判断。それと、リングの持ち主も気にする。
 そこで、河埜が泊まった時の台帳から、「三上」「FH」とリングの持ち主を調べた。 すると、台帳から二川と、フィアンセの野々宮に到る。しかし、三上はいない。そこで天土は考えた。もしや河埜は、三上の名を読みだけで知ってたのかも?初対面ではと。
 (そこは、彗星の関係がありそう=何かはわからない)
 そこで「三上」=御上と判断し。
 この三人に犯人がいると思い、二川と御上野々村に、招待状を出した。真犯人を探すために!
 だからアガサがガードしてたのに(さらに一瞬しか見てないのに)、コナン等が見た煙草の本数を言えた!(←伏線の説明)
 だから天土は、電話を取った時、その(多分)直前に電話線を切った。(←伏線の説明)

・「天土が河埜殺しの犯人でない理由=もし犯人なら、河埜は、煙草の数と天土の名を符号させるはず!しかし、彼は天土の名を残してない。どう並べてもFHか三上にしかならない。何とか「アマ」の字にはなるが、アマならARか天土になる本数にするはず=天土は犯人ではない。
 例外=もし天土が犯人の場合=必ずD暗号を発見しているはず=しかし、その場合、煙草は天土を示しているはずだが、天土の視点に立つと、本数を変えるなんて面倒なことは絶対にやらない=いつ見るかるかわからないから=D暗号は発見が確実の時にのみ、普通偽装する=そうでないと効果はゼロ=だから発見と同時に箱ごと処分するはず=D暗号を偽装しない=天土は犯人ではない!)」

・御上の視点=D暗号発見後、部屋に戻った御上は、さっき聞いた煙草の話から、まさかそれが自分を示す暗号なんてないだろうと、煙草を並べ替えてみる。余裕のある表情だったのは、まずこれはFHにもなることに気付いたから。コマではその後、まさか自分の名にもなるかと並べ替えて上の字を作っていた。

・二川の視点=D暗号発見後、部屋で煙草を並べ替える。自分が犯人でないのは当然だから、あの夜に泊まった誰かが犯人と思案し、「これは三上じゃないのか?あのミカミの字はどうだろう。もし字が違っても、あの時、河埜は御上の名を、読みでしか知らなかったんじゃあ」と、台帳を調べ。御上は三上のはずだ。やっぱり読みでしか知らなかったという結論に到り。犯人の御上(ミカミ)見つけたりと、笑う。

・天土の視点=それを見た天土は、台帳まで見て確認するとは。こいつが犯人だと思い。呼び出す。二川は、天土は犯人でないから油断して会いに行くと。殺害されてしまう。
 そして、二川は、漢字で天土とD暗号を残した。河埜のD暗号が漢字だったから、今度も漢字で。
 即座に駆けつけた天土は、前回同様D暗号を残されたらやばいと、二川の手の煙草を発見。自分を指すと思い、他の人に濡れ衣を着せた。
 しかしこれには、欠点がある。
 それは、D暗号が、7本でも天土と読めないことはない=折れ煙草1本で天の字の左縦棒として使用できるので、7本で天土と書ける。
 だから、発見してたら別の字になるよう本数を変更=天土は二川のD暗号を発見していない。
 発見していない場合、
 では、7本は一体誰をさすものなのか?
 天土か、御上のはず。=天土か、MHか平八を示す以外に考えられないから。

 よって、天土が二川を殺した場合=二川のD暗号は彼が書いた以外考えられない。(ポイント1)

 そこで天土の動機が弱いことにひっかかる=天土の目的は、(煙草発見から生じた)犯人探しなのに、それが復讐?となり、果たして二川を殺すまでに到るだろうか?
 動機が弱い=もし河埜と古い友人だったならそれはクリアできるが。不明。
 もし、動機ない場合は=話し合いの際にかっとなって殺した。=この場合も、二川がD暗号を残した後、天土はD暗号を偽装していない=見つけたのに、天土と読めるのをそこには残さない=よって、天土がかっとなって殺害した際でも、二川のD暗号は彼が書いた以外考えられない。(ポイント2)

 あるいは、御上が二川を殺した可能性が高い。
 ただ弱点は、何故、御上が二川を殺したのか?
 考えられるケースは、御上が二川を呼んだのではなく、真犯人に気付いた二川が「話しがある」と御上を読んだ。
 そして、御上に「お前が犯人だろう」と迫った二川は、怒った御上に殺された=その場合、二川のD暗号は、100%二川が書いたものとなる(誰も触っていない)  その理由は=もし御上が発見していたら、自分(平八か、MH)の名を示す字がそこにあるんだから、必ず偽装する。(ポイント3)

 ここまでの確実なポイント(ポイント1〜3から)=二川の残したD暗号は二川自身が書いたものである!

・二川の視点=ここまででD暗号は二川自身が書いたもの以外考えられないと結論=彼にとってD暗号とは、最初の「三上」という認識。つまり、D暗号とは、漢字と認識している=よって自分がD暗号を残す=漢字で残した。

・漢字=D暗号は「平八」「天土」両方とも漢字で読める=二人の名を示すように書くだろうか?
 もしや、第三の人物による偽装かもしれない??=もし二川が御上を呼び出さなかったら=英語のイニシャルを窓に書き、犯人はFHに到った野々宮がFH=二川と思い、二川を呼び出す。
 そして、殺害?
 下へ行くと、彼は手に、NEと残していた=Eの上下の横棒のどちらかだけをちぎり、一つそこへ残し、残るEの上下の一本をそのまま持ち去る=だから天土か、平八を示す本数となった?(天土ー野々宮共犯の線はない=天土の名はそこに残さない。・御上ー野々宮の共犯の線もない=御上の名をそこに残さない)
 この場合、問題は時間。落とした後、偽装まで到れるかどうか?  それと、D暗号=漢字と思う彼が何故英字で残したのか?=漢字が描けなかった?
 もし動機が濃ければ、天土が殺害。(D暗号の偽装はない)
 天土の動機が薄く、野々宮に偽装時間さえあれば、野々宮。

 結論=やはりD暗号は天土を示すものだったのでは?=理由=D暗号はやはり漢字で書いたはず=煙草の折れ具合に注目=一本だけ上部が折れている=二本なら、その折れ二本で八を示して「平八」と読めるが、一本ゆえ、これは天の一画と判断=D暗号を天土が偽装できる可能性はない。
 よって、二川殺しの犯人は天土。 招待状の差出人も天土。
 河埜殺しの犯人は御上。

(でも今日もう一度本を見直しにいくと、3本に折れが見えました……でも一本の折れ具合が、天を指している。その線が濃そうなんだけど……でも最悪、二川殺しの犯人は天土か御上までは絞れるはず)

 
 
2月6日(金)仏滅・満月
 風邪ひいてバタンドテンムトントンQ。今日はチボリ公園行きたかったけどゴホゴホ……トレ卵が楽しみで毎晩録画しているWBSが岡山(倉敷市)に来たので昼(岡山市で)あった講演会だけでも自宅からは近いだけに、行きたかったけど葉書外れたうえゴホゴホ。なので床でzzzの一日。
 でも夜は強い薬飲んでマスクして、フリートーク「夜想」へ。今日は「裏千家」に所属するT・マリコさんをチューターへと迎えスタート。
 茶道って1191年だったか栄西が中国から運んできて佐賀県で開花。京へ戻った栄西が明恵和尚に種分けしてから茶畑が広がり、足利時代に鎌倉へ、津田と武野に分かれて千利休に到るか。なるほど、なるほど。利休の三男だったか千宋旦から千宋室へ行き裏千家。宋左に表千家。大まかな歴史を把握。ここからが大人の喋り場。
 初参加のNEOさんが遅れて参加。皆で自己紹介。「夜想」の面白さにはまっていただけたのか?結構ワキアイアイ・モードへ。NEOさんが「映画や文学に興味ある」と言うので、そりゃあいい、ココのメンバーと話し合うでしょうね。主宰のSさん夫婦も面白いし、今夜は句友のJさんも来てたし。しかし、ここのサイトもタウン誌で知ってからチェックしてましたとは、どうもです!
 私信「neo」=掲示板にレスをどうも。お返事しばしお待ち下さい。

 博識のMさんの博識披露に耳済ませながら、マリコさんの立ててくれた「詩仙茶」という抹茶を戴く。
 なるほど、作法を自己流にまとめて言語化(公式化)してみると、(左隣に一礼後)左手を碗の底に、右手は親と人差し指だけ離して、開いた形で持った後
「一礼、左二(三)回転。(絵)逆向き」という感じでしょうか。
 茶道の心とか、作法にのっとらず自由に戴くお茶は「野立て」と言うとか、茶道は禅と共に発展とか、「貧乏な時は白湯でもお茶と思い、気持ちだけでも楽しもう、お茶の心を」と言う利休の名言とか、酒の後の酔い止めや、薬として昔は飲まれていたとか、裏千家は中国やアメリカにも進出してるとか(他にもetc)。薀蓄を、メモ帳へとせっせとメモ。ゴホゴホ。(ここは、ある意味、取材の場としても有意義なので一石三鳥?)
 一日茶道勉強の日。
 ふと、茶道っていうジャンルはすでに道具が完成しているので、新たな道具が登場すると、幅も広がるのではと意見を。
 例えば、今の茶道の道具が骨格だとすると、自転車に例えて、自転車を骨格と考える=するとそこにはエンジンもアクセルも機器類も何もないとくる。
 アクセル、ギア、エアバッグなど、道具と共に自動車の歴史は発展したでしょうから、21世紀、茶道界に新道具さえ登場すれば、新たな一面を見出せるのではと。
 携帯の発展にしても、黒電話時代が長かった=茶道と同じで構造改革がなかった=開拓者の出現はなし(満足しているから)=すると、携帯はおろか、ボタン式とか留守電とか、カメラ付きとか、メールとかも生まれない論理と同じで、そこは発展途上(思考停止のような気が)
 ゆえに、茶道界にも道具革命が起これば、進化もありかもと。
 茶の本道と外れてはいますが、まあ、文章にしても、原稿用紙から、ワープロ、パソへと進化する際、誰もが抵抗してただろうし、評論家とかも文学を機械で打つなど、言語同断と言う感じで長文で攻撃しただろうし。評論家の攻め姿勢は今も同じで自分の論理と相容れなければ叩く。これが評論家の思考の癖かも?だから今の評論家は、ワープロ保護に回るだろうけど、それは世間が認めてるだけで、今が原稿用紙全盛時代なら、原稿用紙を徹底的に守護する気も?
 話を戻し、機械とかって慣れると、逆にそれなしに生きれなくなってくる。
 結論=おそらく茶道の世界には、千利休後、革命者というか、天才が登場していないのかもしれません?(俳句で言うと松雄芭蕉や正岡子規)
 茶道界の手塚治虫とか、富野さん(サンライズ)とか、ライト兄弟とか、ノーベルとか、ベルとか、エジソンとかニュートンとか、アインシュタインとか、フォードとか、本田宗一郎とか、ビルゲイツとか、構造改革者が不在。
 難しい問題ですが。でも茶道の本道は質素だったり、花鳥風詠だったり、生活の中に溶け込む飾らない美だったりするから、あるがままを受け入れる。それが本道。その心だけでも今日はいただいて、深く礼!

 最後に、来月はチューターが不在なので、瞬間でテーマをひねる私。
 結果、来月は博識のMさんと私で「歴史の視点に立ってみよう」というテーマで開催することだけ決めて、(Sさんと、タンゴ・サイトの打ち合わせ等をした後)解散。

 その後、コナンの推理を思案し、何とか結論に到る。長文なのでUPは明日します。(コナン推理サイトへは、今レスしてきました)
  「美濃路殺人事件」 内田康夫読了。書評荘UP


 
2月5日(木)先負
 米国ミステリー界で最も権威ある賞「エドガー賞」(米探偵作家クラブ主催)の最優秀作品賞候補4作品の1つに、桐野夏生さんの「OUT」がノミネートされたそうです!(日本人初!)
 これは凄いですね。桐野作品と言えば「顔に降りかかる雨」(乱歩賞)しか読んでなく「OUT」はドラマしか見てませんが、私の印象は、小説としては(おそらく)文章の描写力が卓越しているのでは?ないかと(乱歩賞作がそうであったように)。
 そして、プロット&トリックとしては(ドラマで見る限り)本格ミステリの細部性&デジタル性と、社会派の融合に成功の鍵があるのではないかと思ってます。
 つまり、それまでのXXXX死体トリックに「数字(デジタル)の細分化」というエッセンスを加えたこと。この数字の力(大意としての「数学性」)に目をつけたのはお手柄で、それを上手いこと社会派作品にシフトさせたのではって思います(そう考えると、それに星座までくっつけた島田荘司先生は未だその先を行ってると言えるかも!?)。でも、シフトと言うことは、どこかから借りてきた「借り物」
 では借りてきた宿は、やはり細部を書くことの多い「本格ミステリ」ではないかと(もしかしたら上記した島田先生のあの作品?)。と言うことは、この作品がアメリカで評価されると言うことは、そのうちアメリカも、日本のトリッキーな作品(本格系)に目を向ける。そんな流れが生じる日も遠くはないかも?
 本格ミステリが、とかく売れているミステリ漫画を超える日が来る日も近いか!
 最後にこの作品、発売直後、夜想のSさんが絶賛されてましたが、その時点でSさんは、先見の明があったということでしょうね!
 でも、直木賞を逃しながらもその上を行く国際的な賞に日本人が初めてノミネートされるなんて、一番喜んでるのは天国の江戸川乱歩かも?
 
 数字といえば、小川洋子さんの「博士の愛した数式」が第55回読売文学賞に輝いたそうです。
 おめでとうございます。
 去年から俳句会でも話題になってましたが、どう言うわけか、私は食指が動かない……(小川さんの文章好きなんですが)。
 理由は、何故数学者を取上げたんだろうって思ってしまい。何故、数学なんだろう。まさか、題材を探してた時、森博嗣さんの本とか読んだりして、本格ミステリのエッセンスをシフトされたのでは?そんなところに想像がいって。
 それはいいとして、最近「新本格ミステリ」って美味しいところ(トリック)だけ別のジャンル(漫画やゲームや映画や文学やetc……)に持っていかれ、どんどん肉を削がれて骸骨化していってるような気がする……そんな妄想を感じてる私。
 その点、文学は得ですよ。身近なトコでもそう感じる。
 この間、県下では大御所の詩人K・M先生も「小川さんの新作が面白そうなんだ。どうも数学者を題材にした話だそうなんだけど、数学者という題材が珍しいし、興味深い」と言われていましたが、やはり(数学者という題材が)どこかから借りてきた借り物なら、その借りてきた土俵をほのめかすかしていただきたいとか喚起……(以前から数学や数学者というテーマを扱っていたのなら別ですが)でも、題材探し、勉強は大変だと思います。
 今日も外で観たTVで「漫画家は新しい漫画を描くたび、そのジャンルの勉強をしないといけないから本当に大変」と。確かに。常に借りにいくのは苦労ありますね。でも私も読む漫画はどれも知識の得れる物が多いので、それも漫画の宿命かも?つまり、読書好きでなければ勤まらないと言うことでしょうね。
 でもミステリで数学を扱う作品を句会に来られる方に薦めてもなかなか興味を持ってはいただけない、朗読会しても……硬派な文学派な方にはどうもミステリの地位って低いみたいなんですが、それをひっくり返す叙述トリック、いつかは発案したいと思っている薫葉であります。

 週刊モーニング「カバチタレ」=警察による不当逮捕に納得いかず、直接、弁護士を雇い検察に告訴。結果、ようやく検察が重い腰を上げて捜査すると、虚位告訴であったことが明らかに。
 どうも(私を含め)世間では、検察と警察は同時に行動するイメジがありますが、実際は警察の単独捜査という形式が主流みたいですね。

 ある方から、姓名判断の相談を受ける。人にはそれぞれこだわりがあって、そのお母さんは子供に任侠的な名前をつけたいんだなって、希望の名を見て喚起。
 姓名の論理とかを持ち出す前に「これは、学校へ上がると絶対いじめられる?」と思い、回避策を口に。
 でも人って難しい。自分だけの美学や自己流の常識が世間に通用すると信じてしまう若さ。それに、人間の持つこだわりって、なかなか修正がきかないし。
 例えば、息子の名前にいくら中華料理が好きだとて(小説でもない限り)「中華飯店」なんてつけないだろうし。彼女の場合は、ツッパリとか任侠とかをすぐ喚起する名前でしたが。でも、趣味とか流行とかを優先して名をつけると、後で後悔するに決まってる。「お母さん、何でこんな名をつけた」っていう未来からの囁き声が聞こえてきそうだし。
 でも、何とか、わかっていただけてよかった。
 特に、自宅に引きこもり系の若いヤンママさんとかは、ワイドショー漬け生活をされている方が多いんでしょうか?そのせいか、世間の風当たりとかを身をもって想像しえなくなっているような気が。
 人は環境に左右される生き物なので、そういう心理状態になってしまうのも仕方ないですが。
 名前一つでいじめられる世の中。世間には危険がいっぱいです。とかくこの世は生きにくい。


 
2月4日(水)友引
 今日発売少年サンデー「名探偵コナン」=先週の水曜の暗号推理。正解!
 続いて出された第二陣のDメッセージに挑もう!
 今回の煙草の本数は、7本。(5本と、ちぎれ煙草2本)
 ― ― ― ― ― − −
   前回はイニシャルだったけど、今回は別の配列かもしれない。二回目に手を変えるのがコナンの論法だと思うゆえ。
 まず、イニシャルにすると、M・Hになる。このまま読めば御上平八。ビンゴ。
 ではこれが作為だとすればと私は読んだ。つまり被害者は煙草を使い、別の字を書いた。しかし、それが自分を指すと悟った犯人は、その煙草を減らすか増やして、別の人物にしたのでは?そうなるとイニシャルはN・Eの悦子が怪しい。
 でも、そこで思考を回転して、イニシャルでなく被害者が漢字を書いたと論理を進める。
 そう、最初は「天土」と書かれていたのではないかと。
 被害者の煙草に気がついた天土は、そこで煙草の数を1本減らし、それが漢字を示していたから、同じように別の漢字に変換したに違いない!そう、おそらく「平八」と!(今回は、ロイヤルストレートフラッシュ推理いけるか??) 
 そこの論理は、作者の視点に立つと、かなり捻ってますね。
 だって、イニシャルのDメッセージなら、やはりイニシャルに書き換えるだろうから。(漢字には漢字変換=ここのアイデアは、推理小説において、オリジナリティを感じます)
 そこで、もし最初がイニシャルであった場合、N・Eの悦子を示すことになる。(自宅読みではないため……姓の方を忘れました。でもイニシャルはN・Eだったはず)
 でも、悦子と書かれていた場合、Eの横棒に当たる1本を持ち去り、1本を半分にちぎってその場へ残すことになる。(ちょっと面倒そう)それと、ここはポイントだと思うところは、そこに7本を残すと、不恰好でもN・Eの字が作れるため、そんな自分の名(悦子)を喚起させるような本数を残しておきはしないのでは?
 よって、7本の煙草の示す名前はおそらく「天土」で、その死者の伝言に気付いた天土は、土の所に当たる1本を減らして「平八」に変えて見せたのでは!?(よく見ると、煙草の腹が折れてるので、2本合わすと八の字に見える!)
 図(うまく描けませんが……煙草の大小や、歪みもテキスト文の際はうまくいきながら、UPすると歪んで表示され……)

    ―      
    |     − 
    ―      
   / \   ― 
         ↑
        これに、もう1本足せば、天土となる!(つまりその1本を天土が持ち去った)

 詳細=天の|の所と、土の−所がちぎれ煙草(この画面上では、どうしても差が出ますが、その2本の長さは同じです)

 持ち去るとどうなるか。犯人の名前を天土から平八に変えることができる(御上平八に濡れ衣を着せるために)。

    ―    
   \ /  と | をあわせれば平となり、残りの2本で八となるため。
    ―    

 ・「黒冷水」 羽田圭介読了。書評荘UP


 
2月3日(火)先勝・節分・月と土星接近・月の赤緯が最北
 仕事面で大幅な収入源だったり、この間の句会で選ばれる句が少なかったり、夜想&アルゼンチン友好サロン会議のSさんから依頼されているタンゴのHPの作成が思うようにはかどらなかったり(ようやく9割方できました)、過去行った推理イベントの際の宣伝時に受けた反動(痛手)、その悪夢を思い出して苛まされたり、不覚にも風邪の症状が出てきてしまったり、節分(旧暦の正月)なのに何故かツイテない!
 元旦にも悪夢としか思えない初夢をみるし、自分で今年は(去年より)少し運気も下降するって言うのはわかっていたけど、全部背負って、ドーンと落ち込み自信喪失気味……でしたが、(論理の世界にて)一つだけ、とてもいいことがありました。

 それは、推理サイトのRさんの真相当て「推理小説」何とか正解に到ることができました!
 サイトの方から「名探偵の称号」を戴きました!これで二冠!

 他の運気は落ちてるけど、推理小説に関すると(旧)正月早々縁起がいい!この調子で頑張りたいと思います!でも、鬼の日にメフィストに魅入られているという解釈もあるかも??(ちょっと恐い)いや探偵賞なんだから、探偵の神に敬意!?

 だけど、この勲章を手にするのは、結構大変でした……推理=頭痛。という感じでしょうか。
 でも、このサイトでは、礼子さんやめぐみさんも奮闘されたみたいですね!これでお二人とも頭痛は治ると思います?
 しかし、特に礼子さんは、誰も気付くことなかったという裏プロットを見抜かれたらしく、その「推理眼」なかなかですね!

 話題変わり、運気UPのため、東北東に向いて巻き寿司食べつつ、ふと思った。  それは、東北東って、今月の恵方ではあるけど、今年の恵方ではないはずだと言うこと。
 皆さんも引っ越しされる際、今年は東北方面、避けて下さい。凶方位ですので。
 だけど東北東が恵方っていう論理も、雑誌の星占いと同じで、大雑把。細かい観点から総括すると、別の視点が必要なのは必衰。
 そこで私は新たな視点(ひらめき)を得た?
 東西南北に恵方がない場合は、思い切って(裏の手を)、天に向かって「巻き寿司」パクリ。その手でいこうと!?
 論理の壁を破るため、名探偵目指して、今日もさすらうミステリーマン!?

 ヤングマガジン「リモート」=「毒入り紅茶事件」アールグレイを頼んだのは女主人(祖母)と不動産屋。紅茶を頼まなかった弁護士が間違って不動産屋の紅茶を飲んだため、女主人が自分のを不動産屋に渡すと、毒死する。誰が入れたのか?(E・クィーンを意識して作ってると直感)
 長男が怪しいのでは?
 消去法でいくと、弁護士には入れる間がないし、祖母ならストレートすぎる。
 運んだ四兄弟のうちの三女は、アールグレイを二つ運んだから、どちらかにだけ毒を入れたとしても、確実に一人を狙えない=よってリストから外すことにしよう。
 やはり長男、長女、次女のいずれかが怪しい。
 長女なら(アールグレイ紅茶を)祖母へ渡そうとする際、アールグレイ用カップの一つは兄に取られたので、その行方を懸念しもう一つのカップに毒を入れるタイミングを逃すような?次女も同じ。
 だから長男では?(入れる間や、カップに近づいてたら、弁護士が怪しいんだけど……)
 長男は、二つのアールグレイカップの内、最低一つのカップを(運ぼうと)手にし(もう一つのカップを回した人の記名が作中にないので、もう一つのカップに関すると誰が回したか不明)、その際、もう一つのカップも手にする、あるいは二人の姉妹が運ぶ際、瞬時に毒を入れたのでは?そして、毒入りでない方を弁護士に回す。習慣で彼が飲むことを見越して。さらにその裏に、不動産屋にアールグレイが回らないことから、祖母が自身の紅茶を不動産屋へと差し出すことまで念頭に入れて?そうなると、狙いは不動産屋か。
 祖母狙いなら、何も弁護士に回さず、直接不動産屋に回すはず。そうしないとアールグレイは不動産屋に回らず、祖母が自分のを差し出しかねない=確実に祖母を狙えない。だから長男の狙いは不動産屋では?
 でも、何故祖母でなく不動産屋狙いなのか?この家を売りたい動機があるんだから、それに反対する祖母を直接狙うのが筋な気がするけど。売買の障害になる不動産屋もネックだったんだろうけど。
   う〜ん、やっぱり祖母が昔の恨みを晴らすため不動産屋を狙ったのか?でもストレートすぎるし……。壁に突き当たる。
 「ランブルフィッシュ1 新学期乱入編」 三雲岳斗読了。書評荘UP


 
2月2日(月)赤口・海王星が合
 物事って、取り合わせに重きありと感慨する日々。二年程前、芸能プロA氏から「推理でイベントとかやりたいなら、とにかく宣伝しろ、しまくれ。お前みたいな人脈のない人間に、誰が手を貸してくれる。まず人集め、数集めからだ」って尻を叩かれたけど……(確かに彼のコネクションはきらびやかで眩しいぐらい。それはわかってるけど。でも人を即、数として把握できる自体、さすがイベント屋)。
 それと、世界により、宣伝の巧を成しやすい、成しにくジャンルがあると感慨。やり方もあるけど。例えば、論理を重んじる世界では宣伝は難しい。これが芸能界とか、論理よりも、ノリとか雰囲気とか、とにかく頭より、感覚だけでオッケーとか、頭より、POPでイコ―ッとかっていう世界なら、派手なプレゼンテーションとか歓迎されるだろうけど、論理的価値を重んじる世界では、不条理な点が一つでもあれば論理で返される。
 彼(A氏)が(親の力とか関係なく)、芸能世界で頭角を現した実績があるのは、やはりこのノリの派手さや、非論理的な言動が、余りにも面白いとか。そういう点にある気も。
 実際、彼は天才で、確かに学者や、高学歴者を相手に、相手に「天才だ」と思わせるようなところや、余りに話し上手、商売上手なので、会社に入っても(すぐ辞めるけど)トップは、彼に味方をするようになるから、上司や社内のキャリア組とかは頭が痛いはず。でも会社は数字や、売上、実績しか見ないので、いつも彼は出世する。羨ましいけど、まあ、何故かわからないけど、強運の星の下に生まれてきた人間には間違いない。でも後天的な実力もある。実際、じっとしてなく、いつも動いてるし、知能も高い。だけど、平家物語じゃないけど運はいつか斜陽するのではって思うこともあるけど、今日かかってきた電話で彼の話を聞く限り、まだまだ斜陽でもなさそう。
 ここからは宣伝ですが、
 2月6日(金曜)のPM2時から、チボリ公園で彼の母親である星野和子と、元阪神の星野監督の「星野&星野」と題したトークショーがあるそうです。
 岡山で有名な二人の星野を掛け合わすというアイデアは、チボリ社長の企画。
 阪神ファン、星野ファンは、是非足をお運び下さい!
 彼は裏方で参加後、翌日だったか宇多田ヒカルの武道館5日連続コンサートへ足を運ぶそうで(これは単に初日だけのライブ鑑賞)、帰ってきたら、何か(芸能とは無関係の)お土産をくれるそうで、何だろう?
 それはいいとして、論点を軌道修正し、彼の二年前のアドバイスは、私に限り、論理世界を相手に宣伝した時点で失敗だった。今、ようやく、その分析に到る。あと、運というか、間が悪かったというのも、きっとあると思いますが。

 TV版名探偵コナン=まずポイントを押さえたと思うのは、河合犯人説がやはりフェイクだったこと。桑島か、坂木のどちらかが犯人と絞り、酒を勧めるシーンを伏線と思い桑島にしたけど、大きくは逸れてないと分析。それと、二つの謎(真犯人と、河合の怪しい動き)は、関連なき別物だったことまでは何とか見抜けた。
 だけど、今回は推理材料足りず、トリックは逃したものの、リフォームとか、この付近の調査とか、そのポイントもさほど論点を外れずに推理できたとは思う。
 しかし、二つの家をすっかり入れ替えたとは。横溝正史のトリックみたく大掛かりなのを持ってきてましたが、この推理、伏線が弱くって推理などできませんって。あと、坂木の腕のアザは、一週目で見せておくべきだったのでは?
 しかし、今、永倉宅に建っていた空家に宝石を隠し、半月たって取りに行くと、そこにあった空家が家ごと別の場所に移動していたので、半月前まで空家だった地に建つ家とそっくりの永倉家に忍びこんでも宝石がなかったというアイデアは面白いと思いました。(私の未読の新本格ミステリに前例ありそうな気がしますが)、アイデアには満腹!
 「日美子の魔法教団(マジック・スクール)  斎藤栄読了。書評荘UP


 
2月1日(日)大安
 「書評荘」における、点数の目安
 今日は「書評荘」における、点数の目安をお話ししたいと思います。
 薫葉の点数のつけ方の基準がよくわからないと思われる人もいるでしょうし。

点数の目安(5点満点)
 3、5点=出版社の出版作として、ここが出版の可否に到る最低ライン?と(勝手に)思っている点数。(インディーズは除く)

 まとまりあり、完成している=4点

 個性等、少し飛びぬけたところあり=4、1点

 その上を行く=4、2点〜

 総合的に完成度高し(グー)=4、5点

 他は駄目でも一点が豪華、斬新、トリックやプロット、アイデアが緻密で、かなりいい=4、6点以上

 あるいは、物理トリックと密室(心理、鍵等)トリック、心理トリック、暗号、論理など、推理小説における技(テクニック)をダブル、トリプルに盛り込んでいる作品。さらにその技の個々が高度な作品=4、6点以上

 さらに、その個々が、さらに個性的、新奇性のある場合=4、7点以上

 他は全て完成度高くても一点のみひっかかる(文、キャラ、論理、トリック、オリジナリティ、鮮度等他のどこかひっかかる)場合=4.9点

 あるいはその逆で、トリックのみが高域でも、余りに文章がライトな場合(あるいは残酷性が度を越えていて、気分が悪くなる〈つまり読後感最悪〉作品)=4、9点

 テーマから文章、アイデア、プロット、ディティール、構成、論理、トリック等何もかもが秀逸=5点(最高点)

 あるいは、トリック以外は平均点ちょっと上ぐらいでも、トリックのみが最高に凄い、孤高と思われる作品=5点
(ここで、西澤保彦さんを挙げさせていただきますが、西澤作品のように、文章は軽くても、それ以外(プロット、トリック)が鉄人級に凝っている作品などをイメジされたらよろしいかと思います)
 ミステリ以外の場合は、文章とストーリーが、その目安となります。つまり、文学でも(文章の魅力一点で)、5点満点が付きます。

 見返すと、結構、自分の基準が固まってきたようです。なので、過去の点数もそのうち見直す予定。
 特に2002年度の点数は、かなり厳しくつけていると反省……。
 そうなった理由=ちょうどバリバリの本格に傾倒していたために、その時期に読んだ作品がそのまま基準点となっているのかもしれません。カッパ・ワンが創設されたり、横溝正史100周年だったり、新本格15周年だったり、とにかく本格気圧に押された所に要因があるかも?
 なので、国内ミステリランキングの方も(2003年度後半に読んだ作品は入れてないので)見直す予定。(そのうち)

 最後に、この基準値は、あくまでも私の感じた印象。それによる評価でありますので、必ずしも高得点の作品が、本当に素晴らしい作品かどうかは、読まれた方自身がお決めになればよいはず。そう思っています。
 特に小説の魅力は多種多様でありますし、どこを良しとするかなど、それは読者自身の感じ方次第。と言うわけなので、私の付けた点数は(あくまでも)、主にトリックの魅力的な作品を探したい方向けタイプ。そう自己分析しております。

・薫葉アイテム14(道具、造語など)

・「呼Q法」(こきゅうほう)=呼吸法を応用した、謎解き時のスタイル。
 一例=深く吸い、長く吐きつつ、推理せよ。
・カテゴリ=推医学における、一方法論
 「陸橋殺人事件」ロナルド・A・ノックス読了。書評荘UP


 



 


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