
薫葉豊輝の電脳日記
2004年
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10月
10月31日(日)友引
「意味」について考えると果てしない。考えると私は「意味」に束縛された人種かもしれない?
私の生活圏で最も身近にいるF氏が、今日も某(ステンド・グラス)SHOPに出向き、その店を撮影。聞いてみると「撮影することによって、映像は作品になる」
何故、撮影が直接作品化するのか、その「意味」に戸惑う。でも、考えると、そういう論理に縛られる思考回路のせいで、物理的な運動に向かう筋肉は退化。そうなると、運動不足化する思考系の私よりも、まずカメラ片手にどこへでも行き、街の風景を切り取って、例えそれが自己完結だとしても、吸収するものは何でも作品化?していくF氏の方が、カメラの腕は上がるだろうし、映像ソフトの使い方や、映像に対する技量は、そのうちUPするという未来図が描けるはず。(意味を尊重し、何にも手を出さない人より、フットワークが軽い人の方が、副産物は多い?)
ああ、確かに私は考える葦の根が人より多い人間だったのかもしれない。小学時代。初めて陸上系の授業を受けた際「走るとはどういうことなのか?そして、何故、競争をするのだろう?そこに一体、どんな意味があるのか。競争の歴史は、一体、どれぐらい前に生まれたのだろう?」と考え、戸惑い、競争という概念に思考が支配され、走れなかった。
つまり思考は、運動機能を止める。結果。競争は自分のトラウマと化す。でもニュートンが生まれる前に生まれてたら、林檎の落下の意味をずっと考えていただろうな?
だけど、その思考の呪縛が、自己の黒歴史を作ってきた分、今は逆に直感型人間に。
スムーズにいかなければ、すぐに解答を探す算術的な日常。でも脳が二つあるように、何事もきっとバランスが大事ですね。
一方。F氏が今日あった自主映画制作団体「シネマ・ファクトリー」のミーティングに参加したので(その帰りに合流した際)「シネファクのシナリオ製作において欠けているものは何だと思う」と尋ねてくるので「もしかしたら、形かも?全部、短い作品だから、ドラマが弱い?例えば朝ドラでも、15分を3分に凝縮して見せても面白さを提供できないように、いい場面だけを切り取ったり、手短な会話を登場人物たちにさせても(その短さでは)ドラマが成立しないかも。背景が軽すぎて、説得力が出なかったり。だから最低でも40分ぐらいの内容が欲しいところ。それも、味のあるドラマを作ってみては?人の関係性を濃く描くような」(ただトリックを主眼にしたミステリや、SFなど、主眼がドラマ以外にある作品は、ドラマに左右されずに主眼を純粋に活かせば、それはその分野内では、表現として受け入れられると思いますが)
でもドラマを描くには理由というお題は避けられないと思う。人の癖、歴史、思考。全て理由から発生している。そうか、ドラマを描くなら、理由は大切と言うことですね!
実際、理由無きドラマはあるようで、無いし。
しかし、今日の問答は「意味」があるようには、ちょっと思えないというところで、風と共に去ろう。
文字が見えている方、それは(もうすでに文字はインク化して、すでに)風であります。ですから、文字を追ってもきっと、意味などないですよ?
・「マシーン日記」 松尾スズキ読了。書評荘UP!
10月30日(土)先勝
神話・予言の話題を一時停止し、浮世へとカム・バック!
「ライター会議」作品集用原稿第一陣が遙伸也さんから到着。「W会議」の場にて評判のよかったあの2作ですね。読者の皆様、これは読まなきゃ損ですよ!
その「作品集」締め切りを年末と致します(参加者募集中です!)。この間、久々に「てる」さんと会った際「年末までに投じます」との事なのでその日、(薫葉の一存で申し訳ありませんが)年末締め切りと致しました!
「夜想」のSさんから連絡。次回の(大人のしゃべり場)「夜想」の段取りの話などアレコレ。「夜想」以外の件では甲斐欄番さんが又、何やら企画を考えているとか。ちなみに次回の「夜想」は、チューターである大滝さんのお話と、(同時多発テロがテーマの)ドキュメント映画「911・ボーイングはどこへ」の上映会を行います(私がプロジェクター操作しますが、映像歪んでたり、操作の不備などがあった場合は、ご了承を)
考えてみると、大滝さんはマヤのホピ族とかに確か詳しかった方。当日はマヤの話でも吹っかけてみる事にします(空気次第で)。
その「夜想」には興味を持たぬもの、会場であるギャラリー木陽のA店主と仲の良いF氏が、今日も自分の絵を飾ってもらってる店内を撮影。この間「撮影中毒」という映像個展をやってみたらと、一企画案を私がF氏に出すもの、やはり資金面に壁が。
そのF氏から又聞きした店主Aさんの話。F氏も私もA店主も岡山映画祭に関わっていて(私はチョコッとだけですが)、今年開催した映画祭では、大きな赤字が出ました。その赤の半分を映画祭幹部のHさんが被ったことを聞き、Hさんは映画祭の鏡だと喚起。
それも岡山には大学が縁で第二の故郷とした人物(まだ二十代半ばの若者)でありながら、そこまでやってくれるとは!額が額だけに!普通の映画好きでは真似ができないと喚起。
だから皆言ってる。Hさんがいなくなったら、映画祭は絶えると。大きな赤の半分を被った代表のOさんも大感謝してるでしょうが、Hさんという人間の大きさを前に、頭が上がりません。
(映画マニアの)芸能プロA氏とか、大きなお金を動かすブルジョア人でありながら、まったく(映画祭がマイナーだからか)「映画祭」には協力も、歩み寄りもしてはくれないもの、一方、自分のなけなしの給与から大赤の半分を払ったHさんは、真の映画人だと思った。
彼こそ、本物の社会派であり、ジャーナリストに違いない。真の詩人だと思う!
お金ではなく、心で動く賢者。
だけど、「映画祭」方法の改善、改革は絶対に課題だと思います!
(98年の映画祭で大きな赤を被った)「夜想」のSさんにせよ、常時それをOさんに指摘し続け、未だ意見交換を続けていますが(その結果。2000年に行なわれた「映画祭2000」は成功。が、今回は緩んで失敗?)そうなると今後は規模の縮小なり、上手いやり方を模索しなければ、次へと繋げていくのが難しいのではないかと?
私もよきプランを考えたいんですが、何分、雑事に追われて……が、いいプランあれば即Oさんに伝えます!
ちなみに「映画祭」のラインナップがドキュメント中心の理由を少し。
それはやはり、メッセージでしょうか。メジャー系の映画は映画館で上映されるので、映画館で上映されない映画を集める。それも監督の個性の濃い映画。問題意識の高い映画。社会性の高い映画。などなど。それらを中心に集めつつ、上映時には会場に監督も招いて、観客との距離を縮め、共に映画祭を造るという熱いスタンス。
そのスタンスの言いだしっぺである代表のOさんを筆頭に、その右腕となって頑張ってきたHさん!(モチ、映画祭関係者は他にも多数いますが)が、とうとうHさんも疲れ果て、映画祭から足を洗う方向に……しかし、Hさんを知る者としては、ありがとう!と言いたい。他県の文化活動の根幹を支え、心を込めてやってきた潔さ。
人の何倍も動き(学業、そしてバイトも平行した上で)、岡山の映画上映シーンのために青春の日々を費やしてきたHさんを知る者は皆、彼に感謝しているはず!
そう考えると、縁の下の力持ちこそ、真の舞台主役なのかもしれない。
「哲学書を読んでもらうのはなかなかだけれど、映画でなら広く、多くの人に伝えられる」そう言っていたHさん。
本格ミステリの世界でも(映画祭代表のOさんの大学の随分と後輩に当たる)東川篤哉さんが「岡山映画祭」のキャッチコピーを(デビュー作)の中で記載してくれていましたが、しかも舞台の町名も岡山駅前の(この間、劇団LED公演のあった場所であり、私もモデルとして参加した「課外授業」の写真個展が行なわれた旧小学校跡)「出石文化横町周囲」の町名をもじった名だったのでちょっと感動。(映画祭のキャッチコピーは、私が見つけ、映画祭の方々に伝えたもの、どうもお互いの面識はないようですが)、そうやって間接的に触れてくれたことも、小さな映画祭では嬉しいこと!(本当は、今周囲で一番地元への影響力を持っている芸能プロA氏が協力してくれたら、一番いいけれど……)だけど、Hさんが手を引くとなると、その映画祭の存続自体、厳しいものが……。
しかし、そう考えると、今回の映画祭の真の主役とは、Hさんだったかもしれない!
10月29日(金)赤口・「マヤのピラミッドの謎解き」
最近興味のある「マヤ」遺跡に関する本に目を通していてふと気づく。
カスティーヨ(城)と呼ばれるチチェン・イツァのピラミッド。高さ23m。9層(+頂上に一つの塔)、四面構成で、一面の中心に階段が91段。91段の左右に3ずつの隙間。この(1面の中心にある階段の左右に)3個ずつx8層=24+(9層目のみ)2個=26個。さらにそれが2列あるので一面に計52の隙間が存在(9層の基本の隙間は24個)=計52は、マヤの260日暦の最大公約数であり、階段の数の総計364段の最大公約数でもある。
364段の内実=91段x4面=364段。さらに塔の1個を足すと=1年である365日となる。
まさに暦の刻まれたピラミッド。
そして、ここの一つの面の階段の一段目に、ククルカン(マヤ神ケツァルコアトル)の頭をした蛇の彫刻があり、春分の日(太陽黄経0度)にはケツァルコアトルが階段を上り下りするように見える演出まで施されている。
そこで、この数字から、私はこの形とは易の「羅盤」ではないかと?
「羅盤」を建築物とした立体「羅盤」だと喚起!まさに大地に建つ「暦」(羅盤を持ち歩かなくても、この建物が羅盤の役目をしてくれる。羅盤ほど親切に書き込まれてはいないが。日常にて読み取る暦ならこれで充分!)
そこで私の言う「羅盤」と、どこがどう符号するのか?検証してみよう。
まず、ピラミッドの図を見ると、四面と、「羅盤」に記載されている東西南北の「四方位」及び「四季」(ちなみに春頃は大きく東=干支では卯が中心)が符号。
9層=(羅盤の東西南北に描かれた)九星気学(例として「春」なら方位は「東」。気学では「三碧木星」(易八卦での名前は「震」)と符合し、つまり、ピラミッドの四面を上から見る。そして、91段は、単に、円としてみて、羅盤も円周なので、円=365日として、365を4で割ると91で、91は91度の位置の(365日中の)1日を示すはず。
1面にある52個の隙間のうちの、階段を挟んで左右に24個ずつ存在する隙間とは(24で区切るのは、8層までは隙間が3つずつあり、9層目だけが2つあることから=おそらくこの9層の2つが他と分かられている理由は、その2にも意味があり、それは月に2度ある新月と満月を意味しているのではないかと?だから、その2つの隙間と、24の隙間を分割して私は考える事に)そこから、この24の隙間の表すものは、24節季ではないかと?=24節季とは「節分(立春)を基点に、1年を24等分して約15日ごとに分けた季節。冬至から約15日ごとに節気と中気が交互存在」
(易では主にそう記載。これを天文学的に検証すると、この日記で「太陽黄経何度」とか記載していますが、その太陽黄経が15度ずつ変化する15度の位置に当たるのが節季」
例=8/23処暑(太陽の黄経が150°)+15度=9/7白露(太陽の黄経が165°)+15度=9/23秋分(太陽の黄経が180°)+15度=10/7寒露(太陽の黄経が195°)+15度=10/23霜降(太陽の黄経が210°)。こう考えると、ピラミッドによると、52度の角度が、大きな季節の節目ということになる。そう読み取れるかも。普通に考えると90度だが。90度ずつで春夏秋冬。いや、90度(+1)は1面の階段の数だ。そうか、その隙間の見方ともう一つの見方(地球の公転日数)として、集大成として一面ずつ階段の数は決定されたのかも?(一面の階段の総計=一季節と符号)
どうだろう?「チチェン・イツァ」のカスティーヨ(城)というピラミッドの正体は「羅盤」説!?
まさに暦ではないか!マヤの暦に対する思想の真摯さ、正確さ。理(算術)を愛したマヤ文明は、芸術性、論理性。その両翼を具えていると言って過言ではないかも!?
暦のピラミッド。日本の城のメカニズムも、そんな「理」が欲しかったところ。
「本格無重力推理」(天文推理・∞推理)の視点から、いつか日本城の再現をテーマとした建築物をいつか書くことにしよう。その城のモチーフはもちろん「羅盤」です。
理想としては、「カスティーヨ・ピラミッド」+日本城の形!?さらに仕掛けが施されていたら、なお面白い。(できれば、不幸と見せかけて、実は幸福の仕掛けというオチなら、なおいい!)
・「蒐集家(コレクター)異形コレクション」 井上雅彦監修読了。書評荘UP!
10月28日(木)大安・満月・月食(国外)
今日の月食の直後、月と土星、木星、天王星、冥王星が五角形を描きます(72度で五分)。
「クラブ33」勉強会=今日、石井先生と、最近私の考えている予言推理を魚に、推理談。(多忙で、ほぼこの日記に目を通していないそうなので、最近の内容を1から説明)
そこで、昨日私はモンゴルの方位を誤記しましたが、その事を話していて「それならキトラ古墳の寅(トラ)は、西を司ってるから、モンゴルの位置でいいんじゃないかな?」と。
そうですね。正確には、キトラ古墳の寅は、四方位の西を守護する白虎なので、丑寅の寅とこの場合、離した方がいいかも?(言霊レベルでは同じだとしても)
となると、やはり西に隙ありで、怨霊は入り込む余地ありでは?(モンゴルー新潟ラインは直線上にありそうですし)おそらくは地下からプレート伝いに、チンギスハンの念が飛んできた?結果、地揺れ?
その昔(江戸に都を移す計画を立て、江戸城を設計した)天海僧正が、平将門の怨霊を封じようと、上野寛永寺と神田明神の2つを建てて結界を張った話は有名ですが、今回のモンゴルの大王の怨霊も、結界にて防衛と封印とを検討すべきではないかと、一人憂いている私……。
他、石井先生の意見として「(確か)米の主婦から予言者となった方が、恐怖の大王とは、テラーのことで、実はテロを示すと何かの書で書いていて、あの911同時多発テロのことを表していたのかもしれない?そう考えると、1999年の7月が、2001年にずれたのなら、あのテロが恐怖の大王で、今回のチンギスハンの発掘が、アンゴルモアの大王の復活だと考えられないことはない」と。
意見に同調してくれたのはよかったですが、もし私の予感が的中した折には……恐怖極まりないので、喜んではいられません。単なる杞憂で終わって欲しいです。本音は。
だけど、(昨日書きましたが)12月に地震がある気もしています……もし、その震源地の方位を絞るとするならば、やはり北西に位置する新潟だろうか?あるいは(日本を1単位としてみた際、鬼門に位置する)東北地方?まさか、また伊勢じゃあ。神仏に縁ある地なら出雲や東京(皇居付近)も範囲に入れておいた方がいいかもしれない……。
あと、最近のニュースを見ていて今日ふとあることを思った私。
その前置きとして、まず、今年のキーワードは「金星」だと私は思っているのですが、その今年とサブセットで金星のトランジットが起こる2012年に地球を訪れるというマヤ神ケツァルコアトル(金星と太陽の神)。その化身?とまでは言わないもの、その神の姿と呼応する名前と遭遇。
それは、(重複しますが)蛇と鳥の形をするケツァルコアトルの鳥の面と符号する鳥の名を付けた2つの新球団。
「仙台ライブドアフェニックス」と「東北楽天ゴールデンイーグルス」
考えてみると、偶然にも、どちらにも鳥名が付いている!?
世界の動きに隠された意図、そして不思議に、また、たじろいてしまう私。
「第1回ブログ・ミステリー短編賞」にプロット(+現在執筆中の作品1作)を投稿しています。コチラ!
選評は、コチラ!
10月27日(水)仏滅・78P/ゲーレル 2彗星が近日点を通過
・訂正=モンゴルの方位を作中、訂正しました。
明日、空に五芒星が上がります。(ハーモニック・コンコーダンス)
この五芒星は、金星=マリアと関連しているだろうか?(2012年への布石だろうか?)
いよいよ11月1日。新紙幣の登場ですが、何故か病気に縁深い方がお2人もお札の顔になることに、何か胸騒ぎが?(尊敬とは別に)
私がその企画プロジェクトに参加していれば、今は非常に元気で明るい歴史上の人物を召喚したい。
夭折者や、薬の発明者だけに、この世にその両方の縁を招くのではないかとか、つまり、相殺されたとしても、プラスにはならないわけで。
いや、考えすぎなんでしょうが、でも、企画者自身、機を見るに鈍感になっているのかもしれません?
政治の舵を取られる方には機を見る能力をUPしていただきたいと思ってしまいます!
さて本日、新潟県の複数のサイトに、チンギスハンの「陵墓探索プロジェクト」を止めてほしいとSOSを発しました。世の中は、小さな人間の声は聞こえない仕組みになっているようですが、まぁ、名より実を観てくれる人は、どこかにいるでしょう。
聖書の「神は細部に宿る」ではありませんが、世界はコード化する一方で、個人に差し伸べられる小さな手に飢えているというのが、人間のメカニズムの内実と思うだけに。コードを払い、本質を見る術を私も探らねば。
昨日の続きを少し=何が心配かと言うと、今、日本の鬼門を司る(と思われる)キトラ古墳が壊れていることが恐い。
最近剥がされた「虎(寅)」の図。鬼門は丑と寅(ウシとトラ)で構成されているだけに、その鬼門を司る「寅」が自身で守護されている場所から撤退しているのは非常に恐い。
現代に安倍晴明が生きていたら、まずキトラ古墳を再現させるのではと思ったり。
それに丑(ウシ)も弱ってる。BSE問題から近鉄バッファローズまでウシも危機で、日本は鬼門が壊れかけている。だから異国からの念(怨霊)も東北から侵入する可能性も高い気が。
平安京の鬼門の位置に住み、一人で鬼門封じをしていた安倍晴明ならば、今、何を考えるだろう?
今こそ、三種の神器を表へと出し、草薙の剣にて災厄を斬る?もう錆びて使えない道具かもしれませんが、何か鬼門を封じる手を考えるのではないかとは思います。死んだ道具を生きた道具にするのは、国の危機の時ではないかと?
おそらく、モンゴルの墓発掘中止も言うでしょうし、ウシとトラに生気を与え、モンゴルの霊廟付近に結界を張って封印する?同じく日本にも結界を張る?
しかし、モンゴルの大王の怨霊は、当時、平安京を悩ませた藤原道真の怨霊どころではないはず!
あともう一つ、恐れていることは、60年前の12月に起きた「東南海地震」
当時政府は、日本神の拠点である伊勢に地震が起きたことを防ぐことに必死だったそうですが、その60年後の今年の12月。気を付けるべきかもしれない?(今、TVを点けると、突然、発狂する人の映像が映ったのでドキッ)
干支は60年で一周し、1944年と今年2004年は同じ「甲申」そして12月も同じ「丙子」
ただ易(の一つの見せ方である気学では)1944年は「二黒」で、今年は「五黄」
地震が起きる確立は「五黄」の方が高く、さらに12月だけに関すると、一白水星と、同じ星回りが来ている。
もしかしたら、12月は、何か大きな地震が来るかもしれない……。
それを少しでも防ぎ、過少に留める方法を考えることは、今、最大の課題ではないかと、私は今、直感?(起きなければ儲けものだし、もし起きた場合は、あの時、薫葉の意見に耳を傾けとけばなと思うかもしれない?)
キトラ古墳の急速なる復元と、モンゴル・プロジェクトの中止。
まず、それはやってみるべき対策方法なのでは?でも、対策方法が浮かぶだけでもいいと思う。たいがい世の中は、わからないことだらけの迷路で出来ているのだから。
迷路の中でバラバラに散りばめられたピースを、本格無重力推理のロジックで、私は地面を這い蹲りながら、野良犬のように探る。色さえも見分けられる事のできなくなりかけた泥だらけのピースを。
・「試験に出るパズル」 高田崇史読了。書評荘UP!
10月26日(火)先負・月が赤道上を通過・「ノストラダムスの予言の一解釈!?」
ノストラダムスの予言した「アンゴルモアの大王」とは、アングロサクソン系(ノルウェーを祖とするアメリカの支配階級)による世界支配かと思っていた私。他、世紀末頃は「仏のアングーモア地方をかつて統治していたアッチラ大王」という説が出て話題となりましたね(私も某TVで観ました)。
あと、個人的に気になっているのが「アンゴラ(Angola)共和国」です。さらに南部に「ンゴロ(Ngolo)」という土地もあるそうなので。アンゴルモア(Angolmois)と結構、被る!?
が、最近のニュースから、まさか?と思う人物に当たる!
それは、モンゴルの大王「チンギスハン」(他も混ざるかも?)を示しているのではないかと!?
何故か?少し遠回りするが、論理の道筋を付けてみたいと思う!
モンゴルには「チンギスハンの陵墓の在りかを知る老人は、蒼い馬に乗っている」という伝説があるらしい。
その予言通り、「蒼い馬」の名を持つ人の家族が、今年、チンギスハンの霊廟を発見した。それは、新潟大学の白石助教授。助教授は15年前から発掘班に参加し、伝説にちなんで願掛けの意味を込めて息子に「蒼馬」と名づけたらしい。そして実際に今年、霊廟を発見!(予言を成就しかけている!?)
それに対し、モンゴル出身の横綱朝青龍が怒りのコメントを発した!
「日本の皆さんも考えてほしい。自分たちの祖先のお墓を、建国800周年という記念の年を前にして、外国の人に掘り返されたら何と思うか。自分の親族だと思って考えてもらいたい」
これはモンゴル全体の反感と考えてもよいのでは?
そして、私は次に助教授の住まれる「新潟」に目をつけた!
そう、この時期に大地震が起きた、まったく予想外の災害に見舞われた土地!「新潟」!
何故、今回の大地震が新潟だったのか?
「チンギスハン」の墓は、霊廟の側にあり、まだ墓には到っていないと言う。
杞憂の民である私は戦慄する……まさか、今回の新潟で起きた大地震は「チンギスハン」の警告ではないかと?
「墓を暴くな」と言う!?
もし(まだ発見に到っていない墓を)暴けば、アンゴルモア(モンゴロワ=蒙古のアナグラム)の大王「チンギスハン」が復活する?怒りの矛先が日本へ向かう?その後、世界をも巻き込む??
そのファースト・インパクトが今回の大地震!?(平清盛や菅原道真、実際に墓を発掘されたツタンカーメンの呪い以上の怒りを買う可能性があるかもしれない?)
では、次に来るセカンド・インパクトは、別都市に向けられるのか?地震?天災?そこでまでわからないが、この時期、この時だからこそ、私は妙に身震いしている……!?
そこで、今回の発掘計画の中止を訴える何らかのアプローチ策を今後、考えていきたいと思っています。少しでも危険信号を感じたら、打つ手は早くないと、気付いた時には……と思うので。
しかし、こんな予感など、外れて欲しい。
何故なら、1999年頃、特に特色を出していなかった火星は、去年大接近したし、今年は火星探査に大いなる飛躍が見られた。来年も、NASAで新たな火星探査計画があるらしい。レイ・ブラッドベリの「2005年9月 火星の人」という小説の題からでさえ何か妙なリアリティを感じてしまう……。
つまり、ノストラダムスの予言にある「その前後、マルス(火星)は幸福の名のもとに、支配する」から、ここ数年の火星の動きをどこか感じてしまい……。まぁすでに1999年ではないことは救い。
でも「恐怖の大王」が1999年にすでに空から降り、今頃、アンゴルモアの大王が目覚める?と解釈も出来る点が恐い。ノストラダムスによると、「恐怖の大王」は目に見えない物らしいので(菌類?病気?化学兵器?)。
モチ、「恐怖の大王」の正体は当時騒がれたカッシーニとか、その他諸々の何かだったかもしれないが。一応形ある危機は回避。
しかし、新潟大の考古学者。蒼馬の老人が発見するという予言。その予言が成就されるように発掘されたチンギスハンの霊廟。そして、発見者の地元である新潟で起きた大地震……。このピースの多さが、本格無重力推理(天文推理・∞推理)の使徒である者にとっては……まさに戦慄の叙事詩の如く、何か得体の知れない恐怖を誘う。
10月24日(日)先勝・土星が西矩・海王星が留・みずがめ座星ψ2の星食・いて座Rが極大
10月25日(月)友引・くじら座4番星の星食・くじら座5番星の星食・小惑星ネメシスとエルマンタリア共に衝
何かプラン、アイデアを思案しようと思ったら、他の事は一切考えず、その一点を見つめて思案しないと無理っぽい私。でないと時間だけが無限大に過ぎていく。結果、何も形に出来ず思案前と思案後、紙の上に変化無し。やはり何事もメンタル面は大切なもので、人は誰かに必要とされたり、しあったり、持ちつ持たれつつ生きていくように地球上では設計されているようです?
人気のある人は例外かもしれませんが、でも実は芸能人にせよ、宣伝マンのおかげで知名度が保障されてたり、企業も大量の宣伝費を投入することで商品の知名度(ブランド)を確立。
遠くのことはいいとして、自分も自分のよいPR方法を考えてみよう。何か発信する物がある場合は。
さて、一昨日触れた「金星」「堕天使」等の解釈。もう少し間口を広げる必要があるかもしれません。
堕天使ルシファー(巨大竜、年老いた蛇)の解釈=金星(明けの明星・曙の子)とは彼の天使(ルシフェル)時代の呼称で、過去名。
金星神ケツァルコアトル=兄のテスカポリトカと戦い、勝利。敗者である兄は死者の国へと落とされそこで王に。ケツァルコアトルはその後、自ら金星となり、さらに太陽神ウイツィロポチトリとなったらしい。(兄に見せられた鏡に映る姿が醜かった伝説=それは兄による鏡の偽装という説もあるので容姿も醜い鳥蛇型ではないかもしれない?)
スサノオにせよ、金星の破壊神とされるも、元々金星の素質がある、光の天使だったのが、闇に落ちて堕天使となったのかもしれない?(ケツァルコアトルの兄弟対決と、アマテラス姉弟対決がよく似ている点も興味深い)
何故か。どうも金星とは、救済の星のような気がしてきたから。
ヴァチカン(ローマ・カトリック)の論理と、シオン修道会(死海文書・グノーシス派)の論理の論理戦に根があるとすれば、架空史ながら一つの論立てが出来るかも?
ヴァチカンの論理=男社会。4世紀頃マグラダのマリアを娼婦とし、魔女を悪のシンボル化とする。イエスの人間的な側面の書かれた福音書を封印。イエスを絶対神として、大衆をまとめる事に尽力した?
シオン修道会の論理=ベニヤミン系の王家の子孫マグラダのマリアは、ダビデ王家の子孫であるイエスの妻となり、(シオン修道会のその時代の(何代目かの)総長だったダヴィンチにより、「最後の晩餐」で隣に描かれているのはマリアという説がある=胸のふくらみが女性ではと=イエスとVの字を形成。服の色が対になっている=陰陽。そしてこのVは金星《ビーナスのシンボルで》杯=「聖杯」を意味?)そして、イエスの子を宿し、王家の血筋を継続。それをテンプル騎士団が守護。その後、子孫はフランスの王族と結婚。メロヴィング王朝が成立。
教会関係にある(金星が8年で描く)五芒星は、マグラダマリアの印とされ(さらに薔薇もシンボル)、教会、カルヴァリオ、城、隠れた遺跡など、地図上に描かれたほぼ全ての建物がフランスのパリの子午線と交差しているらしい。
金星=愛の女神=金星の論理は、救済の論理?かもしれない?
では、バビロンの大淫婦とは、マグラダのマリアの復活であり、大淫婦とするのはマリアを否定する(論理=イエスは神であり、人ではなく、女性とも交わらず、子も作らなかったことを主義)教会の論理なのだろうか?
あるいは、金星のトランジットとバビロンの大淫婦との間には関係性などはなく、むしろ「死海文書」に記載されているという「イエスの教えの継承者はマグラダのマリア」という感じの内容をそこに導入するなら「金星のトランジット」=マリア復活?という図も描けるかも?でも全肯定はできない。それは聖書に「血で継いではいけない」とあるから。全てにおいて後継者は血で受け継いでいくものではない論理。名より実で、血筋よりも、心の持ちよう、行いを重視せよとある。
その論理を当てはめると、王家の血筋の復興とか、復活とかの論理だけでは割り切れないのではないかとも思う?(が、歴代の中でも優れた王が登場する兆候が、世紀末頃にあるのかも?=それがイエスの血を引く新メシア?)
となると、2012年に金星から人類に何かを問いに来ると言う(金星の神+太陽神)ケツァルコアトルは、救済の神か?マリア=金星のシンボル=ケツァルコアトルと直線上に並ぶかも?
ケツァルコアトルは双子でもあるという説があり、もしこの神が、イエスとマグラダのマリアの二人を示すなら?
ケツァルコアトルとイエスの相似点=ケツァルコアトルは羽根ある蛇。イエスも旧約時代に蛇の予型として描かれ、新約時代にも蛇はキリストの昇天を象徴した。(ただ蛇の解釈は難しい。堕天使も蛇なので混合する恐れあるのでこの論理の絶対性は弱い。イエス=双魚とあるし。んっ、双魚か、二人=夫婦=イエスとマグラダのマリアという仮説も面白いかもしれない??
一方、ケツァルコアトルは蜘蛛に化けたテスカポトリポカの策により従者と酒を飲み、結果として罪を背負った(詳細不明)これは最後の晩餐に似ている。
実際、イエスは、酒席の際、ユダはイエスを裏切った。
ケツァルコアトルは死後、天に昇り金星となり、天界の永遠の玉座に座った。
イエスもオリーブの丘で昇天し、天の御父の右の座に就いたとある。さらに、イエスは自らを「暁の明星」と称している。
と、ポジティブな推論を述べてきましたが、2012年までに歴史的変動が起きる可能性が高い気がしています。2012年に救済というシグナルが発されているのならば。つまり、その仮説を柱として考えるなら、救済、再生に前には破壊が存在と、想像が及ぶので。
が、ソロビヨフの予言とか、他の要因を導入して考えてみると、年数をもっと広げて思案した方がいいかも?
しかし、2000年ではなく、もしも2012年こそが、新千年紀のスタート年だったとしたら?
ここまで綴り、今後8年間は、機を読むのに敏感にならないと、魔の渦に巻き込まれ破壊と道連れになりかねないのかも?そんな論理の道筋が示されている?
この謎は、まだまだ奥が深い……。
・「ダ・ヴィンチ・コード」(上・下)
ダン・ブラウン読了。書評荘UP!
10月23日(土)赤口・霜降(太陽の黄経が210°に)・天王星が月の北4°・みずがめ座56番星の星食
今日は物がやけに揺れたり、物が倒れたりと、地震でもないのに私の周囲数メーターだけが揺れる一日。まさに、この体が自然界の異変をキャッチしたのか、新潟で起きた地震と符号したようで……。
が、私にとっては何ともツキの多い日。身辺の物が揺れて、悪いツキものが落ちたのか、そんな風にラッキーな日だなと思ってると、帰宅後TVを点けると唖然……新潟の皆さん、お力を落とさぬようにして下さいませ!
しかし、何か読み取れないか思案。まず、もう何度もこの日記にて私的推理を述べていますが、今年は五黄土星の年で、地震に縁深い年。(60年周期で廻る)甲申の年でもあるので、同じく甲申であった1944年12月には大地震が起きている。
さらにこの10月は三碧木星の月で、別名「震」。その意味に地震がある。
そして昨日は、旧暦の9/9で「重陽」=陽の極みである9が2つ並ぶ日。大意である離と離でやはり何かが離れる=地割れとも考えられないことはない。
最近の天文現象でビッグだったのが21日の「オリオン座流星群が極大」=神話でオリオンは大地の獣を棒で退治した大男=地の上で暴れると連想して=地震とも見れる。
さらに今日は「霜降」で、太陽黄経が210°に。季節の変わり目=地震に縁深い。
さらに、10月1日と10月28日に空に五芒星が上がりますが、この五芒星は、どうも、2012年と関連しているのではないかと私は物思う?
その前に72度の角度を描く点が珍しくさらに月食も重なる。
私は今年2004年と、2012年はキーの年だと予感しています。まず、6月に起こった「金星のトランジット」は女王誕生の予感?=万が一、バビロンの大淫婦の誕生か、すでに誕生し啓示。
(株)「サントリー」が開発した青(見た目は紫)の薔薇=紫と赤の衣をまとうバビロンの大淫婦のシンボルカラーである紫と符号。
さらにサントリーの新ウィスキー「北杜12年」発売=12は2012年と符号。2012年とはマヤ暦の終わる年であることから=北杜(変換すると北斗)=冥界の地・北斗七星の方向から、冥界の女王達の訪問がある?・容量の660mlの66=2012年の金星のトランジットの起こる6月6日と符号。
もう一つ符合するのが、マヤ予言書によると「2012年、金星からケツァルコアトル(偉大な鳥の蛇)が地球を再訪し、人類に何かを問う」あり、さらにそこでマヤ暦は終わっている?
さらに2012年には「金星」というキーワードがまだ隠れていた。易で見ると「六白金星」!ここにも金星が隠れていた!さらに、聖書では「明けの明星ルシファーよ」と明けの明星=金星と堕天使とを同意としている。さらに、明けの明星は日本の神にもいた。
それはスサノオだ!
ここで金星について、NEOさんから借りた「ダヴィンチ・コード」を読み始め、新知識を得たので、それを導入して思案すると、まず「金星は8年周期で五芒星を描く星座」「金星の周期である8年周期の半分を目安に五輪の開催年が決定」「五輪マークの前候補は五芒星だった」「金星の五芒星は、異教の象徴?」「金星は美の神ビーナス」「金星は東方の星」
とあることから、私の推理を支える柱がここに補強された。
まず2004年と2012年の2度で(ワンセットとして起こる)金星のトランジットは、どちらも五輪の開催される年であり、2004年から2012年にかけて金星は五芒星を描く。
五芒星が金星と関係しているのなら、金星のトランジットは何らかの(スサノオにも関係?)女王誕生を意味し(私の推理は、バビロンの大淫婦)。何故か、その期間は8年。
スサノオの「草薙の剣」の元の場所「八又大蛇」の8という数字とも(ここは強引だけど)符号。
が、ちょっと今妙なことをひらめいた。(とんでもない推理を)
2012年に訪れる金星の神「ケツァルコアトル」は鳥であり蛇の形らしい。蛇とは堕天使ルシファー(蛇に姿を変えてイブに禁断の果実を食すよう囁いたサタン)ではないかと?
そして、鳥は翼を持つ者。つまり、堕天使=翼があると考えると鳥であり、蛇である者=堕天使ルシファー??その「ケツァルコアトル」がマヤ暦の終わる2012年、金星のトランジットが起こるまさにその時(2004年と関連した)、訪れる?
さらに、堕天使ルシファーは、こうも解釈できる!?「草薙の剣」の在った「八又大蛇」とは、大蛇=蛇のボス=堕天使ルシファーかもしれない?でも、金星=スサノオなら2つが矛盾する。ではどこかで金星とスサノオと大蛇(八又大蛇)が同意となったのだろうか?
あるいは、大蛇(八又大蛇)は、堕天使スサノオ(ルシファー)の子分となり、蛇の神の一個下の階級の大蛇として君臨したのかも?
金星のトランジット=女王誕生の意味が存在(バビロンの大淫婦誕生?)=金星の周期である12年=北杜12年(660ML)=8年かけて世紀レベルの天文イベント「金星のトランジット」が6/6に起こる=金星は8年かけて五芒星を描く=2012年は何故か「六白金星」の年=2012年に訪れる金星の神は鳥と蛇の形=堕天使ルシファーでは??=蛇の親分=「八又大蛇」=それを退治したスサノオは、金星の化身=金星と、サタン(反キリスト)は同意=では反キリストとは、堕天使ルシファーのことなのか?=(金星と同意の)ルシファーと(金星の神)ケツァルコアトルは同一人物なのか?=さらに(金星)スサノオも同一人物なのか?=では、666と描いた獣に乗るバビロンの大淫婦の乗る獣とは、「八又大蛇」と関係ないだろうか?
「八又大蛇」が堕天使ルシファーとするならば、その腹の剣は、神との戦いの際に、神から奪ったもの?
2012年。一体何があると言うのか?ただその伏線は、(セット年である)今年出ているのは間違いない!
10月22日(金)大安・海王星が月の北5°21' ・やぎ座37番星の星食
ひどく疲れていて、思考停止。バックアップを取っとかないと、思考が持続できないかもしれない……。でも昨日触れた「意識の高低」について二、三。
昨日私は、意識の高低について書きましたが、灯台下暗しで、自分はと言うと、意識低い事ばかり。その中で少し意識が高いのが推理小説に関することなので、それについて、例えハリウッド映画とて、自分の意識と比較した際、差を感じたのでアレコレと言えたというのが正確でしょうか。
ロジック、トリック。神経が集中しているジャンルだけに、そこに意識の牙城が存在しているのかもしれない?
一方。脚本は総合芸術ですから、その中でも台詞に対する意識が高い人は抜群の台詞、あるいは詩が書ける方かも?物語に執着する人は描写への意識が(シーソーで例えると)やや下がってる気がするし、祈るように詩を愛する人は、作り物に対してアレルギー反応を示す。(トリックなど、とんでもないかもしれませんね)でも、リアリズム溢るるドラマにはコミットしていく。
その論理が強いから、松本清張が王者となる図式があるのは私は知ってるけど、あえて今の私は、描写に振り回されるリアリズムにはとらわれたくないのです。
まず器を考え、構造を考える。だから(結果的に)非現実的な、とんでもトリックを思考してしまう道筋が濃くなるかもしれませんが、構造という奴をどうにかせねば、ステレオタイプの域以上の物語は作れないと思うのですよ。
確かに描写は大切だけど、どうしても私には「十角館の殺人」を読んだ時の悔しさが抜けない。
描写こそ王道と信じていた時に受けた、あの消える魔球の鮮やかさ。思いも寄らぬ結末。その不意打ちという名の電気ショックは、脳のネジを一本外していった?
実際、描写で読ませることにブランド力のある乱歩賞の常識でさえ、死角から崩してしまい、そのまま松本清張の時代そのものを木っ端微塵に吹き飛ばした透明なまでの破壊力。
まさに、核兵器でした。それを前に、描写重視の小説は、破壊力が、その構造からして弱いと(勝手に)実感。詩の力、描写の力は核爆発を起こせない。じゃあ、構造かなと。
構造と力。そしてE・クィーンや横溝正史を知り、さらに上を行く構造の鉄人がいることに脱帽。だから私の創作は、まず構造から入る。だからトリックを開発しやすい思考の道筋がそこに生じる?(なので殺人願望が微塵もないので、その矛盾には苦しんではいます。表現における殺人の罪悪感に。出来れば、一作書くたびにお守りが欲しいほど。いやそんな免罪符の城、寺院をパソコン上、電脳上に築くお話でも今度書こう)
でも最近、それ(構造主義)もやや一面的かと思い始めた私……。実際、私がトリックなりプロットなりを考えると、どうも構造だけが異形で、人間達が記号的になりやすい……つまり、その人間の希薄さが原因で、ドラマそのもののリアリティでさえも欠いてしまう……そんな欠陥に気付いてしまった。もちろん、構造の配置によって回避策もあると思いますが。
さて、松本清張の時代です。何故かはわからないけれど、今後、もうパズルだけでは読者のニーズに応えられなくなってくるような気が……それは、社会全体が圧迫される時代に突入したから。
読者も幸せや共感、救いを求める。
90年代はまだ景気がよかったので、娯楽としてパズルは大ヒットしたのでは?
綾辻行人がその扉を開けて、名探偵コナンがその扉を締めるかもしれない。
バブルは弾ける。乱歩がお化け屋敷をやりすぎて飽和し、松本清張によって古井戸締め。
そんな、天岩屋戸が閉められる時は目の前かもしれない?
やりすぎに注意と言っても人はなかなかやめられない欲望の僕。その構図を俯瞰できた者なら気付くかもしれないが、市場だけで刊行戦争をしている現状では……。
話を少し巻き戻し、そうなると今後は、娯楽重視で小説を読む傾向から、共感を求めて本を読む(買う)時代に突入するのかも?その証拠に、詩の朗読会が盛ん。その論理として、読者は皆、作り物の物語よりも、リアルな言葉、生な言葉に共鳴し、自身が発信すること、お互いの認識を共有することに意識が向いている。
でも私は詩人として朗読表現の向上を模索することに(過剰なまでの)情熱を注げられないのです。それは俳句と似て、その枠にいる時点で、永遠に枠外に出られないから。でも芸の向上を目的とするので俳句をやるので、詩のパフォーマンスも、その世界でいいものができれば価値はあるとは思っています。ただ、市場も道も無いので、そのリスクを負うのは……今でさえ負っているので、これ以上負うと、まさにダブル……詩のことはいいとして。
そこで私は途方に暮れる。第三の道を探さねばと。この間書いた、社会派でも新本格でもない第三の大陸を。
それは海底に眠る大陸なのか、高天原のような(人の目には見えない)透明の(いや天上の?)大陸かはわからいが、第三の選択。
まずは、そこに行く船を組み立てよう。かって、ノアがそうであったように、ノアのように準備は早くがいい。
まったく設計図も何も手にしてはいないけれど、この時代の転換期の前で、設計図。そして、航海図を少しずつ書いていかねば!溢れる予感を、白紙の上に。
10月21日(木)仏滅・上弦の月・オリオン座流星群が極大(条件最良)・やぎ座40B星食
最近、あることに取り組んでいて頭脳をフル回転。他の事は疎かだけど、まずは目の前の山に登ろう。
夜。(超映画マニアでもある)芸能プロA氏の誘いで、映画「コラテラル」の試写会へ。しかし、よく誘ってくれると思う。
普段の私の活動面等は一切ノータッチが、プライベートは別らしい。薫葉豊輝の産み出す物よりも友だちとして必要としてくれると言うことは、私には紙の上での表現よりも人間自身を使った仕事に向いていると言うことだろうか……人間の魅力を打ち出す仕事が……それが運命だとするならば、席の無い場所を捜し求める旅人。
まぁ好きな事をするが本望と思い、道無き道を行くしかない。
でもA氏から、もう少し活動面の協力も欲しいけど、スケールが小さく見えるのならば……POPでメジャーな世界の扉に向かうしかない。世界は優劣。資本家と貧乏人の差で構成されている問題について真剣に考える思想家の登場を願いたい。
ただ、こうして映画試写に誘ってくれるのも、創作面において何か役立つはずと思ってという根もあるようなので、そこは感謝せねば。第一、自分で葉書を書いて投じてない自体、天から与えられた物と受け止めた方がいい。
さて、映画は雰囲気と構成はB級。台詞と冒頭シーンとラストはA級でした。ジャンルはハード・ボイルドですね。
タクシー・ドライバーであるマックスが冒頭で検事を乗せ、彼女にある物を渡すシーンは素晴らしく、感動を誘う!
ラストシーンも上手いと思う。この2点が良点。
一方、気になる点は「殺し屋である(トム・クルーズ演じる)ヴィンセントがタクシー・ドライバーであるマックスを選択後、一人目の遺体処理をする際の論理」「フロント・ガラスが割れたままでタクシーを走行させ続けるという、プロの殺し屋らしからぬ間抜けを行なう点?=怪しさを周囲へ宣伝する事=頭隠して尻隠さず」「警察捜査の鈍さ」「殺し屋がマックスを引き回す理由の希薄さ」「追われているのに同じタクシーを使い続ける論理」「追われてるのに今日中に5人を殺害する事を遂行する論理(一度手を引いて別の機会を狙うのではと)」「依頼者の本部へ行く際、監視カメラの設置された付近にタクシーを駐車するずさんさ」などなど、辻褄と構成が弱い気が。
何故、これほど穴が多いのかわかりませんが、おそらく脚本の書き手(スチュアート・ビーティー)が、構成や論理に対して意識が低いのではないかと?
そして、これは私論ですが、構成に無理が生じる際の論理(メカニズム)というのは、プロットを見返す際、不都合だと気付いても、それを改稿せぬまま、強行突破する道を選ぶ際に多く見られる気がしています(自分の創作において論理が破たんした作品を見返してもそう)。
例えば、殺し屋が銃で脅してタクシーを出せと言った際、物語を早く展開させたいならば、運転手はすぐに車の急ブレーキを踏み、Uターン。そのままガード・レールに激突させるとか、そんな手があるのに(J・チェンの映画なら30秒でしそうですが、それではドラマにならないので、30分程度でどうでしょう?そしてそこからタクシーではなく別の道具で移動、新たなドラマに変化させるとか。モチこの物語は殺し屋とタクシー・ドライバー2人のドラマなので、それを活かしつつ、ドライバーと共に行動する理由ももう少し補強して。2人の背景に先祖とか、過去の絆を持たせて関連性を強める設定がないと、2人行動の理由がかなり弱い)、そして、この映画は始終同じタクシー・ドライバーと行動しつつ殺し屋は移動。そしてドライバーが車を激突させるシーンに到るまで一時間半以上かけている長さ……。
つまりショートカット出来る物は出来るだけした方がいい気が?そうしないと、構成が鈍くなる?私の場合、創作では極力無駄は書かないようにしようと思っているんですが(そのせいか、あらすじだけで長くなる)、書かな過ぎてもやはり人間が記号的になるので、得ではないですが、実際、論理重視だと、余韻を出しにくくなるし……。
でも、この映画の脚本家には武器もある!それは台詞のセンス。
と、(銃撃シーンを除く)余韻のあるシーンの描き方にある雰囲気。繊細さ。つまり、ドラマ派なのでは、大人の物語を書ける脚本家ではないかと。そして味がある。
でもハード・ボイルドとて、推理小説のお仲間。となると、論理が破たんすると、私を含め、思わぬところから指摘が入ることも。
ですが、ジーンと来るシーンもあり、その記憶を得られただけでも得した映画でした!
・「ピンクのチョコレート」 林真理子読了。書評荘UP!
10月20日(水)先負・秋の土用の入り(太陽の黄経が207°に)
自分はどういう人間か考えてみた。バラバラのピースの中から砂金を探そうとする癖がある。
が、砂金に到るのは途方なき旅路。それでも行くのだから、物好きな旅人だと思う。
自分はどういう人間か考えてみた。同じ所で失敗する事が多い。思考は広範囲に及ぶけど、その度に、似た状況で躓き、思考が空転する癖がある。飛躍も多いけど、着地できないことも多い。広義のようで狭義だったり、やっぱり広義に憧れてフラフラしている。
三つ子の魂百まで、いや、「三つ子の癖百まで」という事態だけは回避せねば。
ユキオさんのサイトを観て「Happy? Hippie」って、凌ぎを削ってるなと感じてます。皆さん、一芸を磨いていますね。言葉も熱くて競争しながら凝縮した交換作業を行っているご様子。そのうち、凄い言語が周囲に対して放つ時が来るかもしれない?
となると、やはり中途半端では参加しにくい。頭隠そうとして乳房ポロリというのに似て、弱点までは隠せない。いい格好すればするほどそこが露出しそうです。だけど皆さん、ご自身のテイストを作るのも、もう二歩程と、間近なのでは?
ヒト遺伝子は3,2万個あると思われていたのが、マウスと大差ない2,2万個だったことが(日英米等6ヵ国の研究チームにより)解読されたそうですが、どうも人間は遺伝子の数において優勢なわけではなく、1つの遺伝子がたんぱく質を作る時期、場所、量を巧みに使い分けたり、遺伝子を制御するリボ核酸(RNA)を働かせて高度で複雑なメカニズムを持っているからだそうです。そう考えると、最近の「名探偵コナン」ガジェットが増量し、情報が整理、配置されていると実感。
その少年サンデー「名探偵コナン」=大枠での推理には到れたもの、何故推理が停滞していたのかと(単に多忙)、最後の詰めに届かなかったのは、作者の設定に不備があったから。
では、どこが良点でどこが汚点なのか。
まず、良点は「4日の仏滅」の設定。「全員の癖の設定」「綿引の癖の論理」「誕生日を記載したカレンダーの書き込みまで作者が手を入れていた点」「事件の連続性と仏滅と怨恨とを掛け合わせる伏線技術」「○の描き方の差異の設定」(総じて、多くは推理できた)
最近のサンデー誌での「コナン」は3週か4週で一話完結となる形式がとられているので(だから前後編の2週で一話形式としているTVが追いついていない……よって過去作やTVオリジナルを放映し、調整)、原作の方は設定も緻密になり、密度が高くなっていると私は分析。
では、どこが汚点だったのだろう?まず「EとNのD暗号の曖昧さ」関口が時計にそれを残す動機が弱い。ここは作者がD暗号の変化球を狙った(と、本格ミステリの書き手の視点に立つと試みとして、共感はできるもの)、結果的にD暗号ではなかったという点で推理に到れない(=解決にたどり着けない)。
最後に書くのは人の名と考える、推理手の思考の定石の裏をかいたようですが、それを時計に刻むか?それも強請りとは言え。(ここを工夫するなら、私ならどうするか、そうだ、2つ書こう。D暗号と船の沈む場所を。時計にD暗号、手摺り付近か服に沈没場所を書き残す!結果、定石と工夫の温故知新を同居させられる)
次に「五人目の魂」も曖昧。沈んだ人は全員、それになりうる確率がある=確率の差が判断材料となると推理も曖昧に。
そして「綿引=双子で死んだ弟が実は生きていた」はいいとして、双子が同時に侵入したのは何処?あのドアはベランダの窓ではないし、ドアがもう一つあるのか?それを見て主人が悲鳴を上げたのをドアの向こうの妻が聞く=ドアに妻が訪れた直後、悲鳴を聞いたのだから、綿引はドアから入るのは不自然。悲鳴との時差において。
次に、ドア裏に一人潜んでいた論理は死角だったし、サプライズを感じた。でももう一人はどこから一階へ戻ったのかが説明されていない??ロープは使用できないと先週コナンは指摘したし、隣室のベランダへ飛び移るのも不可能(埃が付着したままなので埃の論理からそこに手は触れていない=私は天井裏から逃げたか、ベランダからやはりロープで降りたか、屋根へ上がったか推理した)が、その説明がなされてなかった?単に、ドアを開けて二人が入ると悲鳴を上げる主人。そしてショック死。その後2人はどうやって出たのかが。でも想像で1人がドア裏に潜み、皆に紛れて中へ入ったフリをしたのはわかるもの、もう1人はどこへ?2人ともドア裏に潜んでたのか謎のまま。なのでどれだけ推理をしても詰めに到れなかったのですが?
その後の、皆で部屋を捜索する際のドア裏に潜む論理は、コードとして、最近使用する方がいないせいか(古典的トリックゆえ)、そこが逆に意外で、サプライズはあった!
しかし、これだけ緻密に設定したからこそ、「主人の部屋から双子が出た論理」にまで神経が及ばなかったのかも?
だけど、これだけの設定を考える器量。まさに前述した、同じ道具を知っていながら、それらを上手く調合、配置し、巧みに使い分ける人の遺伝子に似て、脳の使い方に、ある特徴的な癖が存在しているんでしょうね!
だけど、皆がこの域に簡単には到れない(「コナンかぁ……」とは呼べないわけです。そう言う人に限って、推理小説の本質を見失っている)。
何十年の精進の結果。その影として「作品」が存在していると考えると、誰しも自分のリズム、ペースを持ち、少しずつペースアップしていくしかない。
冒頭で述べた詩の朗読会「Happy? Hippie」にせよ、回を重ねる毎に腕を上げているでしょうし。そのうち、見下していた人達を逆に見返す日、その人達の力量を超える時も来るかもしれない。ブランドとなる日が。そうやって皆が振り返った時、彼等に真の実力が養われていたなら、その実力を前に皆は必ずサプライズするはず?
となると、私は、コナンの推理にせよ、むきになってパーフェクトを目指すよりも、自分の歩みと同じ歩幅で、推理をやっていこう。そんな気がしてきた。
10月19日(火)友引・アルゴルが極小・月の赤緯が最南
ニュース!サイト内「CLUB33」欄にエッセー・コーナーを新設!第一回目は石井先生が寄稿してくれています!
私にしては、プチッとですが、ファッショナブルな頁に仕上げられたのではないかと?
今すぐアクセスを!
面白い本には笛が隠されているのかもしれない?
本の頁に隠れている、その笛はきっと、頁をめくる風圧によって音を出し、その音色によって読者は踊らされていく?
いや、正確には、その笛(の音)の正体は、文章のリズム。
そのリズムが次第に身体リズムを速め、そして緩め。挙げ句には感情までをも操作、誘導していく。
さらにラスト・シーンにて、(作者はプログラムしておいた?)笛の音量をワッと上げて読者を驚かす。
そして笛の音は、本を閉じると共に風と共に去っていくのです。
・「Doomsday―審判の夜―」 津村巧読了。書評荘UP!
10月18日(月)先勝・月が最近・へびつかい座43番星の星食(潜入) ・おひつじ座Uが極大
理屈と感覚を、珈琲の中に落とすクリープのように混ぜ合わせ、雨空の下に一人立ちつくす。
そこで、白昼の観測を行なっている僕。
推理小説は、指で書く「フィンガー・マジック」?
「左手にトリック、右手にペン」狭域の(私的)座右の銘が裏付ける。が、座右の銘もあと100ぐらい増やしても問題ないかもしれない。世界はきっと圧縮可能な伸縮のパズル。
点と線とが追いかけっこしあう情のゲーム。だから、不和に満ちた空間を前に、整合性とは一体、何なのか。その補修液を用意して、世界の均衡を取り戻す道路工事。
となると、私のトリックとは、黒魔術(暗黒のトリック)に対して、白魔術。白トリックか?
白装束の文士を目指すことこそが、得策かもしれない?
さて、この間の「W会議」で、久々参加のIさんが「次回は創作を離れよう」と読書会を提案。
そこで芥川龍之介作「羅生門」を、創作側の視点で再読、最勉強し、自分なりの文学的発見に迫る。と題して行うことにします!
ただ感想を述べるに止まらず、ここの表現がよかった。ここはこうした方がいいかも?
さらに、自分ならこうするとか、意見をアレコレ言いあう。そんな内容で行いたいと思っております!
もしかしたら私は、「羅生門」のオチに、新たなオチを提案するかもしれません?
何が飛び出すかわかりませんが、皆さんの面白意見をお待ちしております!(モチ、真面目な意見も)
日時は11月14日(日)午後2時ー5時(詳細はイベントBBSを!)。
一方、その「ライター会議」で、そろそろ(自主制作)作品集を出さないかと、検討しておりまして、今回、参加希望者を外部から募ります!
実は、料金的なことが原因か、執筆的要因かは不明ですが、参加者が遙伸也さんと私と、もう1人、2人いるかいないかという現状なので。
希望者は私までメールを!ジャンルはフリーです。小説に限らず、詩、エッセーでも受け付けます。原稿用紙換算枚数3枚程度から受け付けます。どうしても1枚という方は1枚でも可。上限の方は20〜30枚?本の総合頁は100頁を予定していまして、全参加者の原稿用紙換算枚数は150枚前後予定。
小冊子なので、費用は、企画エントリー料金500円(W会議の常連メンバーは300円)と、原稿用紙1枚につき500円前後+送料程度を考えています。なお作品はメールでお送り下さいませ)
計算すると、5枚の作品で参加される場合=3000円+送料と思って下さい。
完成は年内と意気込みたいところですが、来年初頭ぐらいを目標に完成を目指したいと思います。(よろしければ、ご賛同の方、よろしくお願いいたします。
なお、販売も検討しております。料金は\300。
実は、今まで、参加者の賛同、協力が少なかったため、何度も挫折してきたこの企画。遙伸也さんと「どうして皆、この企画になると消極的になってしまうんだろう?」と2人で腕組みをしてきた次第……。
そこで「今回こそ有限実行したい」と、外部からの参加者を募ることにしました!(皆様のご賛同、お待ちしております!)
10月17日(日)赤口
いよいよ、石井先生のイベント・ミステリの日時が決定です!(BBSをチェック!)
さて、いつもの日記に戻り、今日は「俳句会」へ。
兼題の眼鏡の句5句を持参。まずスギさんと円満トーク。「夜想」の裏で行なってる理由は店の都合だそうで、今後、第二金曜あたりを考えていると。そっか。「夜想」の灯を守っていきたい私としては、一件落着でした。でも主宰のSさんも奥さんのR(S・R)さんもタンゴに夢中で「夜想」を守ってるのは実質私という現状。皆さん、大人のしゃべり場「夜想」を今後とも宜しくです!(特に、第一回から参加の博識のMさんを始め、皆々様!)
いつも両方の選択に迷うというNEOさんも「夜想」復帰、お待ちしております!そのNEOさんについてスギさんが「NEOさんはいつもアンケートが鋭くて、印象的ですよ」と。
スギさんと本の話。「博士の愛した数式」はよかったと。でもその前に読んだ「蹴りたい背中」の文章が上手すぎて、文章面に関すると落差を感じたと。
「博士」の方、未読ですが、確かに綿矢さんの文章は上手かった!レトリックの王女?
薫葉007、綿矢王女陛下を前にした暁には(「土足厳禁」と書いた)背中をお見せいたします?嘘です、コントです。お馬鹿な戯言はこの程度にし、本題。
そのスギさんの句「秋風のひとかたまりが行く線路」
この句は代表のM先生曰く「『行く』が要りません。秋風のひとかたまりの線路で充分いい句です!」と。無駄はショートカットせよと言うことですね。私も選びましたが、ひとかたまりという比喩が好きです。そこがポイント。
陶芸家のKさんの「眼鏡拭き拭き百里離離蘚蕕燹
私は非常に気に入った。内田百里了瑤での名はノラだったらしく、それを句に導入した点に一票。そこで詩人のM・K先生が、漱石と百里力辰髻漱石の姉が岡山県の士族と結婚しつつも、夫を早く亡くしたので結局、東京へ戻るもの、それまでに何度か漱石は岡山に訪れたことがあったんだよと。その時、百間川付近にて生まれた内田百里呂泙斉鷓个世辰燭箸。さすがに学者。勉強になります。
この句は、M先生曰く「悼むを取りましょう。言いすぎは控えて。『拭き拭き』と書くだけで、悲しみが伝わりますから」と。
言葉の体をシェイプアップして美しくという俳句の基本はわかっていながら、習得は難しいものですね。ホント。しかしM先生を尊敬する私としては、常に学ぶ体制でいたい。が、出来が悪くてスミマセン。
でもそのM先生に本日は、特選を選んでもらえて、ほっかほか。
「眼鏡置き時差修正に取り掛かる」
眼鏡を掛けるか置くかで起こる(視覚系の)時差?「眼鏡パラドックス理論」?を詠んだアナザーワールド的な無季俳句。M先生の評もよく、満足!
だけど世の中。有名人から無名人まで(国内に)億単位の人がいますが、この岡山で尊敬しているのがM先生。
それと石井先生でしょうか。お二人ともどこか似ている。やはり人は似たものや、類が友を呼びあうということなのだろうか?お二人の共通点は、物静かな知性派という点。
しかしM先生は、実力に対して知名度が低い。でも間違いなく賢者であり、何を聞いても的確な言葉が返ってくる度、サプライズさせられっぱなし。感覚も若いし、凄い方だ。
でも「清い水に魚住まず」で、その清さが、人気面を抑えてしまっている原因となっているのかも?
そう考えると、芸能プロA氏は、POPで毒舌。度を越した明るさで周囲に光を放つ分、いつも大勢の人が周囲を取り囲んでいて、一体どの星から来た人間だと時々思ってしまう私。ノリ一発、この指止まれで、ワーッという感じ。が、その裏には(幼少期、本格ミステリで培った)恐るべき策略が秘められている点が侮れないですが。しかし人生、勝ってきた人間だけに、凄いと思うけど。
月明かりの下を歩く私は、朧げな光の下にて湖を見つめながら、詩を噛む日々……。
そういえば昨日、妙な夢を見た。威勢よく大きな竜に乗った芸能プロA氏が、何か木簡のような物を私に渡してくれ、そのまま暴れ馬のように去っていった。自分も竜に乗ってたけど、威勢も速度にも差が……。
でも実際、昨日は彼からチケットを貰い、コンサートが見れたわけで、何か得たな。
それと不思議なことが。コンサート終了後、停めた駐車場に戻ると、私の両脇に停めていた2人が「今日はラッキーだった。キャンセルになった友だちからチケットをプレゼントしてもらえて」と。
何という偶然。と言うことは、その駐車場のその空間だけ、得した人間が3人集ったということ、ちょっとしたシンクロ現象?が起きていたことになる。何か、土地の運だろうか?
そこで考えてみた。もしや、いつもそこに駐車する人のいい因縁を受けたのかもしれないと?
ここに停めたのは偶然ながら、もし他に停めていたら、さらにその地に恨みの念がこもってたり、人を許せず、怒りの充満する学生、あるいは反社会的行動愛好家の学生が停めている定位置であったら、今日私は、中に入れなかったかも?(あるいは嫌な気分にさせられることにお目にかかる。最悪のケースとして事故もあり?)と、思考。
この間、チボリ公園であった囲碁の国際(子供)大会の閲覧を芸能プロA氏が誘ってくれつつ、彼と会う前に五色(豆)パンを食べていくと、何故か急に「正装でないと入場不可」と、私の前に門が閉ざされた時の逆。
そこでその時、理由を考えた=囲碁は白黒二色の競技。それに対し、五色パンを食べた私は、色が3色多かった=手形が合わず、門は閉ざされた?かもしれないと?
今回はその逆で、私が川崎医大の、駐車場のX地点へ停めることは偶然ながら、高確率で決まっていたのかもしれない?
そこでもう一回転。人間にはいい土地や合う土地があり、今失敗してる人、落ち込んでる人、芽が出ない人は、場所を変えてみることで、自分の居場所(聖地)に、いつかは突き当たるかもしれないのではないかと。
今、冴えていない人はおそらく、その土地は適地ではないのかも?石の上にも3年なので3年を判断基準にしてもいいかも?
そこで、俳句のM先生にせよ、実力に対し名声面が低いのは、何か場所や、やり方、土地。もしや俳句というジャンル自体が、そこまで相性のよい芸術ではなかったとも考えられるかもしれません?私にせよ、貧乏だし、ほの暗い水底を泳いでいる日々……。
かといって、すぐさま別天地へと移動できないのが人間。
土地の呪縛から逃れるのにも資金が必要……。だけど、昨日の駐車場で学んだ教訓とは。
世の中には、ラッキーな土地と、アン・ラッキーな土地。そして平凡な土地。この3種があるのではないでしょうか?
俳句会のアフターで、奥出雲に行かれたK・Mさんと、出雲とタタラの話に花が咲く。その場に残ったスギさんも囲んで、少しトーク。K・Mさんは今、金光町に興味あるとか。
出雲か、行きたいですね。私も、草薙の剣を一振りして、スペシャル級の厄払いをしてみたい!
・「凍える島」 近藤史恵読了。書評荘UP!
10月16日(土)大安・小惑星ハルモニアが衝
仕事を早く切り上げ、夕過ぎ、川崎医大の学園祭「大塚愛」コンサートへ。
玄関前で、拡声器を手に叫んでいる赤服の男を発見。「カメラ禁止!」「整列をー」と走り回りながらシュプレヒコールしてる様子。
芸能プロA氏だ。裏方の人間だけど、絶対に内に引っ込まない主義。祭りとなると真っ先に先頭へ。
しかし、統率力ありますね。皆まとまってるし、企画者は、どっしりと構えている方がいい時もあると思うけど、企画人が人一倍動くことで、下の人もよく働く。それに、いい噂も出てますし。
昨今。有名アーティストが岡山に来る比率が高くなったと。
実は今までは、大物は金がかかるので、ちょこちょこしか呼ばなかったそうで。が、その定説を彼が塗り替えてる。(それでも儲かるから、芸能世界は凄い世界ですが……)
そのA氏からチケットを貰い、入れてもらえて感謝!しかし、鞄の口を開けて受付でチェックを受けるとは厳戒モードですね。カメラあると、即抜かれる(抜き打ち検査を思い出す)。
大きなホールに入ると、学生の渦渦渦!ある子から「医大生の方ですか」と声をかけられ「学生です。嘘です」そんな会話に。(んなっ、学生に見えるか?)
コンサート・スタート。が、さすがに皆さんの入場後、こっそりと最後に入場させてもらったので、最後尾で観る大塚愛が何とも小さい。人形サイズだ。
このままでは面白くないので、席を立ち、壁に沿い最前列の壁際へと移動。機転が効く人間だと思う……皆は真面目に席に着いていて、豆のような大塚愛を観る中、私はずる賢い不良かもしれない?それに、チケットは猛烈な勢いで売れて、すぐに完売したそうで。
だけど、さすが!いい場所(最前列壁際)へと移動すると、楽しみも倍に!
歌に関すると、メロディが単純な曲が多いですが、ヒット曲に関すると、乗らせてくれますね!特徴は、声量があるのと、声(高音)が伸びる点が武器なのでは?
でも意外と私は教えられることがありました。
彼女の言った「自分が伝えたいと思うことは、今事件も多いし、もう二度と会えなくなる人もいるかもしれないから、伝えたいことは、今すぐに、素直に伝えておいた方がいいと私は思う。そして、この私が歌う唄もそう」と。
ハートがありますね。それと、他にフィットした台詞に「一昨年の大晦日。曲を作って新年を迎えると、今年は歌を唄うことが多くなるんだろうな」と、デビューも決まってないのに、そう予感したそうですが、それが実際に去年の9月にCDデビューが決まり、この一年は大忙しだったと。
予感的中は凄い!努力の賜物では?だけど、私の学生時代の学際はしょぼかった反面、このステージの豪華さには感動と。この間の第一弾の学祭は台風で流れ、パンツまでびしょ濡れになったとか?
なので「今日は晴れて最高!」と。初の学園祭コンサートだそうです。だから観てるこっちとしても、結構、キタッ!
やっぱりラストは大ヒット曲「さくらんぼ」を全員で熱唱。私も最前列まで行き、歌ってた(歌が好きな人間ゆえの業か?)。
大塚愛ファンではないけど、この歌なら謳えるし、この歌は好き!でも、ステージ開始3分前までは席についてこっそり本を読んでいた私。他に読んでる人はいないか周囲を見たけど誰もいない。どこまでも浮いた人間だと思う。学生ばっかの中に、本の虫一点?
終焉後、コンサートを振り返ってふと思った。大勢の中にいると不安を覚えてしまうと。部屋の中で本を読んでいると、自分が高まり、何かが満ちてくる気がするけれど(さらに己のリズムも掴めて迷いも生じにくい。が)、群衆の中にいると、孤独を感じてしまう。
それは、他客と言葉を交わせないから?
魅力的かつ賢そうな顔をした学生の群集を前に(人は差を前に、嫉妬や失望を覚える論理から)、彼等からプレッシャーを受けてしまうから?
やはり、自分に向き合おう。大衆は固まると、大きなアクションを前に、簡単に踊らされてしまうけれど、でも本当に難しいのは、一人の嗜好に働きかける作品を提供すること。
私はそれを活字でやりたい。だから音ではなく、言葉で表現する。
「さくらんぼ」はいい曲で、大塚愛にはハートがあった。彼女には歌を謳って皆に元気や明るさを分け与える天分があったんでしょう?そして何よりも、歌うココロが。
でも、技術だけの人は、己の腕に溺れて、ココロをきっと忘れる?
彼女より歌が上手い人、顔のいい人はいくらでもいる。でも、技術もあり、ウタゴコロも兼ねている点が、成功の要因かも?
だから、今日「大塚愛」というアーティストを観て、私の方が歌も上手い(楽器も上手い、作曲能力も負けてない)と思った人はいると思いますが、そのウタゴコロの持続。それが出来たのが彼女で、技術はあるけれど、ウタゴコロを置き去りにしてる人は、なかなか大衆の気も、デモテープでの評価ももらえないのかもしれない?
そんな光景が、ふと脳裏に浮かんだ?
ということは、物語を面白くさせられるか否かも、すべてココロ一つということか?
10月15日(金)仏滅・こじし座Rが極大
「お話」には筋肉があると思う。よって、細胞によって構成されている。面白みも筋肉の伸縮で表現。有効かつ合理的な筋トレ方法を探そう!
今週の空は、太陽と土星が直角となり、占術では、山羊座、獅子座に悪影響を与えると言われていますが、魚座を支配する海王星が逆行から順行に転じるために、問題も長引かないとも推理されてます。
私的な読みでは、海王星をポセイドンに変換。意味にある「詐欺」「石油」「麻薬」などの問題が突起してきそうな気も?(実際出てますね)
B・ジャンプ「民俗学者八雲」=ドラマは本日、放送開始ですね(私の地区は放送が確か20日)「天狗伝説」の毒トリック。実はあのアレンジを最近、思案しました。
理由は、あの女の子がお椀を持った後の論理が弱いので=手にした後、食べていたらアウト=ここが弱い。あそこは「ああしたらよいのでは」と?
ちなみに八雲の顔って、京極夏彦さんがモデルでは?(あるいは清涼院流水さん?)そんで、内面(造詣)は、森博嗣さんの犀川創平がプロトタイプと私は読んだ!よって助手の富良野は、萌絵でしょう。
ならば、せめて名前にもう一工夫あったらキャラ立ちも倍な気が。八雲はちと平凡?
清涼院さんの鴉城蒼司、森博嗣さんの瀬在丸紅子。そんな感じのインパクトが欲しい!
さてB・ジャンプに連載中の原作の方=今回は、解決編まで掲載してたので推理せずホッ。
井戸の論理は整合性が高く、よい手でした?ただあのフィルム案よりも、いい手もあるかも?
パッと見て、別案を思いつくも、足裏の論理とか井戸の傷の論理とか詰めてますね。
遅ればせながら仏のD・カーことP・アルテ「第四の扉」を読みました。推理漫画と相性がいい物理トリックに主眼の置かれた絵に起こしやすい作風。
第四の扉のトリックは面白い!が、これが「名探偵コナン」なら、いや読者として、トリック開発者(プランナー)として見ると、改良案が浮かびました。
それは扉が4つでは、少ないのではないかと?
コナンのこの間の手品の(鏡の扉の)密室。P・アルテを意識している様子ですが、大変優れたトリックで、たまげました!(「第四の扉」の倍ぐらい、素晴らしかった=トリックは違うんですが)
実際、原理は似てないもの、扉を扱う点で相似。しかし、アルテの扉の原理はちょっと弱く感じたのはおそらく、廊下の距離に対し、扉の数がチト少ない点。
私なら、最低8つは用意すると思うんです。それぐらい、人間の眼を錯覚させることは難しい気がするので!(4ならすぐ数えて、その幅にも何となく意識が向くと言いますか?)
しかし、2002年度の話題作だけに、傑作であることは間違いなし!さらに、(これを機にある意味、P・アルテ=フランスにて「新本格ミステリ」を起こす?)本書のフランスでの刊行年が1987年(日本では、石井先生が乱歩賞を最年少で受賞。一方、乱歩賞の選考委員からの評価は得られぬもの、島田荘司から後押しされて、綾辻行人デビュー=「新本格」元年)だったことも興味深い!
Sジャンプ「ゼロ」=日本のXXXが渡米しXXをXったというプロット。
ちょっと安い気が?おそらく鯨統一郎さんを意識したんでしょうが?……しかし、鯨さんの想像力の域には達していないので、やはりレプリカ?
軽く手をつける(ある意味、便乗)程度では、本物になれないという修練の法則を、己も肝に銘じねば(千回念じても無理そうですが……千一回目に賢くなれるよう、頑張ろう)。
だけど、歴史ミステリの波が来ているんでしょうか?漫画は、小説のバタフライ効果を受けて描かれている=常に小説が一歩先を歩いている。そんな見解を持っている私としては、やはり先見の明は小説にありと信じたい!(小説の前に専門があるのはわかってますが。でも専門家ばかりがデビューする傾向にある小説界=つまり常識外の研究を小説で表現したい人がどっと小説ジャンルに雪崩れ込む。つまり、異色な発想の行き場としての器として最近、小説新人賞が機能している傾向に=ゆえに専門家以外に対するチャンスが減少している現状)
だけど、やっぱり面白さが一番大事ですよね?
専門書が読みたいなら、専門書を読めばいいですし、眠たくなるだけだとしても、小説は小説としての機能、役割があると思いますから。
そして、ドラマにせよ、高い確率で大衆を納得させられる面白さ。その法則に気付いた人の作品が売れる。それが出版の裏図式?
・「第四の扉」 ポール・アルテ読了。書評荘UP!
10月14日(木)先負・新月・部分日食・水星が月の南0°10'
今日は部分日食がありました。ふとこの形(三日月)から「ツキノワグマ」を連想した私。
今、熊の事件が多いですが、部分日食と熊が、何かを象徴していなければいいが?
キーワードが足りない……。
思考を自由に、無重力に委ねて、あらゆる概念から解き放たれよう。
(薫葉自身が提唱している)「本格無重力推理」(天文推理)の力学よ、我に力を!?(台詞がチョイ臭いな)
待てよ。この熊。星座の「おおぐま座」に見立てられないか?
しかもその「おおぐま座」は北斗七星を飲み込んで形成される(尻尾が北斗七星)巨大星座群。
部分日食、北斗と大熊から、死や冥途を連想。冥途といえば、死を司る星である冥王星が、最近、影響を揮ってる。冥王星は戦争や革命などを意味し、不吉な星座。
占星術界では、冥王星の影響で、世界の嘘が明かされる兆候があると囁かれていますが、推理の焦点は、さらに細部と関連させるべきと読んだ私は、そこにさらに日食や熊、北斗七星も枠内に入れて、伏線扱いした方がいいと論立てすることに。
また地震や噴火。決戦(大統領の舌戦程度でご勘弁願いたいですが)が勃発の兆しか?
ふと暦を見ると、今日は旧暦の9/1だった。9/1といえば地震の日。
関東大震災は新暦の9/1だと思うので符合しないが、数字で符号してる。ただ救いは今日は丙寅の四緑木星の日なので、星回りはさほど悪くないが……。
だけど気になるのは今月、地震を司る三碧木星が(羅盤)魔方陣の中心に来ているのも気になる。三碧は希望も象徴するので相殺を願いたい。
あと、冥王星=プルート(プルトニウム)。核兵器に関する動きがあるのか?
(関係ないけど、探偵学園Qも復活した=コナンにおける黒の組織に対し、探偵学園では、冥王星が黒幕なので)
冥王星=プルトニウムと考えると、大量破壊兵器不在問題や、北朝鮮の核問題が明かされる?あるいは問題は、さらに悪い方向へいく?
北斗七星=大熊座が、それを警告しようとていると読むのはどうだろう?
早く回避策を練らなければ、太陽が欠けるような事態となる?(核兵器でなくとも、大型爆弾投下後に上がる煙は、太陽を覆い隠すはずなので=日食と符号?)
「国が燃える」(本宮ひろ志著)休載記事=毎回、斜め読みしてる私としては、余り、はまれない漫画。まず、これを真剣な漫画として読むには何か足りない気がするし……つまり、エンタメであり、作者はドラマとして描いている(のでは、実際、それ)以上のものを感じられませんし?
作者がお酒を飲みながら描いているとまでは言いませんが(毎回の如く、アシスタントに任せすぎて描いているのなら、やはり発信者である作者自身のスタンス自体弱いかも?結果、説得力も足りず?)そのせいか、絵から放つ光も弱い?
真剣に国の過ちを紙面にて訴える気持ちを感じられないんですね。だからか、絵に本気さが足りない?人物も皆、硬派な人ばかりではないし、毎度の如く、暴れるシーンとか、やたら人が喧嘩っぱやかったり、真面目にあの問題に取り組んだ漫画とは思えない私。真面目に問題を扱うなら、艶っぽいエロも排除した方がいいと思うし。(はじめからポルノならエロで押し通せばいいと思いますが)
歴史問題ブームに便乗して扱おうと思ったのかも?実際、常に漫画家はネタ探しに追われているでしょうし。
もし、昔から歴史問題一筋に描いてきた人なら、万人を説得するような慎重な描き方を取ったと思うと言いますか。そう考えると、どこか本気さが一匙足りないかもしれません?
できれば、史実を踏まえつつ、慎重にヴェールを剥がす方法を取っていたら、もう少し別の形で批判があったのでは?
でもやっぱり、絵なり、描き方なり、どこか真面目さが足りない気が……初めからパロディ。あるいは、黒歴史には触れない政治漫画なら、自由に描いてもさほど問題はないとは思いますが、どこか中途半端だったのかも?
あと、本宮漫画=シンボル性が高いし。影響力を与えやすい。その分、絵に偏り、人間の繊細な部分が出ないという問題もちょっと関わってるようにも思えます。
しかし「硬派銀次郎」は素晴らしかった!銀ちゃんは清清しく、凄い奴だったけれど(万吉にも、魂を揺さぶられました)が「国が燃える」はチョイ、はまれず。
しかし、私自身、歴史に目をそむけているのではなく、逆に、中国人の方の描いたリアルな漫画をY・ジャンプにて掲載してほしいと、そっちの方に目がいってます。やはり体験してないことを描くのは難しいですし、リアルな物は描けないので。本宮氏のフィルターで描いてしまう時点で弱い?
そう考えると「コナン」や「ゼロ」とかは、あらん限りの頭脳を振り絞って、作者が真剣勝負にて描いてるように感じるので、読み応えがありますね!毎回、発見もあるし。そして(過去ばかりに目を向けず)新しい物を創ろうという意志を感じられる点には打たれてます!
だけど、ここまで書いて立ち止まる。
本当に恐いものって何だろうって。
それは、歴史のもみ消しとかよりも、悪意のみで書かれた作品。そっちの方が悪影響があるかもしれない?それによって被害者が出ても、なかなか社会の表層には上がってこないので、批判もされにくいけれど、救いも解決もない悪意だけで構成された作品とかの方が恐いかもしれない?
そう考えると、愛や救いとは尊いものですね!
実際、人は嫉妬する生き物だし、愛されないとすぐにふてたりしょんぼりする生き物。博愛が届かず選ばれないと失望する。ということは愛とは、人間の欠けた部分を補う(誕生の瞬間から付属している)セット。そんな欠けてしまうと、生命さえにも支障をきたす重要部品なのかもしれない。
10月13日(水)先勝・月が赤道上を通過・木星が月の南1°36・火星が月の南1°41
上質の本格推理小説を読むと、何とも言えない気持ちに襲われる。麻耶雄嵩さんの「螢」
傑作でした。素晴らしい作品。「暗黒館の殺人」が綾辻ブランドというバッグ・ボーンがあることで、評価が数倍に上がる反面。この作品は作者名を隠して作品だけを観ても凄い!
更に(舞台設定は非常に地味ながら=器は古い)新しいことに挑戦される想像力!錆びない頭脳の持ち主であり、才能が健在されている点に感服!
古い器(骨董皿?)の上に、新しい料理を盛り付けたような作品。それが読後の印象!
私は「翼ある闇」「メルカトルと美袋のための殺人」「夏と冬のソナタ」「鴉」と読んで、「鴉」がちょっと……だったので、そこで他作品を読む手が止まったクチですが「螢」で再度、吸引されました。
特に推理漫画にはまっる人にオススメしたい。「これが本物の本格推理って奴か」と十分満足させられる出来。もしかしたら「推理漫画が安っぽく見えるかも?」(コナンや金田一少年にて、最高のトリックを扱った際を除く)それ程、手応えがあり、横溝正史と同域に達している!
そして何より、お世辞抜きで絶賛できる作品であることが嬉しい。そして悔しい(こんなのを先に書かれたことが!)
しかし本物ですね。「格の違い」を感じさせられました!
例えば、今年私は、二階堂&黒田氏の「永遠の館の殺人」を読んで感激した!が、このメイン・トリックのアイデアが綾辻さんの「暗黒館の殺人」の(ある箇所の)アレンジだったことに気付いた時、ちょっと覚めてしまった……。となると綾辻=アイデア・マンといえる。
その点において。麻耶雄嵩さんも、相当のアイデア・マン。ゆえに「螢」が前例のある作品のアレンジでないことを願いたい。ホント!
だけど、推理作家にも将棋の棋士のようなランクがあるならば、何かタイトルを得ていてもおかしくないレベル。名人、王将、王位、棋王、王座、竜王……何かを持ってるのでは?名人にしては知名度が低いので、王将あたりでどうでしょう?
そうなると、綾辻さんは(そろそろ)永世名人に手の届くレベルか?
少年サンデー「名探偵コナン」=「螢」の衝撃で頭がよく回らないので推理するモチベーション上がらず。
でも、一応、前回の推理を継続ということで。
読んで気になった点は○の書き順。やはり双子で二人の共同生活か?
他室のベランダ手摺りに埃=つまり綿引はまだ主人の部屋に潜んでいる?例えば、壁に秘密の抜け穴か、天井裏に抜け穴があり、そこが秘密の部屋に通じいる?(「暗黒館の殺人」を意識してるのかも?)その秘密部屋は、一回目に伏線として提示された、あの壁?(ドアなら部屋なので却下)の下部に空いた隙間の裏にあると考えてみるのはどうだろう?
普段は兄弟で生活し、時々、その秘密部屋(単なる天井裏かもしれない)に潜む?
ちなみに、青山氏が棋士なら、やはり名人(の域)だとは思います。
・「螢」 麻耶雄嵩読了。書評荘UP!
10月12日(火)赤口・ジョンソン彗星が近日点を通過
自分がきっと劇団員なら、雑事に追われて、面白い物語とは何か、それを見失う。
自分がきっと自主映画制作グループに所属していたら、撮影に追われて(同じく)面白さの焦点を見失う。
自分がきっと詩の朗読ばかりに精を出してると、パフォーマンスに傾倒。理論を学ぶ向学心、モチベーションが下がりそう(客がいないと萌えない心理。これに慣れると恐い。昔、音楽をしていた頃、そうだった=だから全然、音楽性がUPできず……)
即ち、活動とは、葛藤の連続。人はおおかた、自分に酔いたいがために(活動の場にて)自己表現する。
でも、読者や観客はとっても厳しくて、目が肥えてる。鑑賞ばかりで運動しないせいか、体は動かなくても、口から火を吐く批評のゴジラ?
昨日出た映画「デビルマン」の話。NEOさんが「最近の日本映画の作り手は、何故かストーリーを軽視しているような気が。キャシャーンもキューティーハニーもストーリーが破たんしてるみたいだし、これってどうなんだろう?」と。
自分がきっとCGクリエーターなら、キャラ・デザインの見せ方、描き方ばかりに追われて、面白さって何だろうとか、考えぬまま製作進行。つまり、肝心な点を見失うかもしれない。
肝心な点は常に細部にあり、非常に地味。
そういえば(小中時代)漫画を描いてた時、主に絵のことしか考えてなかった(特に個性的な顔を創造しようと)。だから漫画絵しか描けない馬鹿野郎になったのかもしれない……ストーリーは全部SF漫画等など、影響の上に築き上げた産物でしかなく、ドラマの奥深さにも気付けぬまま……構造、理論より感覚任せ……)
面白さとは何だろう?読者を惹きつける作品とは?
劇団「転機与砲」の代表も、その命題に悩んでいる様子だったので、私はサイト上にて意見を出すも……肝心の脚本の書き手からのレスポンスがさほどなく……残念。反響してくれた方もいましたが。
SFチャンバラも結構ですが、もっとクオリティの高い脚本が見たいんですね!(観客としても、もっと大きな視点に立って言うと、地元の演劇レベルを上げるためにも)
面白さや、読者をつかむポイント。それを、時々覗く「海燕」さんの日記が、上手く言い当ててくれている。
すぐれた小説の条件とはなにか?=「連読性」をおいてほかにない。「物語をつづけて読ませる力」のことだ。
「読ませる力」は、私も同意です。さらにそこには複雑なメカニズムが存在しているのは自明ですが。
そんな意味でも、鑑賞サイド(読書家)をうならせる作品を作らなきゃ!
そんな面白さ、面白い脚本を作るべきではないかと、この間、「シネマファクトリー」代表の福田さんの立ち上げた「映画脚本研究会」に参加した際に私は語りましたが、まだ面白さを理解するレベルに達していないため……まだまだこれからという感じで……。
何故理解できないのか?それは、面白い物語か、どうか、それを見極めるためには、
作品(小説、映画)をある定数まで読まないと、見極めることができない。
そんな法則があるかもしれない。(似たことを作家の石田衣良さんもどこかで言っていた気がします)
おそらく、その定数に達すると、評論家の方々が共通認識している境地、レベルが見えてくるのではないかと?普遍の面白さに近いものが?
そこで読書が必要となってくる。だから私もその定数目指して、読書に精を出そう。
いや、以前はそう思ってた。だけど面白い本(主に小説)に出会うことは無常の喜びがある!
その本と共鳴しあうココロ。ここに到れただけでも儲けモノ!
シネファク(シネマファクトリー)にせよ、毎週の撮影に追われて、本も映画館での映画鑑賞も最近は疎遠になっている様子ですが、やはり作品吸収して、面白い作品を作りましょう!
それをせずに「映画の新人賞が取れない」と肩を落としてもしょうがない気が(面白さとは何かをドンドン見失う。地元では名声を上げていっても、それは活動力が評価されていることなので、それと作品評価とは別という目を身につけなきゃ)。それに気付いて脚本研究会を立ち上げながら、それをやる意味があるのか悩んでいても、前進はないでしょう。リーダーに、ビジョンなければ、会は前に進まないのではないかと?(こんなことを言って、嫌われてもいいんですよ。一番大切なことを言ってるつもりですから。つまり先読みし、大局を見ていると言うわけです。それが会に入って、なあなあのつきあいになったら、会社と同じで、誰も気を使って本音を言わず、結局賞が取れずに解散。それが見えているので。それぐらい読者は本音しか言わない人種だと言うことに早く気づいた人が勝利者になるのでは?森博嗣さんも「読者の目で自作を見れない人は、作家にはなれない」と以前言われてましたし、そういえば石井先生も同じ事を言われてました)
読書の秋です。皆さん、本を読みましょう!最初は、理由をつけて読んでいればいいと思うんですよ。
それがそのうち、うわっ、小説ってホントに面白いな!そこに到れた時、世界がきっと変わりますから!
書き手と読み手のココロが共鳴した時。本も売れて、どちらも幸せになれて、万々歳!
10月11日(月)大安・体育の日・金星が月の南3°・ペガスス座Sが極大
もし自分に空気読める才能あるならば、地元で火を吹いている詩を書き、朗読のステージに上がるが◎。
が、己の選択したのは五体を主とする小説で、詩という手足、枝葉ではない時点で、ムーブメントには乗れない。機を逃しているのだろうか?
その状況下で、斜陽なる小説の会を街中にて築いても、纏いつくのは欝のみ?
断崖絶壁にしがみついて、叫ぶ言葉も届かない。夢こそ真と思い、夜を往く。
はじめに混沌ありき、次第に言葉へと変容。言葉が体を成し、型を興した。
型の前にて右往左往。型に酔うては、型に躓き、そして結局、型へと戻る。型の前の道を見て、型の後に道を作る。
W会議。船を出航し、航海へとヨーソロー。
遙伸也さんの舟歌。硬質な書き出し、サスペンスフルな雰囲気。サプライズあるオチと、力の入った作。ただ一点。整合性の不和、辻褄合わせに関して課題あり。そこをクリアすれば良作!
薫葉豊輝の舟歌。博識のMさん曰く「ストーリーよし、トリックもあり、オチよしと、薫葉豊輝のよいところが全部詰まってる」
今回の舟歌。ドラマを意識。その狙いをうまく読み取っていただけて、本望です。(書き手の幸せとは、よき読者に廻り合う事と知る)
NEOさんの映画談。映画祭代表のOさんが、出石文化横丁にて開いた映画「土徳」の上映時の鑑賞談。
最初「シネマ・クレール」に掛け合うもの、集客の見込み無しと却下され。そこで自主上映という形で上映されたOさんのファイト。見た目は紳士。ハートは熱い人!それがOさんですね。
Oさん、もう少し早く告知があれば、サイトにて宣伝をしましたよー!
しかし、人の知る権利。社会の片隅に小さく吹き溜まっている見落としがちな問題等々を、一ジャーナリストとして表現していく全身上映家として貫き通すそのスタンス。ホント、ご立派かと思います。
上映後、NEOさんはOさん等と団欒したそうで、少数の観客ながら、そのまま二次会にて語り合えるのは、やはり上映の価値はあったのでは?
「詩の朗読会の方は凄く盛り上がってるから、W会議も、自分達の方から、ムーブメントの起きている詩の会の方へと出向き、積極交流しましょう。同じ文芸だし、閉じていても仕方ない。横の繋がりをどんどん増やしていくべき」というNEOさんの提案。
確かに最近私は、閉じ気味かもしれない?人間、外へ出て、交流の輪を広げてる方が刺激を得られるし、発見、教えられることも多い。自分のフィールドから出られぬまま閉じていると腐るのは自覚してるけど、そこで一撃。
何故、閉じてしまうのか。問題はそこにある。
速き人は、自分の時間の流れよりも速く進行しているのはわかっています。そのリズムに追いつけないから、人は地団太を踏む。
私も芸能プロA氏のリズムが速すぎてついていけず苦しんでいる現状。
彼曰く「遅い人は成功も遅れる。のろのろやってると、1年のところが3年。3年のところが10年かかるぞ」いつもジョークしか言わないが、そんなマジな台詞を吐き捨てる時の目の気迫はかなり恐い……。
しかし、お互いのリズムを呼応しあうのは大変なことですが、私も速度UPと積極交流を課題にせねば。
・「幸福な遊戯」 角田光代読了。書評荘UP!
10月10日(日)仏滅
ふと、脳がレゴ・ブロックのように分解も組み立ても自由にできたらと青空。
一応、短歌です。
朝ドラの「わかば」=出足の視聴率が悪かったそうですが、大丈夫だと思うんですよ。天花より面白そうだし。ふたりっ子も出足が悪かったのに大逆転したそうなので(あの域には行けないとしても)。
工夫が見られる点として、宮崎の西都原古墳群とか出てきて、ヒートアイランド現象を回避する屋上緑化を取り上げたり、テーマである環境を舞台や小道具を使い演出してるし。
それにこの間マータイさんがノーベル平和賞を環境テーマで受賞されましたし、それと符合して朝ドラも環境がテーマ。これはちょっとした追い風ではないかと?
「少女の日に置いてきた鞄」書ききる(原稿用紙換算31枚)=書き上げた瞬間。柄でもなく涙が零れてきた。どうしたんだろう、気持ちが高揚している……説明するのはよそう。ただ今思うのは、この涙を大切にしたい。それだけ。
疎遠になっていたHappy? Hippie!また顔を出そうかなと思っています。詩人のユキオさんからコールがあり、それなら一度という気になっています。今月は難しいんですが。しかし、袋小路になっていた道にて道筋を作ってくれるのはありがたいですね。ホント。
ヘッド・ラインで「大塚愛・学園祭ツアー吹っ飛んだ」という記事を見て、そういえば16日に川崎医大に来る事を(同記事にて)思い出す。
今、学園祭プロデュースしてる芸能プロA氏に入れてもらえる事を思い出すも、考えるとその日は仕事だった。でも旬な歌手だけに観たい……サイコロを振って決めよう。
10月9日(土)先負
鳥は籠へ入ると思考を始め、大空へ飛び立つと自由思考を獲得する?のかもしれない?
この構図。人は社内で抑圧されると暗部の思考が突起していき、社外へ出ると色形という単純なものに対してでさえも思考することを拒否したくなるのかもしれない?(あー、何も考えたくないというどこにでもある一風景。ある意味、疲労時の論理)となると、思考にも重さが存在する?
労働に(解決の見えない)思考が足された結果、体重も増えているのだろうか?(貧乏+病弱なので、まったく太れないですが)
そのメカニズムとして、労働で重くなった脳の疲労部位が、思考を足して、さらに重みを増す?
そうなると、思考のダイエットという治療法を考える必要があるのではないかと?
パンクしそうな脳には、新鮮な空気を足すか、腐乱化し始めた空気を抜くか。その方法を思案。
私レベルの人間では、言葉でしか思案できないけれど、空気抜きの言葉(解消の言語処方箋)をちょっと考えてみたい。ひらめきさえあれば。
フリー・ライターのK・トシコさんから「地域の茶の間」というサークル?への誘いがかかるもの、平日の午前〜午後なので、ちょっと行けそうにない……。(気にはしていますので)
「夜想」に似て、コンセプトが知的な井戸端会議みたいなものだそうですが、面白い!
この間、この「地域の茶の間」山陽新聞でも取り上げられていましたが、また機会あれば顔を出しますので!あと、「新聞の切り抜きを持ち寄るワーク」というのもやってるそうで。
おそらくそこに行けば、何らかの知的好奇心を満たされそうですが、世の中には、私達の見えないところで色々と、面白い空間を作っている人達が存在していると喚起。
昨日触れたスギさんのオカポエもリンク貼っておきます。
コチラ!
スギさんへ=そろそろ「夜想」の裏で開催するのはやめて、地元の文化活動の活性化に貢献していただけると私は嬉しいと思っています(同日同時にやってしまうと、互いで駆逐しあう可能性もあるので。よければご検討を!「夜想・句会」のSさんを中心に、皆で仲良くやりましょう)。
「暗黒館の殺人」やっと読めました!
・「暗黒館の殺人(上・下)」 綾辻行人読了。書評荘UP!
10月8日(金)友引・寒露(太陽の黄経が195°に)・りゅう座γ(ジャコビニ)流星群が極大
脳が大きくて重い人ほど、夢を見るスケールも大きかったりするのだろうか?
疑問沸騰回路がピクッと沸騰。夏目漱石の脳は1425gあり、アインシュタインは1230gあったと言われる重い派の脳。しかし、お二方とも壮大な夢想家だったと思う。
寝入り時の睡眠をノンレム睡眠というので、その際は、思考的な夢を見、一方、目覚め前頃の睡眠であるレム睡眠時には、夢想的な夢を見るそうですが、その分類に、スケールや他のXを当てはめて思考しても面白いかもしれない。
私はすぐに新道具又はトリックに結び付けて考える癖があるので、やはり特殊能力とかとして自己実現。
例えば、レム睡眠時のみに効く、鼻から吸わせる粉薬と、ノンレム睡眠時のみに効く粉薬を発想。
メカニズムとして、その人の記憶と直結した匂いとかを混ぜて吸わせて、見たい夢を見せる案とか。嫌な夢はご勘弁なので、薬剤師は、あらかじめよい匂いリストを(患者と二人三脚にて)作成。
悪夢を見せる夢薬屋だけはホント、ご勘弁。
もし作中に怪盗キャラ(例として、レム睡眠の魔術師=レム睡眠時のみに効く必殺技「レム・チョップ」とか「レム・ファイアー」などをナノ・レベルの光線で対象者へと放射。結果、レム睡眠中の夢を操作する。あるいは、目覚め後の意識をも操る催眠術師?)として登場させる際は、必ず名探偵とセットで、世界のバランスを取るのが脳バランスの取れた人の論理?(軽脳派の私は自戒、教訓にせねば!ホラーの投げっぱなし精神と戦わなければならない。世界の秩序を保つために存在意義のある探偵というカードをなるべく死守せねば。探偵など古いと言われようとも)しかし、今回私は「第4回新世紀小説バトル」に百間川のエジソンを登場させた際、服装を一般向けに変えました。
普段愛用しているアクア・スキュータムの黒コ−トをやめて、チェック柄の服装に(大衆小説の公募というのを意識して)、だけど設定を変えてよかったかどうか、未だ迷い中……。
「タンゴ・パーティー」への参加を見送り(私に限り、会費オフにしてもらいながら、ちょっと行けず。Sさん、メンゴです)、「ライター会議」用原稿に着手。少女期に置いてきた鞄をどう味付けるかという難題と、ただ今格闘中。さらに私の場合、それにミステリ的要素を導入するというダブルの課題を設けているだけに、使っている筋肉も倍?さらに倍使えるよう、今後は構造改革したいけど、当面、無理はよしておこう。
今月は俳句の兼題「眼鏡」にも取り組まなくちゃ。スギさんも兼題と闘っているようですね。
だけど俳句道は長い道のり。常に安定して選ばれるRさんクラスに行けるよう、お互い頑張ろっ!(しかし、タンゴ講師でありSさんの奥さんであるRさんの安定感は句会でも1、2ですが)
私にせよ、スギさんにせよ、波があり。その波が穏やかになるレベルになった時、ようやくそれが文才と同意になる(瞬間がある)ような気がしている私。
でも、波がない人の方が少ないので(詩人のM・K先生にせよ、主催のM先生でさえ時折波があるなかで、論理、文法、総じて理論面でこそはM先生のレベルに到らぬも、選ばれる力、バランス力のある、つまり文才のあるRさんには、ホント一目置いているので)でも俳人としてよりも、どちらかというとRさんには詩人としての才能を感じていますね。そう考えると天才国語教師や、スギさんも詩人タイプか。
自分の合う合わないジャンルというのがありますね。そう考えると、個人的に交流こそないけれど、小説のそれも文藝賞とか、ひょっとしたら芥川賞も夢ではない人が地元(の自分の知る範囲)にいるとしたら、最近物語調の作品を日記にて発表している(詩人の)ユキオさんか。
もうこれは詩の領域を超えていると思いますし、ちょっと言葉のセレクトに鬼才を感じております。
俯瞰してみても、彼女の文章には、選者が見た際、非常に食指を動かされるポイントが随所に散りばめられているような気がするので?
若くて才能のある、まさに注目株の人材だけに、地元レベルでの応援が欲しい気が?
小川洋子さんのデビュー時がそうであったように!(全然タイプの違う書き手ではありますが。春の女王と冬の女王ぐらい違う?)
10月7日(木)先勝・土星が月の南5°
夜。F氏と映画「ヴァン・ヘルシング」へ。サントラは美味。CGはスゴッ。脚本は……。
この映画、一言で言うと混合のマジックでしょうか。昨今のハリウッドの慢性病ともいえる混ぜ混ぜ症候群?
プロットの大筋は、バチカンから依頼され、モンスター退治に出掛ける必殺仕事人?
電動カッター型手裏剣?という武器は、デザインにおいて華がありましたが、いかんせん、武器を活かしきれてないような?敵を倒す際には役立たず、役に立つのはロープを切る程度?私なら必ずこれを役立てたい?小説なり脚本なり、道具はなるたけ活かすべきではと?
でも、ジキル&ハイド、フランケン、狼男、ドラキュラ等のチャンポンには覚めてしまった……でも総出演の理由は集客を見込んででしょうが。
でも、細かい小技は見応えありました!特にジキル&ハイドとの対決シーンの鐘を使う技(トリック?)には好感。綾辻さんの「暗黒館」でも吸血鬼が絡んでいますが、この映画でも鏡を使用するアイデアとかも一工夫。ここはパズル性あり。でも、この鏡の使い方って、どこか弱い気が?
鏡を用いて単純なパズルが完成するも、もう少し暗号性があってもいい気も?さらに鏡の背後にある仕掛けにせよ、設定が緩いような……。
だけど美術や模型、特殊メイクに、カメラワーク。近景から遠景へ映るショットの流れには撮影技術、力量を感じました!(ここは美しい)
でもラストって、相撲?ゴジラ対キングギドラ?すっ転びそうに……。
このオチなら、怪人退治屋ヴァン・ヘルシングの(登場の)必要性がない気がするんですよ。テーマ自体も自己崩壊させてしまっているような?
このラストなら、最初から怪人に依頼すればいい。そこが腑に落ちない……ファンタジー色の濃い妖怪などによる格闘を導入するのが今の旬なのはわかりますが……ここは、やっぱり人間の技、智恵で勝負してほしい!
余りあーだーこーだーと書いても仕方ないので、私ならこうすると一言。
ドラキュラに十字架も聖水も効かないとはいえ、この映画のように怪人同士による格闘という単純な方に持っていかず、例えば年に一度の何か特殊な日。一例として夏至の日の太陽光を十字架に当てて(さらにひねって、逆さに向けた十字架)に当てて反射光をドラキュラに浴びせると倒すことができるとか(あるいは銀の杭は効かないが、斜め45度から刺した時だけは効果あり。そしてその45度の秘密がある暗号で書に記載されていて、主役がそれを解明するとか)。
そういう特殊設定とかを用います。
この私の案はF氏も「それなら頭を使ってる。確かに映画のオチは子供でも考えられそうだし、ちょっと単純すぎる気も」と私に共感。
でも映画は脚本だけで構成されてませんから、脚本の気になる点を差し引くと、映画そのものは結構面白かったですが。
でもやはり小説の設定、構成の方が肌理が細かい気がしますね。よって小説を読んでる方が批評力も思考力も上がる気がするので、やっぱり愛しきものは活字なり!
・「新千年紀古事記伝 ONOGORO」 鯨統一郎読了。書評荘UP!
10月6日(水)赤口・下弦の月・月の赤緯が最北・月が最遠・小惑星ヘルタが衝
徳間書店「問題小説」(QBOOKS主催)の「第4回新世紀小説バトル」
そこへ拙作「女王陛下の百間川のエジソン」という短編を投じました。
サイト内に感想箱が設置されてあるので、読後、気に入っていただければ感想などいただけると嬉しく思います。
作品は、ドキドキワクワクをモットーに、年初頃に執筆した(未発表の百間川のエジソンシリーズ)エンタメ小説なので、チョイ、ほっかほかではないですが、怪盗対名探偵の対決。楽しんでいただけたらと!
アドレスはコチラ。エントリ番号は30番です。
今月は火星、水星、木星の稀な三重直列と、さらにこれらが五角形を形成。それも月始めと月末に二回起こる珍しい天文現象が起きるんですが(六芒星でないですが一応これも「ハーモニック・コンコーダンス」)、この3星を守護に持つ星座には濃い影響が出るかも?
あと、特におとめ座はラッキーな週みたいですね。あと、てんびん座の方は木星と火星のパワーを得て成功の兆しが(イチローがてんびん座ですね)。
だけど五角形が2回。何か文脈、星脈を読み取れないだろうか?
最近気になったニュースに「レバノン沖で地下墓からメデューサーの鉛製品が発見」と「チンギス・ハン霊廟をモンゴル東部で発見」があります。
特に首を切断されたメデューサーはここ数ヶ月で何度も触れてるだけに、ちょっと恐い。
何か首切り事件の暗示があるのか?(肉体レベル、会社とかも含め総合的に?)とか、アンテナを張っていますが、現在ひらめきはないので、この話題からは素直に離脱。
B・ジャンプ・「民俗学者八雲」=ドラマはいよいよ15日からスタート。
さて、今回の推理。目の付け所は押さえ。前回の次展開で、あの犬の餌を入れたビン内にD暗号が隠されたと読むも、実はあの餌入れをビンに移す前の袋に書いたため、それでビンを強調していて描写していたのが作者の意図でした。餌袋を最初に見つけて隠した人間の方に焦点があったというオチ。ここは確率論なので、どう見切るかが難しいですね。論理の道筋は一本でない時点で、推理もちょっと困難。
10月5日(火)大安・水星が外合・かに座Rが極大
昨日は身近な人の葬儀だっただけに、心景を覗くと360度、鬱状態だったと俯瞰。文体も二層で、裸文(ベース)へと羽織った衣装もどこか熱っぽく、結果、濡れた文体に。
過ぎていくものは、過ぎていくもの。現在進行形で行かなきゃ!
最後に触れると、19歳の時に置いてきた鞄には、凶のおみくじが入ってきたのかもしれない?
未来に拡がる闇を知っていれば、回避策も立てられた気が。
確かに人生。タイミングってのがあって。私は生まれた時代を間違えた気もする。
60年代に青春を送る位置に誕生する予定が、60の6が反転して9と(あの世の出生管理官?が)誤記+印したせいか、反転した時代に、あの世から降ろされたのかも?
実際、60年代に青春を送ってれば、何か出番、チャンスがあった気が。何故か60年代とは相性がいい気がするので。
これは逆もしかりで。哲学、宗教、文学よりもエンターティーメント系芸術を好み、とかくアングラな物を嫌い、ド派手、お笑い、お祭り、男臭く汗臭いロック系より、POP系などが大好きだった芸能プロA氏と、華やかだった90年代の空気とが同調。結果、A氏のやることはことごとく当たったような?しかし、彼の青春期が60年代だったら、才能を発揮する場も限られたような?
短歌、演劇に焦点を絞ると、寺山修司にせよ、やはり成功の鍵は年代(60年代前後)にあった気が。俵万智さんの成功も90年代に鍵がある気が。
その俵さんと、昨日触れた成田さんと、私が今月作った赤い羽根の俳句。その三点に共通項があったことに驚く。去年の「赤い羽根」のCMに、成田さんの出演と、俵さんの短歌がカップリングにて登場したことを思い出し、昨日触れた日記のことを考えてると、そう言えばこの間、自分も赤い羽根をテーマにした俳句を読んだなと。
分析=90年代は、ノリが軽い人が運気に乗れた時代だった気が。
「資質と技術」の続き=鯨統一郎さんの「いろは歌に暗号」読了。
ジャンルを縦横無尽に飛来される方だけに、鯨さんの資質は探るのが難しい。が、わかったことは、技術(技巧)派寄り。資質よりも。心に重心を置いて書いてはいない。形に固執。
資質的には、人をあっと驚かせたい人。そしてトリック、マジックに固執。深層よりも表層における型を研究し、常に変化球を投げることばかりを考えているはず。(今回の「いろは歌に暗号」にせよ、凄いのは歴史ミステリなのに、とんでも物理トリック《京都・嵐山を消す=原理は前例があるものなので、サプライズは低いものの》これを歴史上の人物である空海と藤原薬子とに《マジック対決》させて、歴史的事件は、これが原因で起きた?と、とんでもない《本格ミステリを強引に歴史に組み込む力技》を絡めていく新技法を導入した点は物凄い!=世界、歴史が先ではなく、本格ミステリが先という恐るべき作家的挑戦に驚き)
(「いろは歌に暗号」は歴史もののため、別格なるも、普段の)文体には演劇のテイストが秘められているせいか、情景描写は可能な限り、すっ飛ばし(結果、物語の時間が止まらず、ストーリーがドンドン進む)、台詞には凄く凝る。それもノリ軽く、センス高い。そしてリズムを重視。そのせいか、とっても読みやすい(今回も歴史ものにしては読みやすい!原因はおそらく難しい描写を極力なまでにショート・カットしているためと私分析)。
とかく文章よりも、比重はプロットに置かれ、とにかく新しい見せ方、仮説を生産する野心が高い方。だからか、一本のテーマを掘り下げない(卑弥呼に関すると追求しているようですが)。
変化(へんげ)をモットーに、ガンガン書いていく。とにかく描写は簡潔に、プロットは面白く。トリックは必ず盛り込む。ロジックも。徹底したエンターティーメント志向!?
己の興味よりも社会、時代、本格ミステリの読者の関心に歩み寄り、常に敏感に反応。心の闇を語るより、それは全て論理にて解明していく《精神科医的な》スタイル?
この間挙げた綾辻さんはおそらく、ほの暗い心の水底から己の嗜好を吸い上げていき、社会と隔離された所で一作をじっくりと書く。
となると、やはり資質寄りか。探偵によって心の闇を割り切らせるように見せて、どうもさらに深層に渦巻く領域(聖域)は残しておく。だからその部分見たさで、読者は自分にはない感覚、だけどどこかその領域を求める潜在を確かめたくて、そういう想像の及ばない心象、テイスト見たさに手を伸ばす?+綾辻のトリックなんだから、今回も何か、あっと言わせる仕掛けがあるだろうという期待を抱く。
確かに、常識的なことを書いても、そこに発見はないのだから、普通の小説は論理的に売れにくい。描写ばかり続いても、物語の面白さに、はまる前に、読むのがダレル可能性もある。
魔的なまでの闇と知的仕掛けと嗜好。とってつけた物ではない、借り物ではない、熟考した感覚の文字化。それが綾辻スタイル?
おそらくは、社会性の高き、表層の芸術家・松本清張の排除してしまった心理領域(犯罪者の心理等)。心の闇。蓋をし、封印してしまった箱から魔の顔をひょこっと出すような作品を書いた綾辻行人が、新たな時代の第一人者となった秘密が隠されているのかもしれない!?
つまり、時代と同調した。が、その動機は自分から時代へ歩み寄ったのではなく(例えばホラーブームだからホラーを書こうとか。新本格に影響されたからトリッキーなものを書こうとか、コナンに影響されたから、推理ものを書こうとか、時代から与えられたものではなく)、自分のポジションはおそらく幼少期の乱歩、正史、クィーンからの影響から一歩も変われず、そのまんま大人になって、時代が、松本清張や、TVでも「太陽に吠えろ」を受ける流れの刑事系のものが人気だけど、そんなものは僕は書かないよ。時代とか流行とかどうでもいい。
自分は自分の好きなものを書くだけ。その動機が、大成功の因果だった気が。つまり一歩間違えると、大外れだった可能性大!
だから綾辻行人を作るためには、データによるリサーチからは作れない。
何故なら、出版社は売れるもの。時代に歩み寄るものを書かせる。そこから異端、しかも天才は生まれにくいと思うから。
しかし、その闇の箱を開いてよかったどうかは、わからない。
実際の殺人事件でも、ほぼ起こらない時代に起こす人の勇気や動機には脅威的な度数が存在するはずだと思う分、最近の事件の数を隠れ蓑に、起こす人の動機はどこか弱いはず。
やはり、最初に箱を開いた人は、普通の感覚者ではないはず。
成功は結果。そして成功の後には、必ず影響と言う名の道が生まれる。
ホラー・ブームにせよ、推理漫画ブームにせよ、その扉は推理小説(新本格推理)から発生している分、根を掘り起こすのは恐い作業だけど、そこに目を向けている私の資質は、闇と対極していると言うことだろうか。検事的視点かどうかまではわからないけれど(つまり松本清張の持つ社会正義の視点寄りか?=原因は自分の不幸が引き金?)、闇の犠牲者であること自体、論理的に根を観る意思も生じてきている今。
しかし、人間とは、相反するものを愛すのが常。相反する資質。それが自分を構成するどこかの細胞に巣食っているのかも?ではどこで変異したのか?どのプロセスで。
となると、それは過去だ。今の自分はどうだろう。おそらく違う。未だ相反もしているけど、昨今、私的OS「薫葉2004」にインストールした俯瞰回路にて、見通しもよくなっているのだから。作品と現実の混同も避けている。
物を見つめる目の位置は、おそらく上にあるのかもしれない。俯瞰の位置に。あるいは地底?
となると、他人を批判も、無条件に肯定もする必要はない。
自分は自分。未来が不透明でも、自分の畑を耕すしかない。時代も意識するけれど、結局は自分の培った面白い作品の見分け方。本とは、小説とは何か。そこに頼るしかない。
社会派でも新本格でもない第三の大陸を目指して!
・「いろは歌に暗号(かくしごと)―まんだら探偵空海」 鯨統一郎読了。書評荘UP!
10月4日(月)仏滅
資質と技術。自分の資質は何かを葬儀場にて思案。が朱に交わり顔も赤くなり、体も熱い。
そのせいか、今日は存分に命について考えた。追悼の念もあり、精神のバランスを取るために、葬儀後、一人でカラオケに行き、色々と唄った。さすがに選曲は悲しい曲ばかり。
無意識か、19の頃によく聴いた歌が多く、そういえば19歳の時といえば人生の転換期+初めて小説を書いた時だとセンチな記憶がフラッシュ・バックする。
タイトルは単純「19歳」(そのまま)
でも、当時影響を受けまくっていた作家が三島由紀夫や太宰治だったせいか、会話など、ほぼない、描写だけで構成された純文学。それも原罪を扱っていたと思う。
私はその頃、音楽(バンド)に挫折し、短歌に挫折していた。確か。短歌に挫折したのは俵万智さんの歌に打ちのめされたから。いや、自分の狙っていたビジュアル口語短歌を先にやってしまった方がいたことで、自分の出番は無いと悟ったから(実は私の書いていたのは俵さんのようなさわやか系ではなく、アバンギャルド調の短歌だったので文体は違いますが)。それは又触れることにして。
その(手書きの)小説「19歳」が読みたくなったけれど、もう私の手元にはない(残念)。
では、どこにあるのか。当時、同志だった成田真由美という女性の手に、もし捨てられていなければある(かもしれない)。彼女は神奈川県で福祉の仕事をしていて、教会ではピアノを弾いているような多彩な人だった。
しかし、凄い勉強家で、さらにスポーツ・ウーマンで、社会運動に熱心な人だった。
だけど何故か、私の書いた詩や短歌を非常に愛してくれて、詩や小説の才能を感じると、背中を推してくれた人だった……が、私は器量が小さく。才能も何もない、ちっぽけな人間だったと思う。そして努力しなかったのが本当に馬鹿。振り返ると、周囲に期待されながらも、期待には応えられず……。
私は一体、その頃、何様だったんだろう?やはり人間、努力が大切だとつくづく思う。
イチロー選手が小さなことを積み上げてここまで来たと言われたのを聞き、推理小説の研究を今、コツコツと重ねている自分としては非常に共感できる。
話が逸れましたが、もう随分と昔の友だちのことを書いてしまいましたが、私はその頃、成田さんから岡村孝子さんのCD「夢をあきらめないで」をいただき、夢を達成できるようにと背中を推された。しかし、夢を叶えたのは彼女の方で、私はまた、手の届かない先まで走っていった友達の背中を、この小さな部屋の中で見ている。
だけど考えてみるとその曲は、私がもらった物などではなく、もしかしたら、彼女が私を通して、自分へと与えた曲(エール)だったのかもしれない?
その後、メディアを通じてしか彼女の活躍は知らないが、今回どうしてもおめでとうを言わないといけないと良心を突き動かされた。
きっと、その頃は私の方がリードしていて、華々しい領域に存在できていたかもしれない。
だけど、努力した人を幸運の女神は見捨てない。運もあるかもしれないが。
今季のパラリンピックにて彼女の取った7つの金メダルと1つの銅メダルという当分、破る人も出そうにないほどの新記録は、本当に努力の結晶だったはず。
もしも彼女が幼少の頃、あの病院にさえ行ってなければ……普通のスポーツ選手にもなれたでしょう。あの医療ミスさえなければ……。しかし、こと外的環境に左右されやすい人間の壁を突き破った現実。頭が上がりません……。
そろそろ昔、書いた「19歳」をもう一度、書いてみた方がいいかもしれない。タイトルも内容もまったく新しく(内容さえ忘れてしまったし、同じことを書いても仕方がない)。今の地点から、新しい自分の変革の物語を。
そうやって、自分も原点へと立ち返って、軌道修正をしてみた方がいいかもしれない?もちろん、今のベースに積み上げる形で。
おそらく今の自分は、あの頃よりももっと上手い選択を出来る気がするし、周囲からの期待がさほど無い分、どこか身軽で自由であることは確か。当時がおかしかったんだ。周りからあれだけ期待され、チヤホヤされたことは、やっぱりおかしかった……。考えると、あれが駄目だったかもしれない。今は当時の人気の1/100もないけれど、どう考えても今の方がまともだと
思う。人は数ではなく、やはり質だ。笛吹いて、人を踊らせたところで、一方通行から信頼関係に発展することはとても難しい……。
だから身軽な今は、雲をつかむような言葉を並べて、軽々とスウィング。
水の上でも進む術を探り、林と同化する。山を消すトリックを考え、風のように流れながらどこへでも、そしてどこまでも?そして、決める時は、隠し火の球によって、物語を裏返そう。火のようなサプライズを与えるために!
10月3日(日)先負・東北・北海道地方でLumenによる恒星食
「読書の秋」ですが私は「読書の飽き」?状態で、読書捗らず……。雑念の渦に巻かれて鳴門巻のような日々。
「暗黒館の殺人」もようやく下巻の500Pに到った次第……遅い。しかし上巻はハッキリ言って(無駄な記述の羅列などマイナスして)駄作だった(伏線ももっと詰められるはずです)。本当に、面白さのまったくない厚い本だった。(でも双子の予想が当たっていて、驚き。でも犯人のシーンにまだ到っていなので、当たったのは双子の秘密に関してだけですが)
上記した通り、上巻は期待はずれだったものの、下巻の250P付近に到り、やはり綾辻行人という推理作家はタダモノではないと再確認。
技巧面だけにスポットを当てても、レスポンス高く、知的+才能豊かですが、それ以上に達観した面がある。それは「魔」それもスピーディで、鬼のように迫り来る表層的な魔ではなく、物静かで、そして、透明な仮面を被ってひたひたとすり足で近付いてくるせいか、その底を探るのが難しい……深層的な魔。
気配さえも殺しているから……姿をとらえることが難しい。
まさに、心に魔物を飼っている作家と呼べるかもしれない?
一般人が気味悪がることほど、綾辻さんの感性においては、しっくり来るのか。その感覚が時代を築いた焦点と呼べるかも?(私の周囲では芸能プロA氏のホラー趣味、猟奇的感覚と非常に相似。確かにA氏自身、リアル・タイムで綾辻ミステリに、熱烈なシンパを感じていたのも事実。館シリーズ外でも、殺人鬼のサド性が爆発するシーンなど、猟奇感覚において同調?)
と言うことは、綾辻行人を模倣しても、綾辻行人を模倣しきれない。ことになる。
コードにおいては、なぞることはある程度までは可能。よって、本格ミステリにはなりえる。が、記号をなぞれたとしても、感性のコピーまでは不可能かもしれない。
それも自分の趣味、倫理観などが、逆を向いている人ほど、模倣は難しい。
ここで「資質と技術」という命題を挙げてみよう。
森博嗣という推理作家が90年代に登場した。著書「すべてがFになる」は、綾辻行人・館ミステリへの挑戦として書かれたもの。それも科学のプロとして、一騎打ちを挑んだ作品ではないかと私の目には見えた!?
確かに知識や情報量。科学の力をフル投入した結果。推理界を震撼させるほどの作品を書き上げ、その後も数において、綾辻さんの作品数を超えることを実現。
結果、一人先へ進みすぎたせいか、最近、ちょっと失速気味?
もう魔を書くことが「ふーっ疲れた。やっぱりこの世は01。霧がかる魔的な森からそろそろ出て、お天道様の下を歩こう。キャラの会話や性格も、変わってて、ひねってるばかりじゃなくて、軽くったっていいじゃない。お化け屋敷よりも、やっぱメカ」と、本来の資質へと戻っていったのではないだろうか??
が綾辻行人は違う。この人は、変わらない人なんだ。変えれないし、動けないし、自分の好きなことしか書かない。それも好きなことが物凄く知的だから、そして、同時に魔的だから、どうやっても、こうにしかならないんじゃないか?「暗黒館」を読んで、強烈に思った。
そう、ここでは今までの綾辻ミステリでは見せていない変化球的な仕掛けと、魔の見せ方が存在。
だから、もう森博嗣さんは、(科学の基本である観察や観測の論理において)リサーチできずに、感覚においてちょっと普通な作品を書いてしまったのかもしれない?
それが新刊の「Φは壊れたね」
「Φは壊れたね」は面白い本格だった。でも感覚において異常さを書いてはいるもの、綾辻さんの書く異常レベルにはまったく近づけいていない。
何なんだ「暗黒館」のこの感覚。そして、感覚だけではなく見せ方も抜群に上手い!
無意識な部分と理性的な部分が奇妙に融合している?
壊れた感覚や、暴れん坊の乱闘シーンとか、そんな単純なメカニズムでないところが、また恐い。
この感性は、血なのだろうか?染み付いているものに違いない。ただこれを読めば真似はできる。
が、綾辻行人は同じ思い(こだわり)を、別の言葉で書くから、また変化球を投げるのだろう。模倣する人は、その型しか真似られないので、作品単位では相似できても、その作家の流動する域はとらえきれず、計るのも難しい?
もう、資質ですね。技術ではなく。資質が枯れない作家であり、その源泉を未だ涸らさせずに持っているのが綾辻さんなのかも?
さて、その泉の水は何だろう?普通の人が好んで飲む水だけでないことは確か。
お二人のタイプ分析。
森博嗣=敵がいると萌えるタイプ。
綾辻行人=敵に左右されず、ただひたすら己の好きな道を追求するタイプ。
しかし、これ(暗黒館)を読んでいる最中。人の死に直面した。非常に身近にいる人間の身内が亡くなり、ふとこの世には不幸や死を招くお話、本が存在し、話塚というものが実際に存在する逸話を思い出す。
まさか、「暗黒館」が、死を招く本でなければいいが。
いや、その死は自分の人生を分けるものではないので、さほど気にすまい。
だけど、綾辻さんの身内も、執筆中にお亡くなりになったとか?
もし霊的なパワーを秘めた本だったら、綾辻行人。まさに恐るべし。
そして、天才であることは間違いない。伝説となる日も近いかも?
(只今、ドラマ「八墓村」を視聴中。が、今、鬼面の目が光るシーンに遭遇したせいか、ドキッ)
・「MISSING」 本多孝好読了。書評荘UP!
10月2日(土)友引
先日は「夜想」へ。シャンソン同好会の皆さんが歌を披露。が申し訳ない、私は歌を聴きながら本を読ませていただきました(最近、本が読めてないので焦り……)。Sさんがお休みなので、奥さんのRさんと元市議のT先生がメイン司会をして進行。
しかしT先生を鏡にしたいと思ったことが。詩人のM・k先生が、その背後に座られていたので、お客さんには背を向けられないと、自分が一番壁際に移動し、司会をされるスタンスには打たれるものが。この姿勢の低さには頭が上がりません。
歌のパートが終わり、シャンソン同窓会の方々のトークと思いきや、もう夜想にてチューターを何度かされているせいか、メッセージ・パートを今回はほぼ抜きで、帰られてしまったので、居残りメンバーにて文芸談。(やっぱりこの面子が集ると、話に花が咲きますね)
その前に芸術全般に詳しいOさんが「シャンソンは軽いノリで歌えるんですよ」と。
その論理が面白い。=憂鬱な歌詞でも軽いノリを歌えるのは、リズムが三拍子のワルツであり、歌もフランス語=母音が少なくて子音が多いので、比較的軽いノリで唄えると。
もう一つ面白い話を聞かせていただく。
私がライター会議をやっている「さんかく岡山」と「吉本三丁目劇場」は近くに建っているもの、アンバランスだと。
二つの建物の集客層が不揃い=この一角には人が集りにくい構造になっていると、都市分析を。
しかし、鋭い分析ですね。確かに、さんかく岡山には、男女参画社会、ジェンダー等に興味がある主婦層が集り、三丁目には、お笑い好きな学生が集る。統一性がないので、付近の店も活性化しにくいという論理。だけど、Oさんっていつも思うけど、隠れ賢人という気がする私。何か医学系の研究会の立ち上げを模索しているそうで。具体案が出来たら参加してほしいと言われたので、その折にはジャンルを超えて参画させていただきます。多分、私の役割は、助手などという高尚な役割などではなく、討論の際の盛り上げ役として、買ってくれてるんでしょう?から、その役割を果たすべく、臨むことに。
だけど、今日は休みだった夜想のSさんに対して「本気で俳句の勉強をやってプロを目指して欲しい。若手の実力者に育ってほしい」と詩人のM・S先生。
でも今、タンゴを真剣にやってるので、2本柱では難しいとも。
俳句でも詩でもプロになれる人は一握り。どれだけ勉強しても才能がなければ上に行けないからSさんには頑張って欲しいと熱弁される姿には、どこか感じ入るものが。
でも奥さんのRさんも「どれだけ勉強しても、結局は才能」と言い切るので、やはり論理的説明を求めたい私としては、ちょっと才能の定義を、今度真剣に教えていただかねば。でもRさんは、ホント、文才豊かな方なので、大物が言うだけに言葉が重い!
句会にせよ、いつも安定して句が選ばれる。野球では新記録おめでとうございます!のイチローとまでは言わずとも、選においてかなりの高打率を維持されているので。その安定感は、まさに鬼才!
しかし、今年亡くなられたアートガーデンのNさんなり、多くの文学者とつきあってきた方だけに、さらにM・K先生はその上の位置にいる方なだけに、実は私にせよ、もっと今、聞いておくべきことはあると、常にエンジンをかけておくことに。
実際、大学や講演会でなく、ここでM・K先生の話を聞けるのも貴重な時間かもしれませんし。
だけど「夜想」が好きなんですね、ホント。
アートガーデンのNさんにせよ「夜想」に来られた際、上手い具合にM・K
先生が参加されていたら、すぐに文学の話を持ちかけに、席を移動。文芸誌を広げてましたし、その姿勢を見て、この人は、常にエンジンの掛かっている人だな。積極的な方だなと喚起した私。
しかし、Nさんはそれだけ懸命に文学に生涯を賭けながらも、惜しくも中央の賞には届かなかったものの、姪御の金原ひとみさんによって、自分の夢はおろか、芥川賞まで獲得してもらった分、どこか文学の灯をこの世に残せたのではと思いますが?しかしサラブレッドの影に、大量の文学の血が流れているのって、他の家にも多々あるかもしれませんが。(子は親、親戚の背を見て育つ?)
だけど私にせよ「夜想」の場では、なるべく文芸系のテーマで開催してもらいたいと思う分、意識、無意識両方にて伏線を張っている現状!?でも夜想にせよ、句会にせよ、参加中の私のノリは軽いですが。
いや、皆が話しやすい雰囲気を作りたいし、重たいモードにて会話の流れを止めるよりも、誰でも喋れる、しゃべり場な雰囲気を作りたいからなんですが。
でもSさんには誤解されてしまった……。
「薫葉さんは、しゃべりで損をしている。内容のある言葉をサラリと言ってのけるので。むしろ、もっと重厚に、1語1語、重みのあるように喋った方がいい気が?だけど意外なのは、会えば会うほど印象がよくなってくるので、ホント、珍しいタイプ。普通は逆で、印象が悪くなるんだけどね」とSさんにこの間、言われ、もっと渋めにモード・チェンジした方がいいのだろうかと迷い。
10月1日(金)先勝
「クラブ33」勉強会=年内開催予定の「石井敏弘イベント・ミステリ!」の告知は、もう少しお待ちください。
代理店さんの方から、まだオフレコにと言うことらしいので!
さて、今日はまるでパソコン教室?ほとんど使いこなせていないQXエディターの機能を、石井先生から親切丁寧に教えていただき、ホント、活字打ち機器としてしか使っていない舞台裏を見せてしまうことに。
ワードでさえ使いこなせていない現状。しかし、エクセルにキャラ設定を打ち込んでおられたのは「?」ものでしたが。と言うのも私は、重いエクセルを立ち上げる時間を待てない。なので最近はQXオンリー派なんです。ホント、愛していますQX!?
しかし、最近漫画「デス・ノート」に先生がはまっているのは意外でした。かなり面白いストーリーらしいので、ススメられてしまいました。
あと、猫の話が面白かった。近所の猫に餌を与えているせいか、最近2匹子猫が誕生。そこでその二匹に「コナン」と「ドイル」という名を付けられたそうですが、そのネーミング、最高です!センス、グーです。
あと、来月辺りから、「クラブ33」のページにて、新企画を検討中!乞う、ご期待!
ライター会議の方も、NEOさん、よろしくお願いします!
その後、私は一人、岡山市内に先日開館した県立図書館に行きましたが、ご立派。風格も本の数も凄そうですね。だけど、岡山市って、何でこうも図書館に溢れているんでしょう?
異様に多い。
駅付近(劇団LEDの公演会場)に5階建ての「幸町図書館・アイプラザ」が一軒。そこから数キロ先に二階建ての豪華な中央図書館が一軒。
さらにアイプラザと中央図書館を挟んだ地点に(今季オープンした)4階建ての県立図書館が一軒と、わずかJR岡山駅から数キロ圏内に三軒もある。それもどれも豪華な奴が!
こんなにボコボコと出来て、岡山市内で、一体、本(小説)が売れるのだろうか??(図書館の貸し出しが、出版業界を圧迫する例の問題です)
読者の本を借りる心理に拍車を掛ける行政トリック?のような印象を抱きながら……三軒とも自宅から約二十分程度で行ける地域に住んでいる私としては、複雑な心境のまま、広い館内を散策。
気が付くと、雑誌コーナー前・閲覧席にて、そんなことさえ忘れてしまっている自分がいた……。
朱に交わって、赤くなった私。しかし、県庁所在地の市とはいえ、借りられる本に囲まれまくっている岡山市って、どこかおかしい気が?
博識のMさんと食事へ「雑誌とかからではわからなかったけど、芸能プロAさんの舞台(前説)をこの間、初めて観させてもらって、天性のお笑いの才能のある人だと思った。しゃべりが物凄く上手くて、さらに強烈な毒があるから、普段のしゃべりもあの調子じゃあ、薫葉さんも、つきあいの面など、色々と大変なのでは」と言ってくれて、Mさんわかってくれますねと、和み。
しかし、博識のMさんが癒し系でよかったです!ほっとさせてくれる言葉をかけてくれるだけに、どこか和ませていただいています、ホント。
・ここより上は10月
・ここより下は9月
9月
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9月29日(水)大安・水星が木星の北0°40' 水星が火星の北0°51・水星が火星の北0°・アルゴルが極小
9月30日(木)赤口・小惑星トータチスが地球に最接近
少年サンデー「名探偵コナン」=焦点は綿引の弟のはず!
関口が死亡した時点で、針穴の警察捜査が行なわれている=まず3F主人部屋に潜んでいることは無理と私は判断。
さらに主人部屋の指紋は一家の者ではないことが判明=ここから、では誰の指紋か?それはおそらく綿引の弟。
では、いつ入れ替わったのか=警察が全員の指紋確認をしたのは、(時間的に見ても)おそらく主人殺害より以前のはずなので、指紋を取る際は、綿引(兄)が自身の指紋を押したのは明白。その後で二人は入れ替わったのでは?
つまり、入れ替わると同時に、綿引(兄)は家の外へ出て、部屋には双子?の弟が残った。
だから、主人殺害後、3Fの部屋の綿引の部屋に(単にジャンプ?ロープか梯子類でベランダから飛び移って?)逃走。内側から鍵を掛けて、そのまま皆と一緒に毛利のいる2Fへ行った?だからその後、部屋を捜索しても、3Fのどの部屋にも誰も潜んではいなかったのでは?
主人の部屋のベランダ側の観音開きの扉の開閉方法はまだ詰め寄れぬも、おそらくは電話か何かで綿引(兄=弟でも可)が主人の部屋に入れてもらった隙に、そこで観音開きの扉の下部にあるスライド式の鍵を上にスライドさせて鍵を解除しておいたか、鍵にテグスを通して、その先を外へ出してから、扉を閉めて、一度主人に「お邪魔しました」と挨拶と同時に普通にドアから出た?
そして、3Fの自室へと戻り、ベランダ伝いに主人の部屋へ移動。手摺りにロープを垂らしてから、ベランダの観音開きのドアをノック。鍵を開けておいた扉から侵入し、犯行後、自室へと戻ったのでは?(だから今、屋敷内にいる双子の綿引は犯人?である弟だけ?)
少年マガジン「金田一少年の事件簿」=ようやく特別編終了しましたね。推理された皆さん、お疲れ様。
今回は素晴らしいロジック。トリック、サプライズがあり、賞レベルの本格ミステリではないかと?
特にエレベーターのトリックは原理が新しかった。この新しさに挑戦することがいかに難しいか。
小説では「本格推理委員会」(日向まさみち著・第1回ボイルドエッグズ新人賞)がエレベーターのサプライズを思案していますが(有栖川有栖さんの演劇用か演劇化された短編の洗礼を受けて、さらにそのトリックをボトムアップ!して作品化してのではと私は読んでいますが)、今回の金田一のサプライズは、それよりチョイ上を行っていて、ガツンと衝撃を受けてしまった私!
「ダブル・ミーニング」(一つの行動に二つの意味を持たせるテクニック)。いや、ひょっとしたら「トリプル・ミーニング」に手が届きそうな域のものを、やってのけたかもしれませんね?(鬼才を感じました)
何だか、こういう新たな驚きを与えてくれるサプライズ・トリックに何か名前を付けたくなった。
例えば「ニュー・サプライズ」なんてどうだろう?普通に驚かせてくれるトリックを「サプライズ」と呼ぶならば、今までに見たことのないようなトリック。まだ未開拓なトリックをそう呼びたい。いや、もっといい名称があれば、それを奨励したいけれど、それが見つかるまでは一応、仮の名ということで!?
・「螺旋階段のアリス」 加納朋子読了。書評荘UP!
9月28日(火)仏滅・満月(旧暦8/15=中秋の名月=十五夜)月が赤道を通過・ケフェウス座Tが極大
十五夜だけに、心和みたい。でも空曇り、月も不機嫌?
今、月は地球から観測して牡羊座(の手前)に位置するので、牡羊座で満月=牡羊座の人にはラッキーという見方があり、何かやりかけたことを再開させると、もしかしたら見通しが立ってくるかもしれませんね?
ああ、空から降るニュートリノ達も、中秋の名月の風情を帯びて、柔らかい表情になってくれていたらいいのに。
霞の向こうにある月を見上げ、空から降り注ぐ素粒子を抱いて、果実を齧ろう。
さて、一昨日は久々に「俳句会」に参加。今回の場所は「夜想」を行なってる喫茶「木陽」まさに基地へ戻ってきたといえばそう。
私は俳句のサイトを立ち上げる予定は当面ありませんが、もし句会、夜想、タンゴの三会の事務局のSさんからコールがあれば「花鳥諷詠館」というタイトルはどうだろう?でも、当面は俳句は、句会のみで継続する頭なので、寄り道は駄目駄目。
さて、俳句を鍛えるポイントの1つに兼題があります。ちなみに今回の兼題は「袋」(+季語)
結構、難題だった。
でも、さすがは(代表の)M先生!持参された「秋雨や袋小路にコーヒー館」は、洒落てると思いました。袋という題を、袋小路とした点は洒落てる!(確か、倉敷の袋小路にあるカフェ「夢空間・はしまや」を詠んだ句)
ちなみに私は、今回はアンチ俳句モードで詠んだ五句を持参。
まず、袋=鬼灯とし「望遠鏡にしてみたいと君 鬼灯に穴開ける」という句。
「薫葉一声にしか詠めない句。発想力はいつもながらに凄い」と、M先生から評をいただくも、やはり字余りに対して、かなり指摘が入る。リズムを整えるべきではと。
こちらも袋(ゴミ袋)を詠んだ句。
「八月の闇ゴミ袋の中に聖書と薔薇と」
この句には、全て言い切らず、隠すべきと指摘入る。ゴミの字は消す。あるいは「八月の聖書と薔薇とゴミ袋」でよいのではとM先生。袋の中に入れるまでは、詠まなくていいと。
俳句らしい句も持参。「赤い羽根 袋の中から『はい、君へ』」
ここでも兼題「袋」を入れました。
さて、この句は詩人であるM・K先生が高評価して下さり、周囲から反響があっただけに「ホッ」
一番点が入ったのがホラー俳句(やはり袋を題材にした句)=「袋から子規のミイラがにょろろろろ」
これはヒットだった。
がM先生から「発想は素晴らしい。この句は薫葉一声(=薫葉豊輝の俳号)にしか詠めない、オリジナリティ豊かな句。でも、俳句は言い切って何がある。全てを言い切ってしまうよりも隠す、削ることが大切。でも皆、言いたいことを言いたい、無駄なことを削るのは自分の命を削られるように辛くて出来ない。第一17字という少ない器に無駄は無いと思うはず。そう、それぐらい皆、自分の句が可愛いものです。でも、削ること、これが俳句の基本です。ここは、正岡子規のミイラとせず、「袋から子規がにょろろろろ」で十分。これなら本当に評価する」と。
が、全体の意見に「ミイラ」だから面白いと声も上がったので、ここはミイラを残させていただくことに。
しかし俳句をやっていて鍛えられるのは、自画自賛が出来ないところでしょうか。常に客観視しないと選ができない。
つまり、出句した句は、いくら自信があっても自分の句は選んではいけないんですね。皆が、他人の秀句を選ぶ。
例として、全員で5句ずつ出句して計70句集れば、1人が約7句選びその中で特選を1句選ぶ。
だから自信満々の句に1票も入らなければ、そこで考える。何故、選ばれないのか?そこで俳句の奥深さに目覚め、自惚れることにブレーキがかかる。そして他人の、上手い人の句の上手さが次第にわかり、そこに超えられない壁が見えてくる。
ちなみに、私が特選に選んだのは夜想のSさんの奥さんRさんの「秋の風袋の中に中也の詩」
が、M先生の選評は厳しい。「この句は出来すぎです。中也の詩とすれば高い率で選ばれるから、そう書いたことがわかってしまう点が惜しい」と。
では、皆さんの句に触れることに。
「晩学や袋から出す九月券」
この句は全体的に評価が高く、私自身、勉強になった句でした。
晩学(年配者の勉強)する人が、何の券を持つか想像させる余地。行間を読ませることと同意で、限定せぬことで想像させる力のある句とM先生。
この晩学する方が、一体、何の勉強の会に行っているのか、晩学と九月券の取り合わせ、そして兼題である「袋」を入れた点が高評価のポイント。私もこのような句を詠まねば!
「天袋ひょいと見つけた良夜かな」
この句も高評価された句でした。天袋を俳句の中で読んだこと。その目の付け所がいいと皆さん。
天袋を私は知らなかっただけに勉強に。天袋=押し入れの上部の戸棚。
M先生曰く「天袋を詠んだ手柄と、天袋を開いても、空は見えないのに、その論理を切り離して、良夜とした取り合わせが上手いです。俳句は575の内、上5(最初の5字)と下5(最後の5字)の意味、その二つの論理がほどほどに離れていて、そして意外な組み合わせなほどよいとされる分、上手いです。ただこれが離れすぎた結果、意味不明となったり、品がない句は、まず選ばれません。大きな結社になるほど、品重視。でも普通、天袋を開けるのは昼で、夜には開けないのに、良夜とするのはおかしいですが、今は夜に開ける方もいるでしょうし。それは問題視することもないでしょう」と。
たかだか17字といえ、そこには時間の論理も念頭に入れて詠まねばならない厳しさ。奥深いものです。
他にM先生の言葉で勉強になったのは「別れきてサルビアの花のつきあたり」
この句は歌謡曲な気がするもの、惹かれた。
でもM先生曰く「歌謡曲を思い起こす点が気になります。でも、この方のよいところは、「つきあたる」としなかった点。「つきあたる」だと、理屈になりますから。「つきあたり」にしたのが正解でしたね」と。
俳句とは削除の文学ということでしょうか。たくさんのルールを踏まえてこそ、ようやく土俵に立てる「戒律の文学」と呼べるかも?
面白かったのが詩人のM・K先生の句「山川をラップにくるみ月に置く」
皆が「この句は薫葉さんの句でしょう」と口にしたので、最後に作者を明かした際「私が、薫葉一声カラーで作った句」とM・K先生。そのせいか、私自身も惹かれて選んでいました!
そのM・K先生が理事として加盟されている「吉備路文学館」にてシンポジウムを行うそうです。
サイトの方での告知はまだ開始していないようですが、11/6のPM1時半から開催。
M・K先生と、県下TOPの俳人(であり、当会代表のM先生の古くからの句友でである)竹本健司先生と、詩人の岡先生の三人で「シンポジウムと朗読の会」(Part2「俳句の中の詩性」)という題で開催。
帰り際、M・K先生が「人が何と言おうと、自分のカラーを捨てず、オリジナリティ豊かな詩句を作り続けるべきだよ。個性を追求して」と言って見送ってくれ、私はその足でシネファク代表のFさん主催の「映画脚本研究会」へ。
9月27日(月)先負・みずがめ座74番星の星食(潜入)・火星が木星の南0°
TV「奇跡の生還者」(佐賀バスジャック犯)の後半を観ていて、「もしもあそこに自分が乗っていたなら死を覚悟する以外ない……」と冷や汗。生まれてきたことを後悔する瞬間の一シーンではないかと?
でもギリギリまで頭を使う。物を一つ投げても効果薄。でも、全員で一気に持ち物の全てを投げれば効果大ではないか?とか(合図できねば、まず自分が投げて、全員に「さぁ、持ち物を全部、彼に投げて」と号令)、自分が運転手なら急ブレーキでUターン(車を回転させることで)犯人を転ばせて、その隙に上に伸し掛かるとか。
あるいは、差し入れの際、睡眠薬入りの飲み物を勧めて飲ませ、眠らせる。最悪の事態直前ならば、毒入り飲料を渡すしかない。今後出る死者の数と少年の命を天秤にかける行為なだけに、自分では手渡せらないけれど……。
刑事の交渉の際でも、最初に交渉した時点で交渉者の死角(真下)から、消火器を持った刑事が顔を出し、少年に向けて噴射。倒す。それでも凶器を手放さなければ消火器ごと投げつけるとか。それならば、窓越しの交渉も短時間で済んだのではないかとか?
バス自体にも対策方法を考える必要があるのでは?と腕組。
例えば、バスの天井に脱出扉とか、天井に「隠しネット」(スピード落下する網で、バスジャック犯を捕獲)。
あるいは熱湯の出るシャワーを天井に設置とか、一席だけ、電気ショックを流す椅子とか。そこに座るようススメてスイッチを入れる。恐ろしい拷問機器のようですが、もしも自分があそこにいたら、助かる可能性をUPさせてくれるであろう命を救う道具となるはずだ(感謝される道具)と思うと、やはり対策道具の設置は検討すべきではないかと?
でも犯罪は、原因、根に焦点を当てねば解決しない。おおかた追い詰められた人が犯罪に走る。
なので第一に、人を落ち着かせることを考えるべき。バスに同乗していたとしても、自分なら少年に「ねぇ、君が好きな歌とかない?落ち込んだり、悩んだりした時に聞いた、励まされた歌。かけがえのない歌とか。よければ、その歌を唄わないか。一緒に。俺もさ、修学旅行でガイドさん、そして先生と一緒に歌った歌が未だに忘れられないんだ。あの時、凄く落ち込んでいて、嫌な奴等にやられた分仕返ししてやろうかと考えてたけど、その歌を唄った時、何だか仲間っていいな。憎むことって馬鹿らしいなって思った。だから復讐は馬鹿らしいと思った。それと一緒でさ、そんな包丁なんて振り回しても、自分がみじめになるだけだと思わないか。仲間も悲しむし、家族も悲しむ。嫌なことがあって、言いたいことがあれば、そんな武器に頼らず、自分の口で言えばいいじゃないか。それよりも武器を持たないと主張できないほど、君は弱い人間なのかい?そうじゃないからこそ、プライドを賭けてこんなことをやっているんだろう。じゃあ、本当の強さを証明するために、そんな武器などは捨てて、自分の言葉で訴えたい相手に、今から伝えればいいじゃないか、武器ではなく、言葉で」と、その少年の情へと訴えて、武器を捨てさせる論理的道筋を真剣に探りたい(そこまでの勇気、正直無いが……)。
実際、車内で和ませる言葉を少年にかけた際、彼は落ち着きを取り戻したそうですし。
相手の郷愁を誘えるか否かは、犯行を思いとどまらせるための大きなポイントのはず。これがドラマなら、シナリオしかり、台詞しかり。
人の心理は、和み一つで救われるのではないかと。
一例として、よく行くG・スタンドで、そこの店長がとても優しく、さらに元気。どこか頼りがいのあるいい兄貴という感じ(40代の方ですが)。
そのせいか、店員全員の顔がどこか和んでいて、対応も丁寧。意外なのは、ちょっとヤンキー風の少年までもが対応が優しい。他の店ではキツイ表情を崩さぬまま、どこか荒々しい身振りで給入するケースに当たること多い反面、その店だけは何かが違う。(朱に交われば赤くなる?)
それは全て、店長の人間性ではないかと?そのせいか、客としてもその店に行きたくなる。
朝ドラ「天花」最終回=昨日「脚本研究会」で語ったことに「皆が興味のある題材を書くべき。社会的に関心の高い素材を盛り込んで!」(本格ミステリのようなパズルでもなければ)と言った私ですが、「天花」の良点は、素敵な保育所作りを目指したヒロインのスタンス、生き様!
まさに、社会的に今注目されているテーマである保母、保育園を扱い、さらに魅力的な保育所を田舎に作ったアイデアはグー!
ヒロインの彼にせよ、面白いキャラで、ミュージシャン志望だったのが、家を継ぐために僧となっていく意外な展開など、脚本的に面白い!などなど、主軸。メイン・ストーリーはとってもよかった。でもオカズが足りない気が。
サブ・ストーリーが弱かったのではないかと?そして、このサブ・ストーリーを思案、工夫、少しでも多く盛り込めるか否かが、脚本家の力を計る目安のような気がしている今日この頃。
例えば以前の朝ドラ「やんちゃくれ」で、「喰うニャン」だったか、姉妹でギョーザ専門店をオープンさせるサブ・ストーリーがあり、その店の開店前後のエピソードが無茶苦茶面白かった!動き、華があった。
が「ほんまもん」は時間が静止していて、ひたすら地味だった。ヒロインは可愛い反面、女料理人として厨房に立つシーンが全話の大半を占め、動きなく華なく、テンションもトーンも低かった気が。相手役も今ひとつ……。
「こころ」もちょっと地味だった気が?前半のスチュワーデス時代はまだ動きがあったものの、中盤からテンションが急降下……エピソードも少なく、前半で旦那が死んだ時点で「?」だった。実際「旦那を生き返らせて」と大量に投書が届いたそうですが、同感!そのせいか、その後の花火職人との出会い、恋愛面にせよ、どこか腑に落ちず……。
でも同じく職人を目指す作品でも「あすか」は大当たりだった!
主役をはじめ、藤岡弘の父親役も最高で、藤木直人のさわやかさ(「あすか」以後のドラマでは、まったく魅力を感じられませんが)、考古学の用い方。おかず(ガジェット、エピソード)もたくさんあり、結構、面白かった。
菓子職人になる大筋以上に、奈良の家の地下から遺跡が発掘されて、莫大な借金を抱えてしまうなど、それと同時に実際に奈良で「酒船石遺跡」が発見されるなど不思議なシンクロがあったり、サブとしてのエピソード面が充実していました!
盛りだくさんと言えば(私が朝ドラファンになったきっかけの作品)「ふたりっ子」これは素晴らし過ぎるほど具沢山だった。全朝ドラ中一位!(二位は「あぐり」かな?)
シナリオが弱かったのは「ちゅらさん」沖縄を舞台にしてる分、大期待していたもの、脚本家の技術が朝ドラ中、一番低かったかもしれません?辻褄が合わなかったり、文法がおかしかったりと、論理面がちょっと弱い。
でも、世界観や雰囲気。二人の再会シーンとかは最高に感動!
こう見ると、「天花」は主軸だけは好感で(ヒロインに元気がないせいか)テンション低く、はっとする台詞やエピソードも意外と少なく、ちょっと面白さの足らない作品だったかもしれません?父の会社にしても、もっと意外な展開が欲しかった。ちょっと論点が違うもの「まんてん」みたいに、道場と宇宙飛行士みたいに、意外な取り合わせとか。でも「天花」のラスト(結婚式のシーン)は上手い!
ウェディング・ドレスを着て挙式をしたいと、しきたりを破って改革しようとするヒロインの意志、その過程や、挙式中、天花と竜之介を何故、結び付けたかったか、抱き合い、涙を流しながら語る戦友の祖父たちの理由など、脚本が神々しかった。ここは光っていました!脚本家の腕をここで見せ付けられた印象!(ラストはとっても感動!)
う〜ん、やっぱり「朝ドラ」は面白い!
・「日本語の乱れ」 清水義範読了。書評荘UP!
9月26日(日)友引・天王星が月の北4°
「シネマ・ファクトリー」代表Fさんの主催する第一回「映画脚本研究会」へF氏と参加。
会場入りすると、博識のMさんがいて「?」ああ、Mさんも脚本研究しようと思ってるんですね。
開始して、まず「?」と思ったのが、Fさん自身、この会を行なう明確なビジョンがまだ希薄な点。脚本の質を高めたいという意志は買いたいもの、ここで何をしていくかさえ、ちょっと未だ空白状態では、参加した私としても……。それを話しあうことからスタート。
そこで方向性なり、0からの話し合いに。が、ビジョンは数分にして浮かばずで、発言者も雨漏り程度の数なので、どうも、私しかプラン提案をする人間がいない=その役回りとなる状況に。
初参加ながら、映画制作を行なうために必要なビジョン等について色々と話を。
まず、自分を知ること。自分の好きなことと嫌いなこと。出来ること、出来ないこと。これらを明確にしていく必要があるのではないかと?色々なことを語った気がしますが、結構、言葉を費やした。
思いついた話を即、執筆するのではなくて、考える段階。研究することの重要性、方法論などを話し、撮影前までに必要なことをアレコレ。
だけど、会の方向性、何を描くか。ドラマ派か、映像派なのか、決めておくべきことは多々あるはず。
でも皆さん、さほど意識が高くないせいか、どうすればいいのかがわからないのか?どうも私一人が発言−「なるほど」「何から着手すべきか?」「難しい」−などなど、質問への応答という展開に。
だけど、作品が面白いか、面白くないかを判断する目。客(読者)としての目が、まだ養われていない段階なので(私にしても、ちょっとわかってる程度ですが)、まず、そこから養うべきでは?
読者論やら、とにかく色んなことを話したと回想。
本来は、自分が何かを教えてもらうことが目的で参加した場ながら、自分が提案者の方へ回ってしまうという結果に……。
でも皆さん、私の提案を、結構好意的に受け止めていただき、よかったですが。
で、結局。この研究会とシネファクとは直結してなくとも、今後部外者の参加者も歓迎(募集はしないので私は以前から自作を映画化するのが創作の原点と言う遙伸也さんとかを誘おうか検討中)。
流れで、次回、企画書を持参し、それについて、皆でどの企画が面白いかをディスカスし、そこから脚本化していくプランに落ち着く。でもすぐに書くステップに移行せず、できるだけ推敲を繰り返すことは言及。
詩にせよ、小説にせよ、脚本にせよ。一行単位に神経を注いでいる人が多いなか、ただ書いて、即撮影では、「脚本をなめている」と取られてもしょうがないし!勉強と、明確な目的意識が必要ではと?
が、私自身、曜日次第で次回参加できるかどうか不透明。でも出来るだけ足を運ぼう。(本当は、企画の段階で、プロの方の参加も願いたいですが、何分、資金がないためにギャラも出せない……無償での賛同となります)
しかし、今日一緒に参加した(最近シネファクに入会した)F氏が「有名役者に出演してもらうよう交渉してみるべき。結果は駄目だとしても、当たって砕けろぐらいのチャレンジ精神が必要。それで知名度が上がれば、道は早い。(芸能プロ)Aさんだって、積極行動。誰よりも早く行動して、仕事が早いから、さまざまな競争に勝ってきたんだと思うし、シネファクもこの調子でやってたら、知名度もスローにしか上がらない。年を取るだけ」と大胆発言を私に言ってきて、凄いことを言うなと、消極的な人に取り囲まれている私としては、大物?と感じてしまった。
確かにA氏は早いけど。でも、今周囲にいる人は、冷めてから鉄を打つ人が多いかもしれない……鉄は熱い内に打てか。
でも、身近どころではNEOさんとか、今、交流に意欲的で、サイト単位でもライター会議のページ改革プランとかを昨日、出してくれたり、そのページ製作にも着手してくれると言ってくれたり(感謝)、ライター会議の輪を広げるためのプランを出してくれたりと、エンジンがかかっている人もいるようですが!
だけど私自身にせよ、円滑な輪を作りたいですし、何か地元単位で大きな作品ができればいいのでは?と思ってるのも事実。いい脚本が出来れば、協力者は必ず集まるでしょうし。
何も私個人のプロットの映画化だけを望んでいるわけではなく、やる気&センスを持つ人が集って、皆で一本「コレ」というプロット・脚本が完成される日を期待したい!
だから、そこに向かっている時には協力者も欲しいですし、その過程で、排除、追い出し、批判の矢ばかりを向けて背を向け合っている人たちがいるとすれば、それは残念極まりないこと。プライドの枷など取っ払って、交流の輪に入ってこられては?思う次第。
何も私は自分の利益だけで動いているわけではなくて(第一、お金を貰って芸術活動をしているわけではありませんし)、色々な人の扉、窓口になろうとしているので、その扉を割ったところで、それは次の部屋への入り口を閉ざすだけ。そんな気がしているのですが?
9月25日(土)先勝・海王星が月の北5°・やぎ座154B.星の星食(潜入)
夜。「出石文化横丁」(旧小学校)の隣。幸町図書館(アイ・プラザ)へ。「劇団LED」」の公演へ!
今回の公演。ミステリ・ファンとしては「ありがたい企画!」ホント、ミステリ普及委員会として、賞賛の劇団。
でも書き手の視点で見ると反面教師。客の視点で見ると、考えさせること多々あるかもしれません。
本格推理と演劇の融合は難しいですね。活字には活字の醍醐味があり、脚本もしかり。メリットとデメリットある。
良点は、いつ誰がどのように、芝居用の水差しに毒を盛ったか?その論理には華ある。でも面白いところはその一点のみ……。
クィーンから続く命題へのアプローチはサプライズがあるし、さすが倉知さんの本!(私は芝居中、他、二つほどトリックのバリエーションが浮かびましたが)
でも、重箱を突付くと、ビXXンXを飲んだ際、それを飲む理由が弱いかも?あれを飲む理由が。飲む理由さえ書かれてあれば完璧でしたが。これはNEOさんも厳しく「あそこを疑問に思ってる人は多いのでは」と。
でも、あれだけ論理を詰めるのはさすがですが。
でも何かが足りない。例えば「名探偵コナン」を舞台化して、本当に面白いかという命題と似て、謎を解くだけの話はやはり、サスペンスがなく、観ていて萌えがないかも……。何か、こう来るものが弱いんですね……。
密室ものは、閉じた物語だけに、演劇化しても、やはり閉じてしまうし……ゆえに自分にとっては、反面教師であり、自身の課題ともなる。
それと、ちょっと皆さんのテンションも低く。迫力もソコソコ、何かが足りない?演技もこ慣れてるけど、突き抜けるものがないし……。
観てて、劇団「魅感性」や「転機与砲」も負けてないなと思ったほど。いや、地元の劇団レベルが上がってるということか?
特に「転機与砲」、プロットや論理には欠陥あるとしても、演劇としては、(二劇団とも)とっても面白く、観ているとグッと来るものがあるので。
それに、一度観たらまた観たいと思わせるものがある。
でも今夜の「LED」のお芝居は、一度観て、また行きたいなぁと思わせるものに欠けているかもしれません……あと、結構、高額ですし……(やっぱり、これが最大の理由?)。
地元で本格ミステリを上演する劇団「黒い兎団」は最近、活動休止中のようですが、今日の芝居を観ていて逆に「黒い兎団」って、結構、凄いんじゃないかと思ってしまった!
こう、神経にグイグイ触れてくるほどの緊張感。迫力、悪意、サイコ、闇。ロジック。トリック。変化球。てんこ盛りのジョークや笑い。コントがあったり、アクションあったり、笑いあり、涙あり、ストーリー面白く、要素がてんこ盛り。
これはおそらくミステリ色の濃い舞台を上演する上で、(主宰・脚本の)Yさんが「森博嗣以後」という意識強く、クィーンを引きずる古典的で地味な謎解きを超えた、メタな地点で戦っているからかもしれない。
でも比べるのは難しい。それは、今夜のお芝居はおそらく短編でしょうから、黒い兎団のように、長編SFミステリ一冊(あるいは数冊)分ほどの濃度を客にぶつけてくるテンションの高い作品と比較することはできない。
第一、倉知さんの本格推理は、ミステリ界でも評判ですし!
でも、芝居観劇後の私は、どこか不完全燃焼……それでも(手伝いにて)アンケート回収箱前にいたMさんには「また、ライター会議の案内、メールします」と伝えることに。しかし、劇団の主メンバーが学生時代の仲間なだけに、劇団の方々も地元にて応援してくれてるMさんに対しては感謝しているのかもしれませんね?と言うわけで私も完全応援モードに!
モチ、一ミステリファンとしても応援モード!笑顔にて、その場を去った私。
その後、遙さん、NEOさんと某店で感想会議?
やはり面白さの話に。「ミステリを舞台化するのは無理があるかも?面白さにおいてもちょっと面白さに欠けていたのでは」「高額」とか、NEOさんも結構、辛口に。
いや、きっと私にせよ、期待を抱きすぎていたのかもしれません。初めて観た方は結構来るはずだし、別の劇団と比べなければ、グッとも来るはず。
第一、バリバリの本格を読んだ後、どこか薄口なミステリを読むと物足りないのに似ていて、私が勝手に基準を設けたのが、観劇に対してブレーキをかけているのかも?
いい点もたくさんあるので。キャラの性格付けなり、歴史に基づく世界観。台詞。まとめ方なり、二層分けの舞台なり、照明なり。
私自身、謎解き主眼の物を書く頭でいる分、実は私が述べた感想は自分へ向けた刃。
だからこそ私は、自分が演劇に手を出す(関わる)のに奥手になっているのですが。
小説には、小説に向いた表現があり、今はそれを追求しているだけに、自分の書く話をそのまま演劇にするとか、映画にしてもストレートに面白くならないと、わかっている私。
その領域にある華。面白さ。それを考えるだけでも精一杯の今。
だけど明日。シネマ・ファクトリーの主催する第一回「映画脚本研究会」へちょっと顔を出してきます!
そ、その前に、俳句会があるので、今から疲労対策を考えねば!
・「レディース・コミックの女性学」 衿野未矢読了。書評荘UP!
9月24日(金)赤口・やぎ座86B.星の星食(潜入) ・うみへび座Rが極大
全ての物語は歪んだ「神話」かもしれないと、ふと思う。でも軌道修正を目的に、物語を紡ぎだされている作家もたくさんいて、それを薬屋とするならば、ホラーやミステリの書き手は、破壊的な詩人?つまり、毒屋?
でも一概には言えない。ミステリには探偵という、破壊された神話を修正するために立ち上がる軌道修正装置とも呼べる十字軍が存在。
少なくとも悪意と戦っているジャンヌ・ダルクが。
私の城の地下金庫には、できれば、その聖域を保存し続けておきたい。
となると、キャラクター小説という枷が掛かってしまうのは必衰ながら、できるだけ探偵という記号は死守しておかねば。
世界単位で話しても、この世は悪意で一杯。だから悪意の道筋を追うアンテナを持った探偵を書くことは、需要があると同義な気が?
謎の前に謎を潰すことは不可能だとしても、悪意の走る道筋を、誰よりも早く走る速足の探偵の創造は、放射状に広がっていくのが特長ともいえる、謎の拡散を防ぎ、原因を探る役割ぐらいは与えられるかもしれない。
(ここまでは真面目な言葉。が、下記はジョークです)
だから、私の創造する探偵さんへ。
私の生活をお守りください。どうぞ、紙の中から飛び出してきて。
9月23日(木)大安・秋分(太陽の黄経が180°になる)の日・月が最近・水星の日心黄緯が北に極大
雨の街道の一角で、無関心な視線を浴びながらバスを待っている。視線と雨。浴びるもの、二つありて面白き。
グー・チョキ・パーと指体操しつつ、(もう)片手で持っている文庫の中の「涙」の文字に、雨がかかる偶然(実際は?)。ユングの共時性が、僕の加速器の中で、再稼働を始める。
繁殖するH2O。流線型から、円形へと、形を変えながら転がっていく水玉のうなりが、僕の記憶をかき乱していく。
檻を出たトラウマが、時速360キロ超で走り出す。
いや、待てよ。そういえば確か、昨日水曜日は、太陽と木星が直列となり、いい兆しを感じていたのだ。
悪酔いのトラウマを檻に入れ、ギアを低速に。穏やかな心はやっぱり幸いだ。プチ天国は近付いた。
ふとF氏から「映画を作る際、脚本で考えるべきことは」と問われ、色々と話しを。
でも、上記したような表現はまず映像にしても面白みがないので、文と図(映像)の差異を把握すべきかと。
心理を描くなら、強いのは小説で、ストーリーを描くなら映画は結構、相性がいい。(叙述ミステリでもなければ=「十角館の殺人」や「ハサミ男」が映画にならないのは、映画にすると面白さを消滅させてしまう恐れがあるためでは?それぐらい叙述トリックは、活字と相性がいい。「ハサミ男」は映画化の話が出ても、その後まったく音沙汰ないのは、製作サイドも『映画化は不可能』そのことに気付いたのでは?私は映画化の話が出た瞬間「きっと無理」と直感しましたが。例えば「名探偵コナン」の作者が、綾辻行人を超えられたとしても「十角館の殺人」には勝てないのは、「十角館」には小説でしか表現できないトリックが用いられているため、対抗しようがない。それだけに、その不可能な壁に挑んでほしいとも思いますが!ちなみに「時計館の殺人」も凄い作品ですが、絵になるトリック《オリジナリティ抜群のメカニズムではありますが》なので、森博嗣さんの手によって、それを超えた物が書かれたような気も?でも「十角館」は孤高?ただ、D・カーの「髑髏城」のトリックを読んだ時、ちょっと似てるかもと思った。スケールは「十角館」の足元にも及ばないもの、原理という点が似てる。だけど作品として「十角館」は本当に素晴らしい作品だった。未だに忘れられないし、あれがなければミステリ・ファンになってないと思うと、やはり素晴らしい一作。「暗黒館の殺人」には、萌えられないけれど……)
話戻し、冒頭で書いた詩(あるいは描写)を映像にしても面白くない理由として、この詩(描写)には動きがないから。
ただ、一人の人(私)がバス待ちをする、ほんの数分の情景を描いてるだけ。この場にカメラを当てても、視聴者は「ただ男が、バス待ちしてるんだな」と思うだけで、内側に生じる言葉は届かない。
つまり、詩は映画にはなりにくい要素が高いという話を。(寺山修司でもなければ)
でも、逆に安いドラマは、詩にも文学にもならない。
例えば芥川賞の「介護入門」これを映画化したら、映像にする箇所がきっと面白くない気が?反対に、面白い箇所である、独り言、テンションの高いレトリックなど、それを台詞にしないと思われるので、全部削られ、よって面白みのさほど無い映画が出来てしまう気が。モチ、奇抜なファッションに身を包む若者の介護姿は絵になりますが、実はあの作品の核はそこではなく、映像化できない心の言葉。つまり、見せ場というか、面白いのは全部、言葉の領域。
映画と小説の違い。それはどこにあるのか?それを把握してから、やっぱりカメラを回す方がきっといいのでは?そんな話に。
いや、焦点は脚本だったから、それを念頭に置いてからこそ、脚本を書くべきではと。
映画は、人の動きの連続写真みたいなもので、小説(文学)は、人は一ヵ所に止まっててOKだけど、その人の頭の中にある心理、その心の言葉の動きの連続写真みたいなものということでしょうか?(エンタメ小説は両方必要ですが)
だから、心の連続写真は、絵(映像)にはならない。カメラで写せないので、でも、無理にでも心の動きを録るなら、不条理な作品にするか、真面目なドラマで表現するなら、ちょっと面白い映画化(画期的な方法でも考えない限り)させることは難しいかも?
その後、ふと書店で「オール讀物」をパラパラめくっていると、重松清さんの「方言にも階層というかグラデーションがあって、それを書き分けることで子供のポジションがわかる」という言葉に目が留まる。(重松節が好きなだけ)
なるほど、その切り口は面白い。まさにこれも映像化できない言葉ですね。
私は、重松さんの言葉が好きなんですが、その理由として、レトリックが上手いだけではなくて、どこか人間臭いところ。分析力と情が同居している点に惹かれています。
その勢いで「小説新潮」をパラパラめくっていると、芥川賞作家・吉田修一さんの「7月24日通り」に目が留まる。
何だろうか、この文字配列。型なのだろうか?特に奇抜な文字が並んでいるわけでもなく普通の活字文ですが。
頁の左右二面を通して、何か(髪の毛に例えるなら)綺麗に梳かれた髪の毛のような型がある?
次に字面を追っても、情景描写が多い文体だけれど、どこか吸引力が!
パラパラ読みをするだけでも、意外と作家の力量というものは、わかるものですね。
さらに「石田衣良スタイル」というファン・ブックにも手を伸ばしてパラ読み。
「ジャンルに限らず、イキイキしたストーリーのある小説には惹かれる。だから、自分も書く際にはそれを意識している」と。そこに目が留まる。
今日私は日記で「動き」について触れましたが。「動き」だけでは言葉足らずかもしれませんね。つまり、イキイキとした動きかつプロットを持つ作品は面白いということでしょう。(反対に、暗いトーンの作品を書きたければ、その暗さを追求すべきだとは思いますが)。
S・ジャンプ「ゼロ」=今回のアフガンの地下にあるシェルター兼博物館に仕掛けられた謎。これはオリジナリティが高いと思った。
本格ミステリと違う線から、この手の素材を扱った作者の目の付け所は、いつもながら、さすがです!
モーニング「カバチタレ」=なるほど、借金を負って雲隠れ中の社長の(貸)事務所を、債権者であることを主張する占有屋が占有行為をする際にも、そんな死角があったとは?(法的サプライズが書かれていると喚起)
コナンの推理=コナン推理サイトにて、副管理人のRさんが「犯人双子説」を発表。面白いと思いました。
現段階ではまだ推理できない気もしますが、もし私の推理と掛け合わせると、一つある図(パズル)を作れるかも?(まだ半信半疑ですが)
犯人は綿引の双子の片割れではないかと推理するRさん。
では、もしもあの被害者・関口が残したD暗号が、その双子(おそらく、イニシャルW・Kの人物。綿引勝史《まさし》に対して)「綿引かつし」であったならば、あのD暗号は、その「かつし」(あるいは、名の頭に「か行」を持つ双子の片割れ)を示しているかも?
(関口を殺害する直前「俺はお前に殺された『かつし』の方だと名乗った?=だから関口はW・Kを表すD暗号を残した。単にW・Kとするなら、すぐに犯人にバレる可能性が高いのでで、あの有名な探偵・毛利小五郎《実はコナン》なら気付いてくれるはずと、時計に暗号を残すことに賭けた?)
でも、それならば屋敷に双子の片割れが潜んでいる可能性が高い。
が、現段階で、伏線にそれを臭わす描写はない……この推理は今後の伏線次第で、表が出るか裏が出るか、分かれそうですね!(まさに、賭けの推理!)
9月22日(水)上弦の月・月の赤緯が最南・木星が合
今日発売少年サンデー「名探偵コナン」=謎が交通渋滞中。交通整理しても、整理ならず。さて、何から手を付けるべきか?
まず、第一の被害者・関口の時計の文字「6時にE」「9時にN」と刻まれている=難解。最初、方位盤と思うもの、Nが北なら、6時の位置にはE(東)ではなく、S(西)が来るはずなので、この思考を却下。
随分と悩んでふと浮かんだのが、9時の文字盤の上にNと書いていたのを気付いた犯人が(犯人が先崎波花の場合Nは自分を示すと思い)、6時の場所にもEを足したのかも?いや、それならばNの字を消す方が早い。ワザワザもう一つ付け加えるよりも。(これは却下)
そこで、もし「Nと9」に関連性があったらと考えることに=考え方の一つとして、Nの次から数えて9文字目のアルファベットに注目。Wだった。
次に「Eと6」=Eの次から数えて6字目はKだった。W・Kとなる。そこで容疑者に該当者はいない。
が、やはり運転手の綿引は怪しい。
何故ならば、彼の姓名は綿引勝史(まさし)。そこでその名「勝史(まさし)」を、「かつし」と呼んだらどうだろう?(勝史はかつしと呼ぶ方が頻度が高いし!)
そうすれば、イニシャルは「綿引勝史=W・K」と読める!?
補強として、被害者の関口は、運転手の姓は把握していても、おそらく下の名前まで記憶していないはず?
でも、色々と書面なり、何か運転手の名を活字で見る機会が何度もあったら(主人の妻の友人のうえ、この家のセキュリティを請け負っているだけに)、彼の姓名を漢字として把握していたかもしれない。綿貫勝史(かつし)と。
そう考えると、「W・K」は、綿引勝史と解釈できるのでは?
第二の壁。それは綿引が運転中の8時半〜9時に犯行が起きている=アリバイ・トリックを使用したのか?
第一、被害者の「関口」は、午後8時5分前まで生きていた。
8時10分頃には屋敷から出てきた主人を車内にて出迎え、屋敷を離れたとするならば、その空白の数分程度で犯行はやはり無理か?
0ではない。
例として、フック付きロープを3階へと投げて3階へ行き、(多分ベランダに面する3階ドアは開いていた?)侵入し、そこでクロロフォルムか何かで関口(あるいは食事に睡眠薬を混ぜておいた=もしや、シェフの波花が共犯?起きる時間もある程度計算して量を含ませる?)を眠らせ、首にロープを結わえて、ベランダの手摺りに体を折った形(手は、手摺りの外へぶらりと垂らせ)で寝かせておく?(あるいは、頭を手摺りに当てる形で横たわらせた?)それをやりをえてから下へと降りて主人を車にて出迎えた?(その後、関口は目覚めると同時にバランスを崩して転落。首が吊られた?
ちょっと無理があるか、可能性は0でないとしても。
では、(綿引といい仲の)シェフである先崎波花が共犯者と考えたらどうだろう?
8時直前に上へ行った綿引は、部屋に侵入するか、彼を縛るかまでやり終えてから、関口は自分の時計に彼の名を示す暗号を残した?
その後は、綿引が外出後、波花が殺害を行った?(絞殺と吊るし)
(密室の謎)主人殺害の謎=(高確率で)鍵のかかっているベランダから、犯人はいかに室内に侵入したのか?
この推理は、直感ですが。
(警察捜査後)事前に犯人(綿引)は、3階ドアの下部に設置されている上下スライド式の鍵に、テグスを仕掛けておいた?そして、テグスの先はベランダ側へと出しておいた?
そして、その後、3階ベランダへとフック式ロープを下から投げて手摺りへと引っ掛けてから上がった(あるいは屋根から飛び降りた?)
そして、外に出しておいたテグスを用いて、室内の上下スライド鍵を操作して開けると、部屋へ侵入。主人から薬を奪って踏み潰し、ロープを伝って降りた?
もしこの案に無理があるなら、綿貫は事前に主人に携帯か内線で事件の手がかりを知っているとか、重要な話があると連絡し、主人の部屋に入れてもらい(指紋登録している場合は指紋照合機で連絡。入る際、機器に付着した指紋はすぐ拭き取った?)、主人が薬を飲むとか、後ろを向いている際、総じて油断してる隙にドアの下部の上下鍵へとテグスを通し、ドアを一瞬開けてからテグスをベランダへと出しておいた?それで退出後、コナン達が主人を訪ねた少し前に再度、ベランダから侵入した?
不審点=綿引は屋敷に一切、指紋を残していない可能性がある?付けば全て拭いていた。
斜めに歪んだ脅迫状=(綿引が犯人の場合)犯人は赤塚氏には容疑をかけたくはなかった?だから彼を容疑から外すために(完ぺき主義者の犯行らしからぬよう)わざと歪んだ字をカードへと印字した?
履いてない靴下=関口は主人の寝室にいたから?裸足で。
靴を履かせた理由=ベランダへ出ると、人は靴を履くと考えた犯人は、この事件は自殺に見せる頭であることもあり、関口に靴を履かせた?(靴は犯人が下から持ってきた?)
もしも犯人が執事だとするならば、靴下も用意して履かせた気が?完ぺき主義ゆえ。(普段から関口が靴下を履かない性格でもない限りは)=やはり犯人は執事ではなく、綿引の単独か、波花との共犯?
とかく手強い……。
・「Φは壊れたね」 森博嗣読了。書評荘UP!
9月21日(火)先負・かみのけ座Rが極大
カップ麺の麺にウェーブが付いているのは、麺の型崩れを防ぐためだそうですが、その法則に到った日清の安藤百福社長のその瞬間のひらめきに学びたい。
本格ミステリを書こうとした際、とかくボロボロと(設定時には完璧と思ってる)構造が崩れていくのが常で、完成された型にはなかなか至らない。
そう、パズルは結構難しいという証拠ですね。解答を得た後から感想を述べる読者は(私を含め)、アレコレ突っ込むけれど、解答が(読了)1年後でないと教えられないというシステムとかできると、誰もが頭を抱えるはず!?(作品の印象も濃く残る?)
1年後システム=本の問題編だけを販売し、解答編は1年後(は長いので約1ヶ月後)、メールにて届くという(今、思いついた)システム?
そこで型崩れを防ぐというカップ麺のウェーブの法則。これを自分の製作術にも取り込め(シフトでき)ないかと腕を組む……眠くなる。
夜想のSさんからのニュースです。
・「アルゼンチンタンゴ・ダンスパーティー」日時:10月8日(金)19:00〜22:00
岡山市禁酒快感2Fホール(岡山市丸の内) 会費:1,000円(軽飲食付き)
ビギナーへのレッスンコーナー有り!
・「オペラストリート・オータムフェスタ」日時:9月25日(土)14:00〜約一時間。
岡山市本町のオペラストリートにて「せとうちタンゴアンサンブル」X「エル・カミニート」地元2楽団が初の競演! チェタンゴ・メンバーもダンスで華を添えます!
・「VOICE21」のTV放映変更のお知らせ=チェタンゴが紹介される日が10月14、17日に変更となりました!
「暗黒館の殺人」(上)=全然進まず、ようやく双子姉妹が登場するところ止まり。
ふと、この胴体の繋がる双子を見て、自分ならこんなトリックにするかもと喚起。
実は双子はすでに分離手術が済まされていて、それを(医師以外は)誰もが知らないために、どちらかの姉妹が部屋を出てある犯行に及ぶ?
アリバイを確保するため、一人が犯行に及んでる際は、もう一人は誰かと電話をしているとか(あっ、電話は使えなかったか)、部屋に誰かを訪ねさせて、ドア越しで一人が顔だけを出し、決して背中を見せぬまま挨拶だけをして追い返すとか、論理の穴を詰めるか。
補強として、普段の歩行の際は、胴が繋がっていなければ不自然な歩行になり、時々、体も離れると思われるので、その不自然さを克服するために、ベルトか何かで互いの腰を巻いておき、普段から歩行練習しているとか。
まさか、この手がトリックではないと思うので、綴りましたが、この手ならちょっとしたサプライズがあるのではないかと?
9月20日(月)友引・敬老の日・秋の彼岸の入り・おひつじ座Rが極大
普通、神社の拝礼は、二拝二拍手一拝が定番ですが、大分県の宇佐神社と、出雲大社は四拝だそうです(二拝・四拍手・一拝)。
そこで二つの神社は死を意味する神社ではないかと井沢元彦さんは「神霊の国日本」の中で推理。面白いと思った。
出雲大社は、戦いに負けて国を譲らされた(抹殺?された)大国主命の霊を慰めるために建てた神社で「死」を封印する神社。
宇佐神社は、一之御殿に八幡大神(応神天皇)。二之御殿に比売大神。三之御殿に神功皇后が祀られていて、何故か一番上位に当たる二之御殿(中心に、応神天皇ではなく)比売大神が祀られている。
この比売大神こそ、抹殺された卑弥呼ではないかと?
卑弥呼が怨霊になるのを防ぐため、宇佐神社では中心に祀り、脇に応神天皇と、神功皇后を祀って、怨霊防ぎをしてるのではないかと?
ただ四拝と言う記号から、深く推察する井沢回路。伊勢神宮は八拝八拍手だそうですが、数字に隠れた論理の妙。
人に対しては一拍手、神霊には二拍手。伊勢神宮は位の高い神を祀っているので?「八咫鏡」から八拍手。
では、祭神や神器に対し、色々と拝、拍手もバリエーションが出来るかもしれません?
例えば福井県の五皇神社では五拝とか。
ちょっと神を離れて、面白系で思案するならば、カップ麺へ拝、拍手する時は、(カップ麺といえば三分なので)三拝とか。3に縁深い長島監督しかり、ウルトラマンしかり。
最近、プロ野球が(大リーグ以上に)熱いですが、古田さんは真の文武両道派なので、支持を受けているのではないかと?文か武だけに偏った方なら、あそこまでトータルに物を見て、皆のために動けない?知と情を兼ねている点が、国民的支持を受けている?(政治家にも見習って欲しい)。
それと、問題の焦点である巨人と試合が出来ないパリーグは、TV放送の恩恵も得られず利益が出ないから1リーグ制にしようという声。
その解決策の一つとして、合併、新規参入以外にもう一つ手がある気が?
それは、巨人を特殊球団とし、セパ両方の試合に出場できる球団Xにしてはどうかと?日替わりでセパ両方に顔出しするという案(結果、年間でセパ両方で試合=TV放送の問題もクリア)。
それなら、巨人をパリーグに行かせろとか横暴な意見も抑えられるのではないかと?
そして、巨人の勝敗は、セパ全試合トータルとした点数で現在、何位にいるかを判断。
ただ、そうなると、優勝した場合、どちらのリーグで優勝したか計算できなくなるか?
ならばシーズン交替制というのはどうでしょう?
今年はセリーグで全試合を行い、来季はパリーグにて全試合するとか。
ああ、門外漢でもこれだけ熱くなってしまうということは、やはり野球界に地殻変動が起きている証拠なのかも?
・「名前がいっぱい」 清水義範読了。書評荘UP!
9月19日(日)先勝
ある女性が「あのハゲ頭の上司をメタメタにいじめること。それが私の憂さ晴らし」と口にしていて、世の中、我慢する人は我慢し続ける構図。そこからなかなか脱せないという解けない公式があると実感。
反面、職場に男性が一人しかいない若い美人OL。約20歳離れた上司と不倫していて、やはり人は環境によって生き方が決定されると喚起。
上記した方は、若い男性の多い職場なので、男性には不自由しないそうですが、さらに上司をいじめることを趣味としている?下記の女性の方は、男性がいないため、そこにいる唯一の男性がよく見えた。結果、不倫に……。
だけど、一視点から見ると「何故、あなたのような娘が不倫なんか、馬鹿じゃない」と言われると思うもの、そこには男不在で、そこにしか男性がいないという理由が存在。
そこで、やはり内も外も知って、基準値はどこにあるか、それを探すべきではと?
基準。生活の。何でもそうで、基準が壊れているのが今。中流が壊れ、上流と下流の差が開いている時代。
そこでまた増税案。
消費税一つとっても10%以上の増税が検討されているそうですが、基準を無視して国民全体を等価として見なし、そこから採取するのは横暴以外の何でもない気が?
つまり政府も、基準を見る目を見失っている?だから一億円という闇金を請けとっても反省できない資産家(議員)が生まれてしまう?
でもこれもある意味、歴史の転換期かもしれませんが?
貧乏かつ無学歴な人間がどうすれば実力だけで政治家になれるか、その負から始めて、成功の方程式を考えた天才・田中角栄。彼の金権政治の論理は、田中角栄の視点から見ると共感でき、東京の人だけが得をして、新潟の人間は損をし続ける常識を根底から覆した。
そんな下流にいる農民達の悲しみを代弁した浪花節。なので、当時は多くの方が田中を支持したはず。それを裏付ける論理として、戦後や階級社会を裏返そうとするブルジョアの出ではない田中への期待。そんな社会的背景が存在。が、その田中派も、結局資産家の方たちが受け継ぐことで、金権政治も、本来の「金も学歴もない人が上へ上がるための手段」という同情の余地さえも消滅。
その崩落が、今回の事件(旧田中派ー橋本派に起きた大危機)だったのではないかと=田中角栄の論理破たん日。逆を言うと、田中の論理は時代の論理なので、あの時代だから通用した
論理。今、田中角栄が生きてたら別の論理を考えていると思いますが。
そんな政治不信の渦巻くなかで、今、長野県はまだ心ある政治を行なっている県のような気がしています。
24歳で課長級役員に就任された佐藤崇弘さんは宮城県で(農作業を含む)福祉の小規模作業所を自分のバイト資金から始めたことが、長野県知事に認められ、今回抜擢されたそうですが。(長野県が学歴、年齢不問で公募した期限付き幹部職員採用試験に合格)
人事を選ぶ基準にしても、マニュアル的でなくて、とても的を得ているのではないかと?(人の心に響く人事をするトップのいる県には今後、良き人材が集ってくるのでは?)
昔、孟子が、斉の宣王に対し「王よ、戦いで国を侵略するよりも、政治の根本に立ち返り、王道を行うべきです。仁政を施かれたなら、役人はこの斉国に使えたいと望み、農夫は斉で田畑を耕したいと望むでしょう。商人は斉の市場で売買したいと望んで移ってくるでしょう。これで敵国の人々は斉へと移ってくるのです」
「どうか先生、なんとか一つやってみたい」
「まず井田の法により一世帯ごとに百畝の田地と五畝の宅地を与えてやり、そのまわりに桑を植えさせると、50過ぎの老人も絹が着られます。また鶏・仔豚・犬・牝豚などを飼わせると、70過ぎの老人も肉食ができます。農繁期に力役や軍事などに駆り出さなければ、8人ぐらいの家族なら、まずひもじい目にはあいますまい。つぎに学校での境域を重視して、親への孝、目上への悌を教えれば、老人が路上で重い荷を背負うことはなくなります。このような政治を行って、天下の王者とならなかった人はいません」
採取(増税)だけを考える政治家も、本当の基準値を知って、上流と中流と下流それぞれを一緒くたにした消費税UPではなく、それぞれの階級に分けた増税案を考えてくれることを願いたい!
これを見ただけで頭脳明晰とわかる哲学者、孟子のような政治家が出てくることを!
9月18日(土)赤口
小説は、場面変化を抑制する性質を宿命的に背負ってしまうジャンルかもと、今夜「劇団魅感性」20周年記念公演『ホントに?』を鑑賞に行き。思い到る。
一場面を丹念に書くことに徹し、次場面に行く際には、それなりの説明(タメ)を費やしてからでなければ飛べない。でも(舞台)脚本は、兎跳びの如く、展開もめまぐるしく変わることが容易に行なえ、視覚的にも、とってもドキドキワクワクさせてくれる。(気持ちよさがある)
モチ、全小説がそうであるわけではなく、特に館ものとか、限定された現場を舞台とした作品の場合は、どうしてもワン・シーンが長い。
綾辻さんの「暗黒館の殺人」を読み始め、どこか頁をめくる手に拍車が掛からない……それは同じトーン、同じ調子で延々と書いているせいか、転調が無い様子……その昔「十角館の殺人」を読み始めた時、冒頭から惹かれた。何か字面から発するオーラ、魔があり、こうグイグイと。
が、新刊の「暗黒館の殺人」どこか、もっさいとまでは言わぬも、字面から発するオーラそのものもさほどなく、文体がどこか単調(これから面白くなると信じてますが)。あっさりしていて、読みやすくなった感じがするも、どこか薄い?
さらに同じ調子で、ひたすら延々と書いているため、そろそろその同じ調子の語り口、筆遣いに飽き始めてきたかも?(いや、期待しすぎたのが悪い?)
そんな風にさほど面白さを見出せぬまま、その後、演劇を観て、私はスカッとした。ああ、面白かった!
何だろう。この面白さ。「劇団魅感性」の芝居は、劇団名を観るだけで行こうと思ってる私。
特に(卒生の)ソコマデユウカさんの脚本。演出等を始めて観た際、まっこと才能のある人だと直感し、鳥肌が立って以来、足が向く。
さらにソコマデユウカさんは、すでに去った人物(現在劇団プリクル主催)なるも、その後も「魅感性」の公演に関わり、今日も役者にて出演。
さらに、前年、突然現れた新人・スミス浮人の脚本も大当たりで、「魅感性」には常に才能が集まる(学生劇団と)私は認識することに。(私は一観客として観劇してるだけですが)
ただ残念なのは、今回の脚本は、劇作家・西田シャトナーさんの作品であり、お二人のどちらかが書かれた脚本ではなかったこと。
が、今回ソコマデユウカさんは出演&美術。スミス浮人は、演出で参加したせいか、総合的に舞台や演出がすこぶるよかった。華あり、笑いあり。小技もグー!エンタメとして、とっても面白い作品に仕上がっているのではないかと!
西田作品+に魅感性の演出、演技に、これだけ満足感を得られるとは、正直思ってなかっただけに、意外な当たり!(西田シャトナーさんの脚本は面白いですね!)
ちなみに、このお芝居、明日もあります。オススメですよ!=明日19日(日)13:30〜と、17:00〜の二回公演・場所「サンフラワーイベントホール」《倉敷市松島1177サンフラワーイベントホール》当日/1200円
こう書いて、ちょっと正確さを欠いた点があったと振り返る。「暗黒館の殺人」の良い点をすっ飛ばしていた。
活字だけで比べるなら、まず綾辻行人は希有の才者であるのは確かで、伏線、トリック、論理、内容等トータルして世紀末推理界に突如として現れた超新星であるのは確か。
でも気がつくと時間は過ぎていて、綾辻さんもそれだけ年齢を重ねられたのも事実。
それだけに、過去作のイメジが強烈すぎたせいか、いつまでもその陰を引きずって、新刊も観てしまう私も悪いかも。
だけど、「暗黒館」にも、どこか発している雰囲気は十分にあります!
今日観たお芝居の作者「西田シャトナー」氏の脚本は、展開やプロットは面白いけど、構成や、総合的な深さ等、やはりライトなのは事実。でもエンタメ(小説ではラノベのような面白さがあり、吸引力が高かったので)非常に満足したというわけです!モチ、演劇として観たからこそ、効果も10倍に!
綾辻さんのことを書いていると、同じく「監獄島」を上下巻を刊行された加賀美雅之さんの作風と、綾辻さんの作風。その違いに今、気付いたので、それにも触れることに。
加賀美さんも、猛烈に1シーンが長くて、文体も同じ調子、語り口なので、読んでると次第に、文体、語り口に飽きてきました、正直……その点、綾辻さんは非常にタメが上手い。ここがホラーのテクニックを会得されている証拠で、ジリジリとタメて、タメて、ここぞというところでワッと驚かす、上手い手を習得されているご様子。
なので、謎をガンガン出す猪突猛進タイプではなく、(計算して)ジワリ、ジワリと攻めていく書き手?
反面、加賀美さんは、マシンガンの如く、ダダダダと不可能犯罪を提示していくタイプ?つまり、タメがない?
そうなると、刺激を与えられ続けるこちらとしては、次第に神経の方もその刺激に慣れていき(麻痺?)何度目かの密室に到ると「また来たか?」と少々テンションがダウンしてしまったのも事実。(ここには、同じ刺激を与えられると、刺激に慣れる法則が、当てはまるのではないかと?)
結果、ちょっとこの方法は効果的とは言えないかも?
しかし、あれほど長いのは、過多な自分史の説明、歴史的解説等に頁を費やす+トリックの解説(探偵の演説)シーンに、仰天の300頁近くも費やしてしまったからなのでは?
この長さには驚かされました!確かにミステリにおいて探偵の説明は長いのが定番けど、こ、これは長ぎすぎるのでは?(その説明を自分の推理と照らし合わせて読んだ私は、その300頁読むのに一体、何日かかったことか……)
そう考えると、綾辻さんのジワリ攻めの戦法というのは、ミステリにおいて(驚きを与える効果がある=)総じて「効果的」かもしれません?(それと、読みやすいにはやはり、加賀美さんよりも、綾辻さんの文体だと思います)
実際、一つのトリックを見せるために、その効果を意識。手間と時間をかける綾辻さんの創作法は、それなりの効果を表現できたのでは?
でも、どちらも、1シーンが長すぎ!結果、どうでもよいシーンがダラダラと続いている印象……結果、頁が増えて=厚みが増したような気も?
最後にお二人の(推理テクニックにおける)戦法に、名前をつけさせていただきました。
加賀美さん=(トリックの)「連打派」
綾辻さん=(ジワリジワリの後)「一撃必殺派」
しかし「暗黒館の殺人」めくる手に拍車がかからないので、読了もチョイ先となりそうです。
次回の「ライター会議」の案内をイベントBBSにUPしています!
・「あなたを感じる」 物部深雪読了。書評荘UP!
9月17日(金)大安・火星が合・4大小惑星の小惑星ベスタが水がめ座で衝
人の周期。自分の周期ってあると思います。今、自分がこんな円を描いて、その円周上のココを歩いているとする。でも他人は別の輪のXの位置にいると、議論しても平行線かも。価値も共有できないかも?
裏を返すと、落ち込んでいる人は、きっと、絶対に間違っているわけではなくて、どこか一匙足りないだけで、そのズレを数ミリ程度動かすだけで、割と簡単に、修正も可能かと?
反対に、偉そうにしている人も、その偉さのメカニズムというのは実は、その人の人生において、数ミリ単位のタイミングを上手くつかんできた、その蓄積において保障されているだけのものだと思うので、今後、タイミングを外しまくると、転落する落とし穴が潜んでいるのが、この世界の本質?
調味料の匙加減に似て、数ミリのズレ修正で、美味しくも不味くもなるのが、物質の持つ特徴なのでは?
作品とかもしかりで、数ミリの差で、人の評価は二分するように思ってきた今日この頃。
だからこそ、自分の軌道を大切にしたいと思うし、自分のペースで、自分の軌道を上手く進んでいこうと思う。そう、速遅という二者択一でなくても、自分のペースでいいんじゃない?
モ少し、具体的な話を。
文脈とか、この小説についてとか、映画についてとか、漫画、音楽についてとかを語る時、興味のない人(つまり別軌道上にいる人)にとっては「馬の耳に哲学?」に近いものがあり、チューニングは一致しない。
でも同じ軌道にいるとしても、問題は山積み。人には感情や名(シンボル)があるから、誰かに共鳴したとしても、うわべではそれを示せないことも多々あると思います。看板や感情が邪魔をして。
例えば森博嗣さんの「幻惑の死と密室」の中に、「(彼は)自分の名前のために、犯罪を犯さざる(+隠蔽)をえなかった」「人は自分の名前のために生きる」というテーマが登場します。
名前という枷があるために、人は不自由を身にまとうという根深い問題。
ただ、ネット世界ではある程度。それが撤去できるとは思いますが。実際、人と人が繋がる可能性が拡げられるツールがネットだと思いますし。
テーマを戻し、そこで同じ軌道上にいても、個々の知識や価値、向いている方角が違えば、互いの使う言葉にも差異が。
特に玄人は隠語を多様し、素人との間に言語の壁を作ってしまう。
すると、この文法で作るべき、この二作品はこう違うと言っても届かない。玄人は記号、コードを把握してるから共通語として発言しても、それはマニア語としか認知されてなかったり。
では、それも一種の学問か?学習なくして、理解できない未知の世界?
ならば、もっと互いが理解しあえる方法ができないか?できるかも?
とりあえず、その方法がわからないので、私にできることは、自分では理解できないことを語る人と会う時には、聞く耳を育て、自分の方が難しい話をする場合には、わかりやすい言葉を使う舌を育てねばと。一つ、課題が。
9月16日(木)仏滅
逆のものを確認するために、メフィストの森へと足を踏み入れる。振り子の両方を把握して、全貌を見てみたい。
空を見上げよう、唇の赴くまま。そして、次第に木々は揺れ始める。その音を琴にしながら、歌を口ずさむ。
体の震えに正直に、模索によって、立つ位置を覚えてみよう。
自分は自分。だから、自らが風を吹かすしかない。横笛を吹きながら、幻のメロディを。
俯瞰しよう。問題をクリアにするために。そして、本質を探すために、両極を覗きに出かける。シュミレーションゲーム上でのシュミレーションではなく、自分の描いた地図の上にてシュミレーションをしながら。
今夜、映画「ボウリング・フォー・コロンバイン」の後半をTVで見て、ふと「もしやM・ムーア監督は新しい見せ方においてスターになってるのかも?」と喚起。
CG+カンフー+チェーンアクションと来て、さぁ次は何を盛り込もうと模索しつつも、その何かを見い出せず……今、ハリウッドの見せ方は頭打ちしていると思いますし。そこにあって、CG+アクションに飽きてきた大衆の心理に、鋭く入り込んできたのがムーア監督では?
ただドキュメントって、決して新しくはないけれど(それに不人気=実際「岡山映画祭」も赤字だったし……狙いはM・ムーア監督とさほど差はないんですが)、松本清張が新しさを提示した時とどこか似て、今世間の関心が、社会、社会的テーマへと移行(集中)している時代なだけに、新たな社会派として、新しい見せ方を、提供しているのがムーア監督かもしれない?
物語に対極する位置に布陣し、ドキュメントにて、世論を表現。映画本来のスタイル回帰かもしれませんが。
でも見せ方という認識も必要で、皆が真似を始めるとすたれるのも早いと思いますし。
でもこの映画によってスーパーから銃を撤去させた力は思想レベルで凄いと感動!
コナン推理=昨日の推理に裏がある可能性はないとは言えない。ジャージのチャックが締まってる=完ぺき主義の執事の犯行と思わせるのが犯人の意図(毛利達が気付くのを見越して)ならば、犯人(運転手と予想)の狙いは、チャックまで締めることで完ぺき主義の執事の犯行と見せつつ、靴下を履かせるのを忘れてしまい、そこをコナンにラスト突っ込まれるかもしれない?
「奇跡のマジシャン・セロ」をビデオ・チェック。が、前半しか録画できず……でもベスト・セレクションなので以前行なったネタの総集編と言う感じでした。でもちょっとセロのトリックを推理してみよう。
まず最初の(唯一の新ネタ)お札浮遊のマジック=トリックはおそらく、隠し糸が縦と横になかった=糸が無いと見せておき、実はお腹からカメラの方向へ糸が掛けられていたのでは?実際、セロはお札の上下と左右にはないことを示すも、決して札の前後では手を振ってませんし。
(ここからは旧ネタ)
・スーツケースに消えたセロ=上は上半身の男で、真ん中にケースを置き、足はもう一人の男。(か、セロはそのまま男のズボンに入り逆さで男と同時に歩いた?)
・影で、動く割り箸=単にテグス使用。割るのも、二つのテグスを使用?
・塩とコショウを混ぜながらコショウだけを抜く手品=最後に手を開くと、塩の量が増えてることから、塩コショウを混ぜた手の人の上に、他の人の手を置く際、塩を増量していたのでは?そして、元の塩コショウの小山の上に(増量した塩を)置いて隠した?
・カード側面の「そろいます」という四文字が四段になってるのが、二段になり、一段になる=元々その字を切って、分割しただけのような気が?でも切り方の腕が凄い。「ハートの8」は、もう片方の側面を見せた。
・ペットボトルに入れた水が増える原理=カンで推理してみると、ペットボトルの裏の腹に小さな穴を開けておき、そこに極細ストロー(+極細ホース)を貫通。その先を人差し指と中指の間から服の袖、足元まで通す。足でペダルを踏んで(体内のどこか)途中に設置したミニポンプの水を押し出した?そのため、水がボトルの腹部から滴ったり、同じく(裏側の)腹部当たりから、ワッと湧き出た(映像として映った?)(自信なし)
・水を入れただけで3分で沸騰したラーメン=事前にラーメン容器の底に、水を入れただけで沸騰する発熱剤(アルミニウムの水酸化反応を利用した発熱剤)を入れておいた。(第一、買うシーンを映してないし=ラーメン・メーカーや、店にも協力してもらってるはず。対象者も、ギャラリーも劇団の人に依頼?=つまり、皆グル)封を開けるシーンは映してましたが、カメラは斜めから撮影しているので、一度、封を破って新たに封をしてるかどうかまでは不明。なので、やはり一度封を開けた容器を使用。開けた際、底に発熱残を仕込んで置いて、再度封をして店に置き、それを取ってきたのが内実のはず。(このラーメン・マジックでテープ切れ)
ようやく加賀美雅之著「監獄島」(上・下)読了。大変でした……本年度一番読むのに苦労した原稿用紙2400枚の巨編……峠を上り下りしたぐらい疲れたかも……でも、オススメの一冊です!
・「監獄島」(上・下) 加賀美雅之読了。書評荘UP!
9月15日(水)先負・月が赤道上を通過・木星が月の南2°・てんびん座δが極小・こぎつね座Rが極大
山陽新聞に「岡山出身で千勝を達した有吉九段は、15歳で大山名人に弟子入り後プロになってから大きな壁にぶち当たり、苦労した」という記事に目が留まる。
幼少時は軽く大人達を負かしていったものの、奨励会の厳しさは半端ではなく「プロは一手の差にしのぎを削る」「アマは楽しみながら強くなるが、プロは泣き泣き強くなる」と痛感したそうですが、この一手の差。推理にせよ同じで、トリックや論理を甘く考えられないのも事実。
この一手の差において上手な人が名人となっていくのかもしれません(大変だけど……)。
画家の世界なら、一筆の差しかり、コナンの推理しかり……。
今日発売「少年サンデー名探偵コナン」=一昨年と去年の2/4と7/4と今年の4/4と10/4に国友家に起きる事件。この法則の内、何故か今年のみ4/4と10/4。コナンの指摘=全部、仏滅だと。
そこで(手持ちの)暦を見ると2002年と2003年は4日の日に仏滅が来ているのは(事件と同じ)2/4と7/4だけで、2004年の仏滅の4日は4/4と10/4しかないことを発見。どうも事件は、今年(2004年)に符号させてるようです!
次に、家の(家族以外の)人物全員にある特徴。これは、消去法の手がかりにせよという作者からのメッセージと判断(推論)。先端恐怖症のメイド(母)。(2階のベランダ以上には上がれない)高所恐怖症のメイド(娘)。完璧主義の執事。潔癖症の運転手。
ふと、もしや今回10/4に起きた事件(首吊り)の犯人の消去法が考えられるのではないかと?
まず、3階のベランダに行けないメイド(娘)を消去せよか?ベランダは洋館の先端と見れるから、先端恐怖症のメイド(母)も消去か?遺体は、ジャージは上までチャックを閉めて一見、几帳面な人が犯人っぽいけど、何故か右足に靴を履かせただけで、靴下は履いてない。裸足であることから、完璧主義の執事は外せという信号?(絵の数センチのズレにもうるさい執事なら靴下も履かせるのではないかと)
よって、妙に何でも拭いている(自分の指紋を残したくないのか)運転手が怪しいのではないかと。何かこの家に恨みがある?(悪夢を見た日が4日と聞き、そこで4と仏滅日を選ぶという復讐を考えた?)
では、5人目の魂とは何だろう?=今回は6回目の4日の仏滅なのに。いや、待てよ。最初の4日は、悪夢を観た日なので犯人の行なった手とは無関係。となると、犯人が実際に手を下した脅迫の数は、今回で5回目とも考えられる。では次の被害者の際には6人目の魂というカードが添えられる?いや犯人は固定人物なんだから、これは違うはず。単に、犯人を示す何かでは?
今回の事件の方=被害者の靴の下に靴下がなく、直接裸足であることから、くつろいでる場(自室)で絞殺された?
あるいは、酔ったところで(あるいは睡眠薬かで眠らせて)体ごとかついで、ベランダへと横たわらせておき、ドアの下の方に開いてあった穴の隙間からロープを通し、そのロープを伸縮させて、首に巻きつく方のロープを緩ませて、ベランダから落下させたのか?(ロープの回収法=先を輪にしておき、先を引いて回収?)=その場合、アリバイ工作が裏にありそう。
いや、単にロープの輪の先に靴を載せておき、その時刻、ロープ操作で(ベランダの最先端部分に置いた)靴を落下させて、毛利たちに気付かせたと見る方が自然か?(それならその時刻に発見させたかった理由があるはず)
だけど、何故、靴の下は裸足だったのか(左足は靴を履いたままなので下は不明)、その理由と怨恨関係が次回の焦点なのでは?
B・ジャンプ「民俗学者八雲」=D(ダイイング)メッセージが表す犯人の謎解きは、パーフェクトで正解。が、もう一つメッセージが出てきた。(犯人にD暗号を発見された際、二つ目の案を)
それを、被害者の倒れていた部屋の「ゴミ箱」をひっくり返した際、粉か紙のような物がこぼれる。それを見た八雲が、何かひらめく様子で、次週へ続く。
この粉は、何かわからない。でもその割れた形状を集めると、多分、犬のオードリーの専用餌のような気が?八雲の与えてるドッグフードと形状が違い、瓶に入ってるゼリービーンズ状の餌。
伏線に「犬に餌をやっても食べない」という台詞から、餌はあの被害者の机に載る「オードリー」と表記された専用餌でないと食べないということを示す信号では?では、あの餌を入れた瓶にメッセージがあるのではないだろうか?(餌を見ろというメッセージ?)それか、犬の首輪のどちらかに!
B・C・スペリオール「こまねずみ常次郎」=酔った金貸しに領収書を切らせて、実は……という嫌味な詐欺事件も何とか(それを仕組んだ)叔母の夫を巻き込むことで解決。
でも、事実に論理の味付けをすることで話を膨らませて、横道を作り話自体を右折させ、展開させる技は脚本の妙!
モーニング「ジパング」=今、シナリオ登竜門の世界から、青木雄二のような作品を求むと言われている、その(故)青木雄二さんの遺(のこ)した二大漫画である「こまねずみ常次郎」と並んで読み応えのある「カバチタレ」が今回はお休みだったので、他の漫画(ジパング)に触れることに。
今回、インド本土決戦を迎える展開に。だけど私なら、第二次大戦の戦闘区域を広げていく展開にはしないと思う。むしろ狭めて平和的解決にもっていく道を模索したい。第一、せっかく(タイムスリップした)IT戦艦であるイージス艦があるだけに、その戦艦を平和目的にフル活用する手を考えたいと。
だけど、戦争シュミレーションというジャンルに需要があるのは、やっぱりそれを支えるファンがいる証拠。だからこの漫画も成り立っていると思います。
今後は、これらSF戦記に、新しいテイストを盛り込む新人が出てきて欲しいと思っています。
9月14日(火)友引・新月・火星が月の南2°
ふと昔書いた自分の創作を改めて手直ししてみようとデータを前に気付いたことが2、3……妙に描写力がある。
今の自分は何なんだ?だけど欠点も多い。それも致命的(辻褄の不和、構成の破たん、ストーリーが破たん等)なものが。
だから、その致命的欠陥を克服しようと(その後)構成を勉強してきたもの、構成(骨)が高まった反面、描写力がドッカーンと落ちている。台詞にせよ、今なら捻っても出てこないようなピュアな言葉があって、才能が逆に萎んでいるのかもしれないと自己分析……整理、まとまり、理論面は上がってますが。
形を整えると、どこかが凹むことがあることを痛感。
しかも、妙に「わかってるじゃん」と思わせる点も多い。実はその理論を以前は言葉で説明できなかった=把握してると言うより、自然にやってた。
でも今は、妙に計算してることが裏目に出ることもあるかもしれない。
自分史を読み解くと、何か発見がありますね。また時々やってみよう。
いや待てよ。よく私のところに(東京から戻ってくる度に)絵を見せに来る絵の上手い某氏の描いた一枚の絵のことを思い出す。
彼の部屋に飾る新作の写真を見せてもらった際、そこに映る最新作よりも、端っこに映る、昔の絵に強烈に惹きつけられた!そこで聞いて見ると「高校の時、凄く褒められて、出展すると、今までで一番大きな賞に輝いた作品」と(だから未だに飾ってる?)。
その絵、写真では黒っぽい絵にしか見えないものの、物凄いオーラを発していて、霊のようなムードを感じた私。そう、彼の絵の中で、一番気になった絵と呼べるかも。
もしやそれを描いた時点で彼は完成していたのかも?
今は技術はあっても、オーラは発していないので。だけど、あの絵には、何か魔というか、霊力みたいな力が存在。それでいて上手い。この理由なきムード(あるいは魔)と技術が合致した時、作品は高評価される?そんな法則ってあるかもしれない?
魔と、技術の合致した作品でデビューした綾辻さんの最新作「暗黒館の殺人」(上)を購入した夜に。
話変わり、月を舞台とした作品を書き上げた日。最後の1行を書いた瞬間(朝)、地震が来た。心底、驚いた。月は不思議な星で、それを書く前、月の因縁をたんまり受けたので、タイミングよしと思ってたけど、地震と符号するとは……。
その月で、先日起きたニュースと、今日執行された宅間氏の死刑が符号してると喚起。
理由は、神戸事件のA氏が謝罪文を書いた記事が新聞に掲載された日、ペルセウス座流星群が極大し、その形から首切り人を喚起。神話を調べてみると、確かに勇者ペルセウスは、セリポス島の洞窟に住む魔女メドゥーサの首を切った男だった(ちなみにその血から天馬ペガススが誕生)
ゆえに、ペルセウス座の形は、メドゥーサの首を持つペルセウスとされている。
そのペルセウス座流星群の破片が、月へと激突するニュース。
これが、今日の宅間氏の死刑と符号してると喚起。
何故ならば、今回の死刑は首切りではないもの、首吊りなので、ある程度似ている=首吊りによりメデューサ(宅間氏)は裁かれた。そんな見立てさえも感じてしまう。
当然な論理的帰結と主張する人もいるなか、実は彼からは人生において、最悪のタイミングばかりに遭遇した人間の縮図(構図)のようなものを感じてしまう(逆に、最高のタイミングに恵まれて生きてきた人もいるはず!)私としては、生かすか殺すか。その二者択一では割り切れないと思うのも事実。
彼の行なった結果はともかく。
ただ、いい人もいたかもしれない。でも聞く耳なく、岐路の選択を誤った(それも数多く)のかもしれませんが、親のコメントを聞くと、余りに酷な親だと思うのも事実。
人の運命は決定されているという見方もある。
大手A社に入ってエリート街道を通る人、エリート医になる人は、生まれる前からその会社に自分の席が用意されていて、他を受けてもそこには席はないかもしれない(受かっても、悪いことばかりが起きて次第に追い出される雰囲気になっていくとか)。
試験に受かる人しかり、絵のコンクールに受かる人しかり、タレント・オーディションに受かる人しかり、それらは、初めから決まってるかもしれない。
ただ、その論理には救いもある。それは、自分の座る席が無いのではなく、他の場所に、必ずあるということを示しているから。唯一の席が。
一人一席の論理とでも言えばいいか。
もし無いと言われるなら、少し幅を広げて、「年度保障」というシステムがあるかもしれない?
22〜40歳までは、そこに席があったが、41歳からは別社に席とか。
22〜30歳までは望む席は得られずも、31歳から唯一の席が別社にて用意されているとか。
(素粒子レベルで)コンピュータ操作する天の配列操作官。そんな役人が存在しているかもしれない?
だから人は、あきらめる必要もないかも?見極める必要はあるもの。
では、大犯罪者はどうだろう?昔、曹操は「平和な時代に生まれてたら大犯罪者になり、乱世なら英雄になる」と予言された。つまり現代に曹操がいれば、曹操のファンなど一人もいないはず。確実に大犯罪者、大独裁者となっていき、大衆から、ファシスト、憎悪の対象者とされ恐怖されるはず。その前に逮捕、死刑の道は確実だったでしょうが。
しかし、乱世の「三国志」時代だったからこそ、王になれた?(そして今でも根強いファンが多い)
では、犯罪者の素質がある人は、外人部隊に入るとか、兵士になる道や、何か自分の突発的に暴走する心理を上手く利用できる職業に就くとか、何か生きる道があるかもしれない。
もし、上手いタイミングに恵まれ、よき仲間や恋人に助けられれば、三つ子の魂百までという論理も裏返せるかもしれないし、何か色々と模索していき、自分の道を見つける術は、きっとあると思う。
だから、生まれたことを否定するだけで、周囲を呪うだけでは、問題は雪だるま式に悪い方へ行く。でも生きることは苦しく、人間の生活は、残酷さの上、犠牲の上に成り立っているのも事実。あとは、それらとどう折り合いをつけられるかが焦点。
少し前、今(とんでもなく)グレて困ってる娘を持つ親と話していて、この子が生まれる前(妊娠中)、ある霊能者から「お腹にいる子は将来、ワルになる」と言われたことを最近思い出し(家族円満でやってたのに)、本当にそうなったと悲愴していましたが、やはり人は、ある程度道が決まっているのかもしれない。
でも、ワルになっても、よいタイミング、よい人の出会いにより、いい方向へ行けることもあるとは思う。
90%のワル度が、60%まで落ちるだけでもラッキーなはず。90キロの体重を60キロに落とすのは難しいけど、頑張ればできるのに似て、よほどの覚悟と努力がいるとは思いますが。
どうも、その親子さんから「薫葉さんと会って、アドバイスをもらって、その方法を実行していったら、子供との付き合い方が少し変わってきて、子供も聞く耳を少し持ってくれるようになった。今は子供もアドバイスを聞きたいと言ってくれることがある」と言ってくださり、私のような無力かつ無知な人間でも、人の役に立てたのは逆にありがたい。
ネット世界では不人気者ですが、実生活では私の言葉を待ってくれる人がいることを知り、本当にありがたいと思っています!
私も未だ、自分の席がない放浪者ながら、いつか定席も見つかると思い、生まれてよかったと思えるために生きていこう。自分自身、最悪のタイミングばかりに遭遇してきた人間ゆえ、回避作ばかりを考えてる悲観主義者。
そう言えば昔、動物虐待や、周囲に狂気を放って迷惑をかけまくっていたとんでもないワルな少女がいて、その子に家庭教師についた人が最初は親から話相手になってほしい。それだけでいいという仕事だったのが、優しい性格で、話を聞くのが上手く、次第に少女も心を開き勉強が好きになり、みるみる成績が上がり、特待生で早稲田に入学したエピソードを思い出す(人はその気にさせてくれる人、興味を引き出してくれる人。芽を潰さない人との出会い次第で運命も変わる?)。
もし彼女がその家庭教師と会ってなければ、その後、暗い人生を歩んでいたかもしれない。いや彼女は14、15歳頃までは運が悪く、その後誰かと出会う運命で、結果、18歳から最高の運気となる。そんな運命だったのかもしれませんが?(この逆の人は不運とも言える。15歳まで優秀で、その後おかしい道へ逸れて暗い道に進んだ人は、絶対に今、後悔してるはず)
でも、助け人と出会えるかどうか、それも運命の分かれ道かもしれない。
・「喜劇ひく悲奇劇」 鯨統一郎読了。書評荘UP!
9月13日(月)大安・水星が月の南3
月刊「ドラマ」を手に取ると「第16回フジテレビヤングシナリオ大賞」が掲載されてたので、一気に立ち読み。
まず大賞の「初仕事納め」(金子茂樹・作)=目の付け所がグー!200体のペンギンの形をしたペンタゴンという珈琲を作って客の所まで運ぶロボット(パソコンで操作)を製造し、海外へ輸出中、インド洋沖で船が沈没。そのため、主役の入社日が、(負債を抱えた)会社倒産日(初出勤にして、仕事納め)となってしまう。が、意外な結末に!
アイデアの勝利では?それも行き過ぎてない、あくまで実現可能なところ。それと、さほど製作費がかからず、TVドラマ化できそうだし(やはり製作サイドに立って考えると、製作費がかかりすぎるシナリオはなるべく受賞を見送りたい。そんな心理が働くはず)、見栄えがある点が選者の目を惹いた?
リアルと空想の境界も、いい感じで。台詞やリズムもいいし。
でも作者の金子さんは「10日前まで書いてた作品には、何か足りずと思い、一からシナリオとは何かと考え。自分が面白いものを」と思って新しい作品を執筆、投稿したそうですが。ここは共感。
私も、最近作品化する際。自分が読者なら「これは、ちょっと面白いと思えないな」と思えば、作品化しないことにしている分、確かに「初仕事納め」は面白かった。それもサラッとしてて。無駄がない。
でも、緻密な設定を思案。論理にて、不可能犯罪を割り算していく本格ミステリの草案を考えるよりは楽です。ホント。シナリオは構成と作品の距離が近いだけ。小説は描写で膨らます必要性がいるので、やたら頁が増える。(例えば、つい先ほどから読み始めた鯨統一郎さんの「喜劇ひく悲奇劇」には、この大賞受賞作の10倍のテクニックが駆使されています。ホント)
佳作の「HEAR」(大島里美・作)は音楽をテーマとした母子ドラマ。ラストの心理描写がよかったけどやや平凡。
同じく佳作の「ドメスティックスイーパー風間」(石川学・作)は、掃除と、人の精神の掃除をお寺という舞台で表現した、狙い勝ち?でも、やや展開とか、総合的にみても、ありがちなドラマで平凡。
やはり、朝ドラの模倣のようなテイストだけでは駄目だと思うんですよ、もっとプラスαを入れないと。
が、同じく佳作の「いつか河馬になる日まで」(植村裕子・作)
作者の年齢が高いせいか、どこか作品に奥行き、人生の深みが出てると思った。技術も。
作者自身、知人から「まだ脚本を書いてたのか?」と呆れられたそうで、「あきらめなくてよかった」とコメントされていましたが、確かにこの人は(受賞暦はなくとも)書いてきた年季が、作品から透けて見えてきました!
反面、大賞受賞者は若手なせいか、作品、キャラともどもに奥行きがさほど、見られない印象。華はありますが!
しかし「いつか河馬になる日まで」(大賞に推した方もいたそうですが)が受賞に到らなかった理由はおそらく、アイデアに新味がないところと、まとめ方が、ややシャープではない?幾つか出てくる素材の展開のさせ方(物語の転がし方が=ちなみに、物語の転がし方が抜群に上手いのが「名探偵コナン」)が弱かったり、物語の意外性が一匙、足りなかった?
と言うのも、大賞の「初仕事納め」は、無駄なことは書いてませんし、どうでもいいシーンは全部カット。脚本のノウハウをきちんと押さえている様子ですし、審査員や読者(視聴者)が、こんな物語を求めているんじゃないだろうかと、先読みして書いてるのが見て取れる。
ただ、まとまっている反面、哀愁というか、深みはさほど無い。
でも「いつか河馬になる日まで」は、新型ロボットや、輸送船沈没という、そんな斬新なアイデアは無いもの、「おろし屋」という預金引きおろし詐欺の裏に秘められたドラマ。そこに目をつけた点は、佳作に到ったポイントかもしれません。
それに、よかったのが、女高生と、詐欺師のやり取りがよく書かれているところ!特にラストで、詐欺師が語る台詞。これ、とっても上手いです!(大賞や、他の佳作には見られない玄人な印象!あくどい台詞だけど)。
やっぱり、ローマは1日にしてならずと言うことでしょう、年輪を感じました!
やはり、選ばれるポイントというのは、アイデアと、どれだけ人間を描けるか。なのかもしれませんね?
選者のコメントに「(漫画家・故)青木雄二さんのような人が出てきたら、即受賞でしょう。新しい書き手の登場を待っています!」(一緒に仕事がしたいと思わせる点。青木雄二さんの金融漫画みたいに、専門的で新しいものを!)「小説なら、本格もの(本格経済小説他)が結構、出てきている反面、シナリオ公募への応募作には、本格性、専門性を持った作品が少ない。やはり専門的な作品を読みたい。そんな作品を歓迎」と。
(この「第二の青木雄二、出てこい」コールには、共感。その昔、青木雄二さんが始めて持ち込みに行った際、服装や容貌のイメジだけで、出版社の方から、相当見下されたそうですが、そんなイメジでは計れないほど大物であり、作品そのものも本物だったと言うことでしょう。だから今では、大きな賞サイドから、青木テイストを!と求められるのでは?誰かのマネではない、独自の世界の描かれた作品を!)
これら(本格ものを求めるというコメント等)を見ても、シナリオは、小説を追いかけている傾向があるようですね。
ただ「本格金融小説」なり、「本格ミステリ」なり、実は最近、専門知識を活かした作品の登場が多い傾向があり、そろそろ読者もそれにあき始めている頃(売れ行きも不調)。
そんなふうに読んでいる私としては、専門知識を盛り込んでも、最近はみんな、専門的な作品を応募する傾向にある小説界。
では逆に、そのどんぐりの背比べにて、タッチ差で負けていることに素早く気付いた小説の書き手たちがドンドンと、専門的な作品の投稿の少ないシナリオの分野(主に、専門的な作品を求むとコールした、F・TV・ヤングシナリオ大賞)へ流れていくのではと、喚起。
となると、普通にシナリオを書いている人にとっては厳しい時代が来るかもしれませんが。
今までの傾向が崩れる変格の日が来るかもしれません。
まさか、綾辻行人さんの登場で、これほどまでに頭を使ったミステリを書かねば、推理小説が売れない、そんな時代が到来するとは想像だにもしなかった方々や、森博嗣の登場前までは、ミステリの書き方も定型的だったのが、登場後、数式からコンピューターまで、専門科学を駆使したものにこれほどの需要(読者が望んでいた)があったのか?と驚かれた方は多かったと思うだけ、シナリオ界にも、そんな群を抜く、時代を変えるような超大型新人が出現されると、シナリオ新人賞は、さらに狭き門となるかもしれません……?
何が言いたいかと言うと、今回の大賞の「初仕事納め」には、新しさがありましたが、本格ミステリや、ミステリ系新人賞の作品群は、さらに(その上をいって)斬新かつ緻密。総じて高度であると言いたいわけです。
それぐらい、切磋琢磨している?レベルの高いところで戦っている?ということなのかもしれません?
9月12日(日)仏滅・宇宙の日
「ライター会議」へ。以前、バイオリン弾きのMOMOさんに「音楽してる人は楽器を持ってるから音楽してるってわかるけど、物を書く人は道具を露出していないから、街で見かけてもわからない。こんな会をやってること自体、知らなかった」と言われた私。
確かに背中に文章?いや、筆記用具を背負ってないので判別不可能。という感じの人種か?
あと、小説なりエッセなり、原稿を相手に渡し(できる限りの)無音空間にて読んでいただくという労力を相手に与えてしまう+時間もかかるので、街中や食事の席など、テーブル席で小説を魚にコミュニケーションなどなかなかできません。
そこで、「原稿」「読む」という枷を取っ払い、純粋な物語のみをテーブル上にて表現する方法はないかと思案。
その解答の一つが、今日のテーマである「トランプ小説」と言うわけです。
純粋に、トランプ一つでテーブル上にて物語を語る。読むことを消しているから、純粋にトランプがあればいつでもどこでも提供できる。私の表現したトランプ小説は、密室で起きた事件の犯人の場所当て。
この物語は、トランプでしか自己実現できない話、驚きを与えられない方法が秘められているので、小説化は不可能ですが、なかなか面白いオチを思案したと自己満足。
ゲスト(初参加)で来てくださった甲斐蘭蕃さんは「面白い」と言ってくれたので、血圧もやや落ち着く?
昨日が911だったせいか、(微量ながら)血を流す羽目に陥ったので……世界の記念日や天文現象の波動を体に受けやすい体質なのか……あるいは斜陽エンジンがファーストからセカンドへとチェンジ?。
でも今日は第三小節へと移って、平常心で臨む。
いやぁ、甲斐さんは本当に面白い方だ!大変面白い話をたんまりと、特盛りで聞かせていただき、余は満足。
だけど、身に染みた言葉をかけていただき感謝。「薫葉さんはもう長く書いてるよ。それに端から見ていても、よくやってると思う。期待してるよ」と。
このライター会議も、考えると44回を迎えまして、本人はいつまでもビギナー気分……それに、長くやってるという意識もまったくない現状。
だけど、もう一つ時間を感じさせることがありました。
今日の新聞に、詩の朗読の特集がありまして、「Happy? Hippie!」が40回を迎える老舗とあった。老舗か……考えると、ライター会議はそれ以前からやってるから、やはり老舗なのだろうか?「Happy? Hippie!」立ち上げ前、当時の立ち上げメンバー数名が参加してくれ(「夜想」にも参加していただきました)、当時は当会に興味を持っていただくものも、やはり詩と小説では方向性が違うせいか、お互い、別々の道を歩き出していったという現実。
でも、ライター会議は、老舗などではないです。ホント。実際、一ヶ月に一度程度の、のろまな歩みですし、その速度で老舗など、それはないと思う。だけど私はどうも、地球の自転よりも、月の自転(公転)と同じ歩みで時間が進んでいる(月の民?)のではないだろうかと思うことがある。どうも、それぐらい時間の進みも、進歩するのにも時間がかかる?
早く太陽の民になりたいけど、朧月夜こそが、私にはお似合いなのだろうか……!?
今日の遙伸也さんの作品。面白かったです。特にオチが。腕を上げましたね!
NEOさんから話題作「ダ・ビンチ・コード」を貸していただくことに。今月は上下セット本に縁深い薫葉。
でもNEOさんの言葉にも背中を押される。「この本は、期待ほどではなかったかも?薫葉さんが書いてるトリックも、負けてないと思いますよ。読んだあと、それを思い浮かべて、ちょっと薄いかもと思った」
お世辞でも、嬉し過ぎるお言葉。身に染みます。が、プレッシャーにもなりそうなので、平常心回復装置に手を伸ばし、びよ〜んと伸びそうな鼻を低くする。
でも、甲斐蘭蕃さんは懐の深い方だ。皆、仲間が集って、うまくやっていこうと。
ひょっとしたら、甲斐さんの現在の勤め先である「岡山シティFM」の何らかの番組にわたくし、出演させていただくかもしれません!
ライター会議の宣伝を筆頭に、イベント情報など。やはりマスを利用しなきゃ!
それと、甲斐さんの著書「徳望お伽文書」結構、地元レベルでは評判がよいようで、今日も帰りに、さんかく岡山の職員の方から「面白かったです」との声が。
さらに、地元のマスコミ関係者からも「面白い」と声が届いてると、嬉しい話を聞かせていただく。
ホント、私も面白いと思ったし(もう少し構成を整えたら、さらにグー!)。
石井先生も「これは、面白い」と言っていたので、そこで、石井先生が以前言われていた感想と指摘箇所も(記憶してる範囲で)伝えておくことに。だけど甲斐さんは「確かに。確かに」と、吸収も早い。
甲斐さん、今日はありがとうございました!私も勉強になりました!
(甲斐さんとのやり取り、気が向けば明日も触れるかもしれません?)
・「ヴァイブレータ」 赤坂真理読了。書評荘UP!
9月11日(土)先負・金星が月の南6°・冥王星が東矩
急に立ち止まると、才能も枯渇することってあるかもしれない?
出展すれば高確率で絵画展にひっかかる某氏から相談され、初めは仕事上の付き合いだったものの、最近は私に絵を観てくれと言ってくるので、描いた油絵を撮影した写真を鑑賞させてもらっていますが。
何故に私に絵の意見を聞くのか?第一、私は画家ではないし……ただ、写真の構図とか、絵を観て思うことを徒然と口にしたことがよほどフィットしたそうで、現在、某氏のご意見屋さんとして認識されている薫葉。
でも、確かに彼の描いた昔の絵は上手いし、センスは抜群(全国区で何度も入選するだけ、まさに天性?)。が、最近はブランクを抱えてしまったせいか、どこか絵のポイント。そこにズレが生じている気が。だからこそ、その隙に対して私は意見を言える余地がある?
例えば、港の風景を描いた絵。もっと船をこの位置に持ってきて、人物はここに立たせた方がいいし、その人物にしても全身より、上半身だけの方がいいとか、カメラにせよ、この角度から撮影した方が効果的だったのではとか。
実際、素材となる風景を撮影した瞬間で、絵画の力の何割かは決まってしまうと思いますし。
それらを計算(シェイプアップ)した結果、写真撮影し、その素材を元に絵画起こししていく方が、映えた絵になると思いますし。(でも、テーマにより、まったく飾らないドキュメント的な描き方も時に応じてすべきだとも思います。虚飾にて、生のリアルを目隠しするばかりだと、絵画も<ヘタウマだからこそ出せる味わいを失い、記号化>観光写真化していくので)
でも某氏も、構図の論理なり、絵画に関する勉強が滞っているせいか、私の指摘する論理に関する記憶も、指摘後ようやく復活。なので、その絵画を賞に出すのは、構図の段階で考えた方がいいかも……。
でも不思議なのは、この間、小豆島デッサン・ツアーという(そんな名前で)東京芸大の教授陣を招いた絵画旅行に参加されたそうですが(抽選に当たって参加)、皆でデッサンをした際「参加者で一番構図が上手い」と褒められたと。
やはり才能あるんだなぁと
喚起。
きっと絵を描くのは運命だったのかもしれませんね。たまたま高校で美術部に入って、描いた絵が(市や県のコンクールで)ほぼパーフェクトで、入選したそうなので。(とんとん拍子で羨ましい……)
でも、今日私が観せてもらった絵(最近の作品)は、ちょっとロケ地のセレクト・センスや、構図が弱かったのも事実……?
ああ、室内での静物画のデッサンと、花鳥諷詠渦巻く天下の森林や都市の構図をとらえるカメラ・アイとは別と言うことか?
例えば、漫画でも名探偵コナンのアングル、構図は上手いし(絵自体は、漫画絵ですが)、映画を観ても、映画=上手い構図(一枚の写真)の集大成で成り立っていると思いますし。
そんなところに目がよくいくから私は、構図を観る目が無意識的に向上してるのか?
なら映画を撮れと時々F氏から言われる私。いや、時間もないし、自分の課題の方で精一杯で、他に手を出せる余裕などない現状。第一、今月の課題本だけでも、溺れそうなぐらいあるし……。加賀美作品でさえ、まだ読了できてない……。
しかし、画家も作家も、早熟な人はすでに十代ぐらいの時点で、何か器が完成されているのかもしれませんね?
その論理として、単に才能と言って割り切る前に、分析すると、本人のやる気や、集中力。それらが大きく関与しているような気が?
でも、画家としての素質十分の某氏にも欠点があり、プロデュース能力や、コミュニュケーション能力、宣伝力、活動力がないから、自分は画伯になれなかったと。積極的に画壇に顔を出して、自分を売り込めないのが悩み。
そのアドバイスを私がしている構図も、ちょっと変な気がするけど……
。
孤独ゆえに、自分の殻から飛び出せないばかりに、アドバイスをしてくれる人とめぐり合えない現状。やはり積極交流ですよ!世界を広げるためには!
でも、一枚の絵を仕上げる力には頭が下がります!
人間には得手、不得手がありますが、ちょっと逆から考えてみると、宣伝が上手い人は、それだけで才能があると言うことかも?
これは発見だ。
即ち人は、自分のコンプレックスの数を数えていくよりも、自分の才能を探すことから始める方が、(それが例え、自分レベルだとしても)幸せになれるかも!?
9月10日(金)友引・土星が月の南5°
作品は、文脈を受け継ぐと損。かもと、ふと思う。どこか新しいテイストをどこかに持ち合わせていないと。
非常に高度な本格ミステリでもまず、過去作の作風や筋、構成と相似した文脈を持つと、どうも世間は軽く見る?
その代表例が「名探偵コナン」かもしれない?(古典推理の系列の上に成り立つ作風ゆえ)
反対に、時系列のジャンルやテイストには入れにくい、突如出てきたどこか作風にオリジナルなテイストを持つ作品は、その枷を外して、高評価される。
その内容、製作が、さほど凝っていなくても?その代表が「ブギー・ポップ」や今話題の(漫画)「デス・ノート」かも?
他、ラノベもそうでしょう。本格ミステリ作家が安いトリックを書いた時点で、猛烈に叩かれる反面、ラノベではそれが愛嬌とされる。やはり空間の区分けという論理が、受け手の心理に魔術をかけているのだろうか?
モチ、それらの作品の作りこみが低いというよりは、本格ミステリの製作過程に比べて、メカニズムが単純構造だと言いたいだけですが。
特に「名探偵コナン」のメカニズムは、ポスト・E・クィーンレベルと思っている私は、どうも「コナン」を低く見るのは、(個人的に)俳句会に参加した際、推理小説を低く見る空気のある「妙な(文学こそ最上とみる)ブランド意識」と似ているような?
だけど、この間の綾辻さんのTV出演時しかり、色々なところでコナンかぁ。とか思われている方が多いようですが、やはりこれも綾辻ブランドとか、大枠で小説というブランドを色眼鏡的に見て、ジャンルを上位(推理小説)、下位(推理漫画)で見ているような。
むしろ、トリックが考えられなくなって、筆の止まった綾辻さんとかの方が(もう)負けてますよ。コナンの作者の青山氏に。
継続は力なりで、やはり書き続けた(それも天才的な推理センス)を持つ青山剛昌という推理作家の登場は推理界にあって、革命だったと思うし。未だ時代の先端を走ってる自体、その才能の豊かさには感服しています。
でも、コナンの致命的欠陥もあると思う。それは推理面ではなくて、絵。
どんな推理作家も、コナンほどの数の不可能犯罪は思案できなかった。その推理センスに関するとまさに天才の域。そして、レベルの方も、グングン上げていき、常に推理の勉強もしているせいか、誰にも追い付けない速さで新しいトリックを盛り込んできた。その姿はまるで、一人芭蕉のよう。
が、コナンの絵柄や、キャラの方は、全然変化、向上してない。(漫画)絵を研究する興味がないのか、絵の勉強をしてないのはすぐわかるし、絵(作風等)に関すると、時間が止まったまま、絵柄に新風は起きてない。
つまり、推理面は早足だけど、絵の面は、どんどん新人に追い越されて、単に推理漫画というポジションの中だけでその価値を継続できている。そんな印象が。
実際、今デビューしている新人漫画家の絵柄は斬新で、本当にこの人、絵の研究をやってるなと喚起してしまいますし。そして勉強もフル・スピードでやっていることが、パッと絵を観た瞬間、わかりますし。
映画でも、観た瞬間、映像や脚本の勉強、研究ができてるか否か。それを喚起するだけ、やはり勉強は馬鹿にできないと、コナンを見ても思います。
誰でも得て不得手がありますが、話(ストーリー)とトリックは王者(マンネリさが微塵も無いほどの開拓者)だけど、絵が弱い(マンネリ)のが青山氏の特徴では?
ちょっと話が錯綜してしまいましたが、分析によってこそ、その明確なフォルムがつかめると思ってこそ、コナンを語ってるので、私の評も、さほど焦点がぶれてはないとは思いますが。
と、言うことで、作品は、文脈を受け継ぐと損かも?そう思ったわけです。
私自身、自分のテイストを物にするために研究している、今のところは、おそらくはまだカラーも半端な空論者。
だからこそ、自分の立脚点を、色んな所に立ちながら模索していると言うわけです。
何度も何度も溺れながらも……。
・「書斎曼荼羅〜本と闘う人々1」 磯田和一読了。書評荘UP!
9月9日(木)先勝・水星が西方最大離角・てんびん座RSが極大
「九月のこよひ 内裏にて菊宴ありしに……」(大鏡)
今日は「重陽」といい、陽の極みである9が2つ並ぶ日。中国では、菊の花を不老長寿の薬として信仰する歴史があり、菊を飾り、その香りにて厄祓いし、長寿を祈って菊酒を飲む風習があるそうです。(この間、行った上賀茂神社では、重陽神事と烏相撲が奉納)
が、それは旧暦なので、真の重陽は来月ですね。でも、新暦でも数字が並ぶと言霊も影のように寄り添っていそうなので。
あと、去年の9/9というと「火星食」がありました。
でも99は鋭角的な数字だ。夜、芸能プロA氏に誘われ、「アイ・ロボット」の試写会へ。
この映画。なかなか面白かった!私的に、テクニック面に食指が動く!
冒頭のビルの上階から飛び降りたロボを造った博士の死の謎。密室という状況下で一体誰が博士を殺したのか?(フー)
実はその密室自体は密室でも何でもなかったので、サプライズは薄いもの、伏線の張り方が抜群で、飛び降りた博士の部屋にいた、ロボット三原則に反して、意思を持つロボットに隠された秘密の背景がよく練られているととっても感心!
ロボットという(今や食傷さえ感じてしまうほど手垢のついた)ステレオ・タイプな分野を、なかなか上手い脚本が味付けしているので、私的に好感触!
ウィル・スミス演じる刑事のトラウマと、左腕の謎と博士の絡め方。ブレスの絡め方。何故刑事は、ロボットを嫌うのか、そのトラウマの理由。何故、彼(刑事)は博士の遺言を聞く人物として選ばれたのか(その理由と左腕とロボット嫌いの理由と、博士の死の理由と部屋にいた意思を持つ特別なロボット。それらの絡ませ方が上手い)
そう、何故博士は飛び降りたか?その「いかにして(密室で犯行が行なわれたのか)」の面は、密室でも何でもなかったので学ぶべきテクニックなど何もないもの、何故(ワイ・ダニット)の面が結構、上手い。
そして博士の死の動機が冒頭から結末までに流れる一本の線として流れ続けているので、その線にまで練った設定面の技術に、うとり!
そう、この映画は「理由」を問うドラマかもしれない?
CG面、デザイン面も凝っているもの、やはり筋の隅々にまで及ぶ脚本テクニックに魅せられた一作。
A氏と食事の際、また派手な話を聞く。数ヶ月前、近くのレンタル・ビデオ店で可愛い親子連れがいたのですぐ娘さんをスカウトして、専属モデルになってもらったそうですが。その彼女、よほど顔がいいのか、今月号の「タウン情報おかやま」の表紙を飾るそうです。(自信のある方は、そのビデオ店内を歩いても面白いかも?)
さらにA氏は仕事が速いので、オスカー・プロモーションへ売り込みにいったところ、「この子はいい」とすぐに契約決定。
オスカーへの移籍は1,2年後先だそうですが、アメリカ人とのハーフの14歳。本来なら結構高額なSアクターズの受講料も、スカウトなので免除だし、まさにとんとん拍子にいける人は羨ましいですね……(皆、そう思うはず)運命なのか?(でも今後、よほど努力しないと、出足が好調な人は、小さなことに躓くと、すぐ転ぶと思いますので努力精進してほしいです。例えば、売れる店の法則に、最初好調だった飲食店は、不調になるのも早いそうなので。おしぼりを出す店はサービスを大切にするという印象を与えるのか、潰れない法則があったり、常連を大切にする店も強いそうです)
あと、全国のタワー・レコードのオリジナル・レーベルから三人の歌手のユニットのCDを出すことが決まり、A氏がその曲を(HIP・HOP系の曲を)作詞作曲したそうですが、やはり曲はアレンジが命なので(株)ソニーに依頼すると、相当額の請求が来るということを聞き、やっぱり今の時代、アレンジャーこそ、音楽業界の支配者?と喚起。
だけど、辛いのは、宣伝にまつわること。
自分ごとで、ミステリ関係の宣伝とか、色々とミステリ関係の(石井先生のイベント・ミステリなり、地元情報から、全国区までの)情報を、彼の出演している番組内で紹介してくれないかと相談するも、(自分の番組に関すると)番組のカラーと合わないのと、やはりお金が必要と。
今の番組のTVの枠は1分30〜50万かかるから、スポンサー料をもらって初めて成り立つので、数字の出ない企画はまず却下。あとは宣伝する先方から、お金をもらうのがシステムと……。
特集を組む際は、プロデューサーが、まずは視聴率を考えて企画を立てるので、ミステリに関する情報や特集はまず、視聴率が取れないのでまず通らない、あと、今の製作サイドに、ミステリ好きな人がいないので、まず難しいと。(しかし、地元の応援は弱いですね……島田荘司を出した広島・福山は熱かったですが)
A氏自身は好きだから、この間も金田一耕助の格好をして岡山のミステリスポットをめぐる企画が出たそうですが、ライバル視するTV局が来年「金田一耕助」の映画を上映するので、うちの社は「禁・金田一耕助」となったそうで、A氏もがっくりきたと。どうもTV局同士、相当ライバル関係があるそうです。
が、明日のその番組はミステリ特集(心霊の方です)で、岡山県新見市にある丑の刻参りの神社へ行ったそうですが、かなり恐かったと。ホラー好きな彼でもさすがに帰り際、お祓いしてもらったと。
その後、食事の席で映画の話に。
私は昨日、自分の創作のある1シーンの設定のイメジを固めたいと映画「キル・ビル」を(最近、珍しく)レンタルしましたが、この映画から、まったく面白みを見出せなかった……確かに「殺陣」は凄い(一体、何百人殺したら気がすむのだと思うけど……)。でもこの、理由なき殺陣に食傷。意味の無い映画の極限の姿のようなものを、喰らわされた印象。
殺陣でも、立つ殺陣もあると思うんですよ。
例えば、理由のある殺陣。戦自体、好き好んでやった人はいないでしょうし、ただ戦国劇しかり、背景に大義があるとか、弱者の復讐とかそういう理由。「天地人」が和を成した時こそ、殺陣は生きるのでは?
が、A氏は「キル・ビル」には結構はまったらしく「あれは、お笑いだ。監督の趣味が濃く出てたし、面白かった」と。
帰り際、今年の映画ベスト1を聞くと「やっぱりホラーが今年は強い。まだ岡山ではやってないけど、この間東京で観た『マーダー・ライド・ショー』この映画は監督のデビュー作で、まさにホラー・マニアの作ったまさに、趣味の世界」と。
んっ、その映画って、最初の映画会社が余りに残酷すぎるという理由で、投げたという、超どぎついホラーじゃあ……。
今、感想をリサーチすると「観ていてこれほど不快な思いをした映画はない」「人を不愉快にするために作られたホラー、吐き気がする」との声が。
しかし、ホラーマニアにとっては最高の出来!と言うことなのでしょう?
私は余り観たくない。早く重陽の菊と五芒星を描いて、魔から逃れたい。
それはおそらく、光の当たる世界がどれほど得がたいものか。その恩恵に憧れ、それがどこにあるのか、そんな天竺のような地を探しても、なかなか到達できない斜陽の民、闇夜の民が、俯瞰的観測によって得た天啓(論理的帰結)と悟るから。
よって、光の民(A氏)はより暗きを求め、暗き民こそは光を求めてしまうのか?
では、この世とは陰陽の戯れ?
「重陽」の日に、そんなダブルの陽(光)の恩恵を、物思う吾。
9月8日(水)赤口・月が最遠・月の赤緯が最北・おうし座136番星の接食
日本人全員の先祖の視点に立って問い直してみる。
何故に頻繁に天災の訪れる土地を捨てて、別の土地へと移住しなかったのか?住居の論理(地の理)を考えてみれば、天災の少ない地に住む方が確実に得。(が、天災が多い地にいると隣近所の助け合い意識が強いのはメリットですが。岡山市のように地震も水害も少ない天災に縁遠い地は、人同士の助け合い意識が薄いと、生前、九州出身の祖母が言っていましたので……)
私自身、九州地方に台風が来ると、いつも思うことがあります。
日本という国に「折り畳み橋」機能を導入できないだろうかと?
いや、橋ではなくて、正確には本土と九州部分とを巨大シャフトにて繋いで、動力にて九州全体を左右に動かして、台風の直撃を回避する案。そう、海老の尻尾のようにクィッ、クィッと!
ちょっとSF的発想ですが(実現は不可能そうですが)。
もし、これをSFにしてしまうなら、さらに突っ込んで、九州自体を(機械化後)立ち上げて、台風と対面させる。モチ、裏向きで。そして、その九州の壁によって、台風を跳ね返す「台風撃退の術」とか。(某時空要塞ではありませんが……)
今日発売少年サンデー「名探偵コナン」=今回の暗号は、先々週行なった推理通り、正解しましたが、余り喜んでいられないのも事実。裏でやってるマガジンの「金田一少年の事件簿」(特別編)の方が物凄く凝っていて、その推理から離脱した私は「ホント、凝ってる」と感心状態なので、アリバイとエレベーターの掛け合いが、謎の幻想性をUPさせている点がミソですが。その入り組み方がまっこと蜘蛛の巣レベル!?
週刊モーニング「カバチタレ」=人はどれだけ取り繕っても、はみだすものがあると思う。何をしても、この世の枠に収まりきれない。人に対して譲り合いたいと思っても、よほど余剰のある人でもなければ、自分自身のフィールドが救貧な人には、譲る力さえも持てない(私の現状……)。何かで包んでも覆いきれないものが、この世にはあると思う。
物語にせよ、幸福なオチで物語を終了、封印しても、実は人(自分)の人生は終わっていないのが現実だし、よって、幸福なオチとは、本当にリアルな物とは呼べないかもしれない。
この間からずっと、この物語の中で続いているタクシー会社とのやりとり。
が、タクシー会社にせよ、不況ゆえ従業員のリストラを行なわなければ経営の成り立たない近況の論理。
そして、この組織に自分がいれば、明日から途方に暮れるは当然。
でも、手を打つ手段は、誰かが教えてくれるわけではないので、誰にとっても本(主に小説)に向き合って、生きる智恵を教えてもらおう。そんなテンションも高まりにくい。だから人は小説を手に取る動機が弱い?
が、その読み物と、生活との間の距離が近い作品が「カバチタレ」だと思う。
だから、これからも私は、この漫画を読んでいくだろう。生活に満たされた時、自分に乖離しているものは何か、それを気付かさせてくれるこの漫画を。現実に起きている社会の闇、そこにある人の棲家を見るために。
9月7日(火)大安・下弦の月・白露(太陽の黄経が165度に) 「今のトレンドは、自由定型作家・鯨統一郎?」
何故、量産されてもミステリは無くならないのか、未だ館や吹雪の山荘内の密室で起こる(作家の考えた絵空事)を論理で割り算する定型の本丸が落城しないか?そう思われている方もいると思いますし、
そこで「本格推理」の現況を俯瞰してみよう。
まず「時系列の上に成り立つ定型小説」という見方が一つあると思う。
時系列なので、妙なしきたりやルールが古典の時点で完成され、それを何度打ち壊しても、壊した人が、ドイルやクィーンの頭脳の足元にも及ばないので、すぐに古典で築かれたルール、根っこの甘美を懐かしがり、大衆は原点へと戻ってくる(例えば、今、その代表者が加賀美雅之さんと呼べるはず。加賀美さんは古典愛好家であり、作品も海外の古典そのもの。が、その器に載っているトリックが非常に斬新で、さらに名探偵コナンにも挑戦しているほどのチャレンジャーだから、読者を獲得している)。
話し戻し、大衆は古典へと戻っていき、その根を太くさせるような本格を書く人が(本格冬の時代の時に、たま〜に)出現すると、その人は確実にスターとなる。
それが島田荘司、綾辻行人ではないだろうか。
(もちろん、最初に登場した人が一人勝ちして、一人スターになるので、二番手、三番手に当たる光は少しずつ減光していきますが=しかし、その後、さほど作品を発表をしてこなかった綾辻さんは、余りにも休み過ぎたにも関わらず、今、ひょこっとTVや雑誌に登場しても、ファンが殺到する程、人気者なので、それは強運だとは思う反面、デビュー作の恩恵に未だに頼りすぎているのではと多くの方に囁かれても仕方ないかもしれません……反面、デビュー時は光が当たらずに苦しんでも、デビュー後に一生懸命凄い作品を発表してきた方々は偉いと思いますが!)
しかし、綾辻さんの出現は、「もうトリックに新しいものなど無い。それにクィーンやカー。乱歩や正史レベルの作家なんて、もう出ないんだ。それに古典の時代は終わった。古典の面白さに気付かない昨今の出版界で、俺の嘆きなどわかるまい」そんな首をもたげた人たちを「あっ」と驚かせるほど鮮烈な作品を引っさげての登場だっただけに、非常に説得力のあるデビューだったとは思いますが。
おそらく、成功の要因の一つとして、小説から、文章(主に克明な描写)という装飾枠をできるだけ外していき、骨と皮。つまり万物を点と線にしてから、構想を練った+物語とトリックの面白さの究極の形を、誰に求められることなく、心に乱歩や正史やクィーンを思い浮かべながら、彼ら以上に「あっと言わせる作品を書こう!」
そんな孤独ながら、楽しい作業を(おそらく)経てきたことが、功を成したのかもしれない?
世間にせよ、当時、社会の巨悪を描く社会派ドラマ主流時代だっただけに、そろそろ、その(松本清張の築き上げた)テイストに大衆が飽きてきた頃だったはず。
ゆえに、清張が否定した「この新幹線の走る時代に、乱歩流のお化け屋敷の世界はもう古い」というモードで大衆も清張色一色で進んでいた時代。が、そのリアリズムにも飽きが……そこに、「トリックとはこんなにも面白いんだぞ〜!」という新トレンド(ある意味。乱歩の「お化け屋敷復活宣言!)を引っさげて、乱歩賞の選考委員にせよ、受賞を見送った作品を島田荘司ただ一人が「めったに出ない推理作家」と推した綾辻行人という無冠にして、無名の若者が登場して、大衆の心を鷲づかみに。
その結果。講談社も、これからは「トリックの時代だ」と旗を掲げて、新しい賞も創り、漫画部門では、少年マガジン誌にて「金田一少年」の企画が推進。
まさに、大衆の興味は、面白い物語と、トリックを、論理によって謎解きする物語へとシフトしていったと呼べるはず!
が、同じ手を何度も使うと水戸黄門(マンネリの意)と同化していくので(サプライズの老化現象?)、大衆も、そのテイスト一辺倒では飽きてしまう。あと、そのせいか、ゲーム化したミステリの登場が多くなったのも事実。ここは問題だったと最近、社会派の代表選手である青木雄二の漫画に強烈に惹かれている私は思う。
そして、今、トリッキーな作品は少々飽和状態に。かつ何でもありの時代というのが現況かもしれません?
そうなると、トリック派も、社会派も、どちらも同じぐらい重要なのではないかと?片寄る状態が、むしろ不自然なのかも?
あと、次世代のスターは、おそらく機を見るのに敏感で、世間が今のトレンドに飽き始めてるなと感じ取るアンテナの鋭い方が、その候補者かもしれません?
そう、今、主流、あるいは廃れ気味のテイストに対し、新しい見せ方を提供する人(条件として古典を把握し、相当数のミステリを読破している人)こそが、次世代のスター候補者ではないかと?
ちょっとミステリの現況を簡単に、区分けしてみよう。
(先陣を切ったこともあり)綾辻さんの不動の位置である「新本格」に対して、向こうを張って「古典」に居を構える加賀美さんや、さらに年代こそ古典ではないもの、本質が古典+論理重視の氷川透さんや倉知淳さんや石持浅海さん。
「SFミステリ」(メタミステリ)の牙城を構築した森博嗣さんや西澤保彦さんや清流院さん。
それらの流れの中にあって、新しいテイストを提供したのが、「自由(定型)本格ミステリ」と(勝手に命名させてもらいますが)昨今、私が最も注目している縦横無尽の鯨統一郎さん!
今のところ、鯨さんのテイストがトレンドだと思います。
と言うのも、私の分析によると、鯨さんは、筒井康隆、清水義範の系統(ポスト筒井であり、ポスト清水)に当たる作家ではないかと私解釈しておりまして、その筒井、清水に共通する、かっとんだアバンギャルドさ、底抜けの明るさと軽さ、宇宙まで突き抜けるかと思うとしっかり、真面目な文学、さらに王道の本格推理まできちんとこなし、馬鹿のように振舞ったかと思えば、実は根本には確固たるアカデミックさが備わっており、たくさんの引き出しを使い分けながら、縦横無尽に何でもこなす、ジャンルでは縛れない超器用な作家!そんな印象がしているだけに。
「柔よく剛を制す」の論理で、やはり今、鰻登りしている(印象を受ける)要因は、その頭の柔らかさ?なのでは?
しかし、推理小説というのは不自由なジャンルであるのは確か。第一、時系列を無視できないというのは大変なこと。制約とどこまで向き合うか。そこをクリアして、別世界(例として、無心の世界や、かっとんだ世界)へ突き抜けた人は凄いと思います。
あるいは、絵画で例えるなら、漫画やアニメに走るのではなく、あくまでも日本画や油絵にこだわるのに似て、古典に身を置いて、王道を究めていく方は、もっと大変かもしれませんが……。
最後に、今日の話題の人、綾辻行人さんが特集された今月号の「ダヴィンチ」を読みました。
印象に残ったエピソードとして「カラオケで映画『野生の証明』を京極夏彦さんとピッチまで合わせて完璧にハモっていた」というエピソードと(その音や記号に強い点が、緻密な推理を構築することに向いている?そんなことを裏付けているのかなと思わされたり)、中井英夫先生との最後の対談の際の去り際に「この世の悪意を一身に引き受けたような探偵小説を書くんだよ」と呪文のような言葉をかけられたのが未だに頭から離れないということ。
どうも、その言葉が、上下セットで3000円もする新刊「暗黒館の殺人」を書く背景の一つとしてあったようですが。
まさに、暗黒の扉を開く物語!?
しかし、この(私が、鬼門が崩れ、まさに今、パンドラの箱が開けられようとしている?と、推理している)2004年の(台風や地震がセットで来た)9月(さらに9月はデビュー作の刊行された1987年9月と同月)に、発売されるというのも、妙な因果を感じてしまいますが……。
実際、今年の五輪は聖地アテネで行なわれ、金星のトランジットである今年、女性陣の活躍も多かった。
その今年とのセット年と推測している2012年も、五輪が行なわれる年だし……金星に縁深い年。
私の謎迷路を巡る時空の旅は、まだまだ続きそうです。
・「蜃気楼の殺人」 折原一読了。書評荘UP!
9月6日(月)仏滅・火星が最遠・アルゴルが極小・からす座Rが極大
今回の双子型大地震に隠された、符号点を発見!
実は、昨日起きた二つの地震(双子地震)は、1944年12月に起きた東南海地震以来の(この地域で起きたM8級)大地震だったそうですが、この1944年は、今年と同じ甲申の年でした!
この甲申の年は、60年に1度来る年。干支は10干+12支で構成されているので、組み合わせて運行=60年単位で一周(だから人は、60年で赤子に戻るという論理から、還暦では赤子に戻る=赤いちゃんちゃんこを着る)
易の枠内の一つ「気学」から見ると1944年は五黄土星ではなく二黒土星なので、五黄の申ではなく、二黒の申ですが、甲申が符号しているのは凄い。
まさに60年の時を越えて起きた双子の地震?
待てよ。どちらも土星だな?そして今日は、かに座に土星が入った。
土星はサターンとも呼ばれ、地震とも縁深い。今年の五黄土星と、1944年の二黒土星の土星の符号は何かあるかも?土星と甲と申の年。これは地震と縁深い配置なのだろうか?
あと、天文では、火星と冥王星が直角となるので、噴出や争いの兆しを感じるのと、金星と天王星の角度が悪く、同じく戦いや争いを喚起。
それと昨日私レベルで予感した、くじら座のミラの減光も、波動レベルで何か地震と絡んでいるのではないかと?
先ほど、ゲストの綾辻行人さんの出演された「爆笑問題のススメ」を見ました。
番組で出されたクイズは、私も事前知識があったもの、その場で出されてあんなに的確に解答など出来ないと思うだけに、頭の衰えの無い方だなという印象でしょうか。(単に綾辻さんも、事前知識があっただけかもしれませんが?この間「クイズ・へキサゴン」で言われていた「情報収集だけはしている」という言葉を喚起)にしても、論理家ですね。
(TVで言われていた「本格ミステリはフェアなミステリ」「完全トリックにて、読者を騙しきる」「種明かしに重点を置きつつも、面白く仕上げなければいけない」「本格ミステリに対し、日常犯罪は、トリックを仕掛けっぱなし。探偵による解決が無い」「オレオレ詐欺は、詐欺というレベルに到らない、だらしない犯罪」そんな台詞が印象的だったでしょうか)
もしや今、妙に力の入っている新刊の宣伝戦略も、いかに読者を気分よく騙しきって、本+諸々のオプションを買ってもらって(高いぜ、綾辻さんと読者に感じさせないように)スマートに完売させるか!そこに今回の最大の戦略(作外に仕掛けられた、儲けるための叙述トリック)が隠されているかもしれません?
そういえば最近知り合った、大阪のシナリオ学校に通われるOさんも、ミステリ好きらしく、一番好きなのは綾辻さんで、さらに「十角館」が一番好きというので、ウマが合う人だと思っています。
本人の書くジャンルは恋愛物だそうですが、読むのはミステリが好きと。また、ライター会議なり、オフ会なり、(毎年恒例の)忘年会なりに参加された際は文芸談義にて盛り上がりましょう!
反面、ある方から暗い話を持ちかけられて、こちらまで暗雲のおすそ分け……。
確かに、どこにも派閥があり、出世一つにせよ、上の人との相性や礼が重要でしょうが、真面目にされてたら、いつかは日の目が当たるかもしれませんし、頑張って下さい!
昔、文王が「賢者を登用しても、世が乱れて、ついには滅亡に至るのは何故か」と太公望に尋ねた際、
「賢者を登用しても、献策を採用しないからです。その原因として、世間で評判の良い人間ばかりを登用して、本物の賢者を見逃しているからです」と言い、さらに「まわりが褒める人間を賢者だとみなし、貶す人間を愚者だと決めつけると、仲間の多い人間だけが昇進し、少ない人間は退けられてしまいます。こうなると腹黒い人間が登用され、その結果、世の乱れはいよいよ激しくなって、ついには滅亡に至るのです」と言った太公望。
確かに現実社会からネット社会まで仲間の多い人や、有名人ばかりに日が当たり、孤独な人に日は当たらない現実。組織の外にいると、どこにいってもはぐれ雲となりますが、そのうち、味方も現れるでしょう。
しかし、人は仲間を求めなければ、いられない弱い生き物という論理を突いた太公望のお言葉。非常にうならされるものが。
9月5日(日)先負
地震が来たので杞憂の民は考える。体の痛みが神経血管の伸縮(膨張で腫瘍)ならば、地震は天地の伸縮ではないかと。
今年は天文も易もその星回りの型が、破天荒で喧嘩っぱやい。
易の「甲申」の甲は甲乙争うで、一番を目指そうとする姿。即ち「競争」を意味し、申は金属や刃を象徴。
五黄土星も、支配を司る独裁星なので、地震や天災や革命を喚起。
さらに五黄と申がセットになった年は、この間、自発的に過去データを探ったところ、非常に革命や暗殺事件(「桜田門外の変」(井伊大老襲撃事件)・「五・一五事件」(犬養毅首相暗殺)・ケネディ大統領暗殺事件・キング牧師暗殺事件・事件なら三億円事件)等が起きていることから、今年は何らかの暗殺事件が起きるのではないかと推理。さらに五黄の申年は天災も多い。
さらに今年は、6万年ぶりの火星の大接近から、火星のシンボルである「マルス」から戦い、争いの予兆を推測。ただ今月火星は、地球と最遠となりそこは救いですが。
鬼門も危うい。牛(狂牛病に近鉄バッファローズの危機など)が弱り、鬼門(丑寅=ウシトラ)の一角である丑(ウシ)が今、揺らぎそう。もう一角に当たる寅(トラ)も危機を迎えているのではないかと、私的推理。
今日のニュースにありましたが、奈良県明日香村のキトラ古墳の白虎の剥ぎ取り案を文化庁が正式発表。
これで日本を代表する丑(ウシ)と寅(トラ)が崩れ、そこに隙間が生じる可能性が。
さらに今年、自分の宿に戻ってきた(つまりその星の宿=鬼門である)八白土星に破れという星が同居し、トリプルで鬼門崩しが起きている印象?守護の崩壊?=よってそこから鬼がざわざわやってくる。鬼界=魔界から?
さらに今年6月に起こった「金星のトランジット」(占術的には女性リーダー誕生の意味もあり)は2012年6月の二回目のトランジットと対になっているため、その2012年6月6日と今年は非常に関連深い年と見れるかも?
そして、その2012年が妙な年。
マヤ予言によると「(2012年は)金星からケツァルコアトル(偉大な鳥の蛇)が地球を再訪し、人類に何かを問う」とマヤの古書に残る年であり、マヤ暦の終わる年。
それを私なりにこう解釈してみた。「金星のトランジットの起こる2004年に鬼門敗れて、そこから悪魔が入り込む。その魔は女王と共に訪れる。その因果の果が2012年の二回目であり完成となる、金星トランジットの年に現れる?」と推理。
その女王がバビロンの大淫婦ではないかと私推理。
そして、それと符号するかのように(株)「サントリー」がバビロンの大淫婦と符号するような青(見た目は紫)の薔薇を開発。(バビロンの大淫婦=紫と赤の衣をまとう。赤は通常の赤薔薇。紫は、今回の薔薇を象徴すると
私解釈)
さらに同サントリーが「北杜12年」というウィスキーを今年、新発売。
北という語から鬼門や北斗を喚起。さらに、その数字の中にある12年の12が、マヤ暦の終わる2012年の12と符号しているのに着目。
つまり、2012年と関連している?(鬼門壊れ、冥界ある?北斗七星の方から、冥界出身の悪魔の女王達が訪れる?)そして容量の660mlの66は、2012年の金星のトランジットの起こる6月6日と符号しているのではないかと。
さらにバビロンの大淫婦の乗る10の角のある獣(666を象徴)とは、(新しい)第四の国をさし、10の角とはその人種の入り混じる特殊な国に立つ10人の王を示すと「ダニエル書」にはある。
ここから10人の王や、国は、アメリカか、EU連合ではないかと。
そう思ってると実際今年に、EUに「大統領」制を作る案が決定。
ここでソロビヨフの予言にある「(21世紀、アジア連合が西洋まで攻めた後、西洋は一致団結して、それを駆逐後)、大富豪かつ哲学者、軍事家であり宗教家である天才的な若者がヨーロッパ大統領に選ばれる。これが反キリストであり、この世を統一後、新ローマ法皇を勝手に名乗り、世界から争いの根をなくした後、人類滅亡を起こす人物」とある、文書符号してきて、恐怖極まりない。
話を今月に戻し、「金星のトランジット」後、実際、女性が強くなってますし。占い界でも妙に女王のように細木さんが出てきたり。
そして、反キリストと、バビロン大淫婦は別の線から混じるんでしょうが、反キリストの生誕年か何か啓示を受ける年が1998年でないかと?そして、バビロンの大淫婦の誕生か啓示は今年ではないかと推理している私。
何故か、バビロンの大淫婦の予兆は前述しましたが、反キリストの方は、エドガーケイシーの言う「1998年にメシアが誕生する」という予言と、シュタイナーの言う「獣の数である666の3倍年に当たる1998年にアーリマン(ゾロアスター教の悪神。つまりサタン)の化肉がある」という二つの予言を合わせて、1998年こそ、悪魔降臨の年ではないかと(メシヤ誕生かもしれない)。
そして(そこまではすでにここで語ったことですが)、ここからが、今日ひらめいた天文にまつわる推理です。
そのキーとなる1998年に、不思議なキャンペーンが行なわれたそうです。それは、不思議な星(MIRACLE)が語源とされる「くじら座」のミラを観測する第一回の集い。
何故、ミラの観測とこれまでの話題と符号するのか?それは、ミラとは12月頃、明るくなる(周期的な膨張・収縮により変光する「脈動変光星」)星らしく、Xマスの星と呼ばれる星。そこで「ミラ」こそが「ベツレヘムの星」ではないかという説がある。
そのミラが今月初め減光するのですが、この減光は、地震を引き起こした要因の一つかもと私推理?天文異常は、地にも波動レベルで影響を及ぼすのでは?と考えてみたわけです?
それと、もう一つ。この間、うお座とおひつじ座の間から1420メガ・ヘルツという水素と同周波数の未知の電波を3回受信したニュースを思い出す。
そういえば、このミラは、うお座とおひつじ座と非常に近い位置にある。
もし今回の電波が、ミラの減光と関連あるとすれば?ただ、ベツレヘムの星と、この間私が解釈した「水素を水とし、魚座(魚)を(水と縁のある)キリスト?お羊座(羊)を民。3は三位一体。1420は中国のシンボル紫禁城の完成年度で、1420年はイスラム暦では西暦2000年=イスラムの新千年紀の開始?」
ちょっと焦点がブレたか。
あと、地震に関すると、明日、土星がかに座に入ることと地震とを結びつける占術家もいます。
待てよ、私は最悪のシナリオを強調し過ぎてるかも……もしミラ付近の水素電波が宇宙からのメッセージだとしても、ベツレヘムの星はもう一つあるかもしれないし。それは去年の11月23日に出現した六芒星。
そちらこそが、六芒星=ダビデの星?=ベツレヘムの星?と考えられないこともない。(火星、土星、太陽の△と、月、木星、カイロンの△の合致)
待てよ、六芒星とメシヤ誕生を同義と考えるなら、去年の六芒星がメシヤ誕生か何かのサインと考えられないこともないだろうか?
もしそうなら、去年末か今年に、メシヤの誕生があった?でも、今のところ、バビロンの大淫婦誕生か、啓示か、そんな感じがするけど。
しかし去年は六白金星、今年は五黄土星だけに六白、五黄は王を象徴していると見れないことはない?
待てよ、次回の金星のトランジットの2012年は六白金星の年。
金星といえば、2012年に起こるのも「金星」のトランジット。そして、(鳥蛇)ケツァルコアトルは「金星」から訪れるという。
2012年には、どこから見ても、金星がつきまとっている。易では「壬辰」と、60年に4度回ってくる特殊星の魁ごうが来る年。壬辰から、水の王が来ると見れないだろうか?
ケツァルコアトルは水神でもあるらしいし。イエスもシンボルが魚で水の神と見れないことはない。
いや、待てよ、2012年のシンボルは金星。もし金星ならこれは、アマテラス的な見方で王を推測していくのは矛盾してるか……金星ゆえに、もしや、スサノオではないか?
スサノオは金星(宵の明星)という説がある。スサノオこそが=暗黒=悪魔なのか??わからない……。
聖書に「黎明の子、明けの明星ルシファーよ、あなたは天から落ちてしまった。もろもろの国を倒した者よ、あなたは切られて地に倒れてしまった」(〜私は天に昇り王座を神の星の上におき、北の果なる集会の山に座すが、あなたは陰府に落され穴の奥底に入れられる)とある。
この明けの明星=スサノオと同意?
もし、スサノオと、六白金星と、バビロンの大淫婦が同意に近い存在だとしたら?(あるいは仲間?)そこにケツァルコアトルも関係?いや、幾つか矛盾点が生じる……。
今後の課題=1998年のメシヤと反メシヤ誕生の予言の真意の見極め方法。
ベツレヘムの星は、12月に輝きを増大させる鯨座のミラなのか?あるいは去年末に出た六芒星なのか?=ベツレヘムの星?なら、去年末か今年はメシヤ誕生のサイン?
五黄土星と中国皇帝の関係。
木星と同義とされるキリストとゼウス。
(女性リーダー誕生を暗示する)金星のトランジットと、バビロンの大淫婦の関係と、「金星」と同義であるスサノオと、ケツァルコアトルの神と2012年の関係。さらに2012年に回ってくる六白金星との関係。金星の謎?
1999年のノストラダムスの予言は、時空の歪による時間がずれただけなのか?恐怖の大王(ノストラダムスによると目には見えない物らしいです)の降った時、その前後に幸福に統治するという火星は、火星の大接近のことかもしれない?(恐怖の大王の降る年=時空のずれ=もしかして、まさか2012年と双子のような年である2004年?まさか……)
となると、前後の後付近は2012年と考えられないか?もしも、蘇るというアンゴルモアの大王とはバビロンの大淫婦や、スサノオと何か関係あるとしたら……?
謎が恐すぎる……。
だけど、世界は日常で成り立っているとも私は考えています。
昔、太公望が文王に「四季のように満ち溢れたら隠れ、隠れたら生じるというふうに、天地の道には始まりも終わりもなく、極まりがありません。聖人はこのような天地の道に則って天下を治めます。ですから天下が泰平であれば聖人は姿を隠し、乱世になると姿を現して救済にあたります。物事は行き過ぎて極端になると元に戻るもの。ですから、前に進んで人と争ってばかりではいけませんし、後に退いて責任逃れを事としてもいけません」と言い、さらに「君主が愚かであれば、政治が乱れて国を危うくします。政治がうまくいかないかは君主の責任であって、天運とは関係がありません」とある言葉に見られるように、調和する意思あれば、頭上の天気も即ち、平和。そんなふうに楽観的に考えているのも事実。
・「ナースのおしゃべりカルテ」 小林光恵読了。書評荘UP!
9月4日(土)友引
本を片手に持ったまま、気付くと眠っていて、仕事関係者に起こされた時は、かなり体調が悪化していた様子。どうも、体調悪く、読書の方もOFFの日に……あぁ、本を吸収できないせいか、どこかテンションが低い?
昨日の夜想にて、楽器「バンド・ネオン」を触らせてもらい、この楽器の歴史の妙を物思う。タンゴのために造られた楽器のわけではなく、たまたまドイツからアルゼンチン入ってきて、演奏してみるとこれは「タンゴ」とピッタリの相性だと噂が広がり、今やタンゴといえば「バンド・ネオン」となったそうですが、本格ミステリにもそんな「相性」のいい召あるのではないかと脳内を一周。
孤島や館や人形や暗号。定番は多いけどまだ隙間があるのではないかと。疑問あるところに課題ありで、その線から探すと、掘り出し物の骨董品が見つかるかも?
だけど本が読めない分、本をテーマにした話でもちょっと書いてみよう。
あと、テーマをもう一つ。本が売れない問題も絡めて。ではいっそのこと本の数をリセットして0から本と言う物を考えるのも面白いのではと?(+この間、ある方から「本格ミステリとかにこだわるより、子供向けのお話を書いた方がいいのでは?何か、そっちの才能を感じる」と言われたせいか、最近日記とかで綴っているショートは、ちょっとそんなモードになっているかも)
ではどうぞ。
題「黒の広場」
これから我輩が焚書を行なう。さぁ燃やせ。
時の権力者による焚書が、今まさに行なわれようとしていた。権力者のお眼鏡に止まらなかった作品は、全て「黒の広場」へと集められて、今まさに火が点けられようとしていた。今日はその第一回で、厳選された百八冊が投げ込まれた。ちなみに「黒の広場」とは、某公園に付けられた新名称で、中央に蟻地獄のような円形の穴が開いている強行裁判の行なわれる悪夢の地。さらにその穴は真っ黒をしている。
本をショベルに積んだショベルカーが穴へと一振り。が、色とりどりの装丁をした百八冊は、どういうわけか、黒い穴に入ってしばらくすると、一冊、そして一冊とその姿を消していった。これから火を点けようとする直前の出来事だっただけに、高台から見学していた権力者は「何事だ」叫んだ。
「私が見てきます」リーダー格の書籍審問官である黒衣の青年が穴の方へと駆け足で向かう。
「閣下、何もありません。どういうわけか、投げ込んだ本はどこかへと消えてしまったようです」「何だと!?」
翌日。
「ありがとうございました。書籍審問官様。これで良書たちを救うことができました。しかし、何故、本は消えたのでしょう」
「ええ。実はあの本のカバーには皆、温度により色の変わる特殊塗料を塗っておいたんです。いや、正確には急遽、前日にカバーの付け替えを行なったんですが。一般にはサーモクロミックオフセットインキとかが知られていますが、そういう特殊インキを扱うことで穴の色と同化させたと言うわけです」
「そうだったんですが。しかし、温度変化はどうやったんです。まさか、ショベルカーにも仕掛けを」
「いえ。さすがにそこまでは。実は、今日の焚書儀式を行なう前、まだ誰も人気のいない広場へと向かった私は、事前に熱しておいた黒土をダンプにて秘密裏に運搬。投じておいたと言うわけです」
「なるほど、だから、本たちは、突如として色を変えたんですね!」
「ええ。それと、温度変化の設定温度にせよ、割と常温に近いラインに設定しておきましたからね、色の方も比較的早く変化してくれたと言うわけですよ。念には念をと思いまして、変色促進剤の方も混ぜておきましたが」
「審問官様、感謝いたします。それでは、次回の焚書イベントの際も、この調子でお願いいただけますか。それが全国の書店員たちの願い。その代表として、私から再度お願いいたします!」
「ご察しします。が、同じ手を二度、三度とは使えませんので、別の手を考えてみましょう。努力してみます」書籍審問官、一礼。
「おしまい」パチパチチ。
「えーっ、今日は百間川のエジソンさん作『黒の広場』の朗読会にお集まり下さり。ありがとうございます。さらに本人による朗読の方も楽しんでいただけたかと思います。さらにさらに今日はこのA書店本店にて、一日書店長も行なってもらいましたから、このイベントに参加された皆さんは、ご満足いただけたかと思われます。どうだったでしょうか、皆さん」
ホントにおしまい。
書籍審問官さん、ご苦労様。
もう少しで焚書の結果、世界中の本屋の棚がガラガラとなるところでした。
では、明日はもう少し読書に力を入れねばと、空を見上げて、大志の片隅の方をプチッとだけ磨く。
9月3日(金)先勝
「清涼や菩提樹もたれ詩集読む」
ふと柔らかい言葉を綴りたくなり、座して一句。でも、句として「負」を持っていると知っていながらも手を出してしまうのは不勉強ゆえか……最近句会に参加してないので、確実に俳句の腕が落ちてる。
でも今日「夜想」にてSさんと会い、今月の句会の日取りを聞いてホッ。ここ数ヶ月、句会はライター会議の裏で行なわれていただけに参加できなかったものの、今月は別日だそうなので、ようやく水を得し魚となれそう。
それぐらい句会に参加すると教えられることが多いので。
あと、Sさんから、前年「徳望お伽文書」を出版された甲斐蘭蕃さんと今日お茶したと聞き、その席で早く連絡を取って、会う日取りを進めて欲しいと言っていたと背を押されたので焦り。前回会った時が刊行直後だった分、会った折にはキチンと感想を述べねば!
話は変わり、今、天文の描いているサインから、気になることを幾つか。
今週、木星がおとめ座へ、土星はかに座へ移動。占術では約束の実現という意味があり、よいんですが、
火星と冥王星が直角となるので、何か噴出とか争いの兆しが。さらに、金星と天王星の角度が悪く、ここからも敵対や戦い、争い。そんな予兆を感じています。
不幸なニュースや出来事が起きるかもしれない……。ただ、何故、星が人間の運命を左右するか、その原理は不明。なので、その原因に迫る方法も考えなければならないのも事実。
人の生誕日にはそれと符合するように天文の型があり、その型によって決定づけられるのが、人の方の型ではないかとか、色々思いますが、原理
は謎。「謎は全て解けない」と叫びたい心境?
話を戻し、水星とかは向きを変えたことで、双子座の人とかは何か問題が晴れる、解決するという兆しがあるかもしれません。
あと、天文ニュースで気になったこととして、うお座とおひつじ座の間から、3度も謎の電波信号を受信したそうですが、何でしょうね?それも周波数が1420メガ・ヘルツと水素の放つ周波数と同じと来る(水素の周波数は最も雑音の少ない帯域のため知的生命体が電波として用いることは十分可能だそうです)。
魚と羊と、3と水素1420。この解釈は私的なものですが、魚と羊だけなら魚(キリスト)と羊(民)とか、それで水素を水。さらに3を三位一体。
1420も色々解釈できる。もちろん、歴史ミステリ的な解釈ですが。
1420で符号するのは紫禁城の完成年度と、イスラム暦で1420年が西暦2000年と符号すること(ちなみに今年2004年はイスラム暦では1424年)。
イスラムの新千年紀の開始とも見れるか?紫禁城は皇帝の象徴なので、イスラムと中国の運気UPの信号?(この辺は、空想の領域ですが)
それと、昨日、巨大な火の玉が観測されたそうですが(南西から西の空にかけてと、東から北東にかけて)、どうも流れ星ではないかと。
でもそれ程珍しいなら古代の中国の書によく出る将星の落下とか思ったり。
どこかの国の代表的人物が亡くなる(あるいは暗殺?)
少し前、今年は暗殺事件が起きる兆しがあると予想を立てた私ですが、単なる杞憂であってほしい。
・「台湾殺人旅情」 斎藤栄郎読了。書評荘UP!
9月2日(木)先負・水星が留・シューメーカ・ホルト彗星が近日点を通過
B・ジャンプ(TV化も決まった)「民俗学者八雲」=今回はコナンと向こうを張ってか?焦点はD暗号。
「十字架が大地に突き立てらている。立てかけられた柄杓の下には女が逆さに吊るされている」
という被害者の残したD暗号を八雲が発見するところで「つづく」
今週の時点で、容疑者は「安土雪絵」と、刑事の「土居正一」の二人。
ここで安土雪絵の安の中に「女」という文字のあるので犯人は安土かと思うもの、女の字が逆さ字ではないので、やはり土居を示す暗号と推理。
おそらく「十字架が大地に突き立てられている」は、「安土」と「土居」両方にある「土」の字を示し、柄杓の形は「尸」なので、これは居の字の部首「尸」ではないかと。
そして、「その尸の下に逆さに吊るされた女」とは、女性をマーク化すると『♀』なので、この字を逆さにすると、古という字になることから。
♀の逆は「古」そして、その「古」と「尸」と解釈後、二つを組み合わせると答えは「居」
大地の十字架は「土」で、柄杓(「尸」)の下の逆に吊るされた女とは「古」 二つ合わせて「土居正一」の「土居」になるのではないかと?(ただ気になる点が一つ。文章に妙に太字と細字が混ざっているのが気になる。でも書き足すと意味が壊れるので、この解き方と、判断する事に)
鯨統一郎さんの新刊「いろは歌に暗号(かくしごと)」刊行ニュースを聞き、考えさせられる。
先月「喜劇ひく悲奇劇」(未読)が刊行されたばかりなのに、もう新刊。これはミステリ界のカール・ルイス(アテネ五輪だとジャスティン・ガトリンか)と呼べる速さ。しかし、何故こんなに足が速いのか?
時間とは何だろう。誰かが定義を作り、刊行速度も定型化してたところに、漫画から名探偵コナンが襲い掛かり、今(小説では)鯨統一郎さんが飛ばしてるご様子。だけど小説を買う読者が増えているとは言えない現状。
でもドンドンと新しい作品は生まれていきます。
でも最近思うことは、物事にはあるリズムがあり、出版物にもある黄金率みたいなものがあるのではないかと言うこと。
しかし、これだけ気になる作家が多いと、日々、読書読書で、私の時間も膨大に削られてはいきますが。
それでも独自のペースを作りながら読んでいる私(鯨統一郎さんは、私のイチオシ作家の一人なので!)。
でも鯨さんは異様に速く、やはり急ぎすぎる兎ではと懸念(できればもう少し読者の呼吸に合わせた刊行ペースにしていただけないかと。亀になれとは言いませんが、追いつくのがやっとなので……)
そこで、もし自分が鯨さんなら、ライトな文体を一時やめて、思い切って硬派な文体にモード・チェンジするかもしれません(賞を意識して)。
実際、あれだけの才能を持ちながら、新人賞でさえ受賞していない鯨さんは、余りにも損をしているのではと思うだけに。
それでも実力があるので、デビューからわずか6年で計26冊も刊行するほどの人気作家となった(最近は1ヶ月1冊刊行?)マッハな推理作家!それも歴史の謎解きや、物理、心理共に、トリックの質も高いと来る!
「熱意のたぎっているところ、人は、必ず新しい道を開きます」という巨人「松下幸之助」の言葉を喚起してしまう私。
でも、自分ごとながら、自分が何文にせよ、執筆をしていくうえで心がけたいのは、やはり自分のペースを乱さないことでしょうか。
周囲に左右されると、逆にそれまで積み上げてきたピラミッドは崩れやすく、自信を持ちすぎるのも、どこかマイナスに左右することが多いような気もするので(反動の理論って奴ですが)。
実際、自信を持っている際、他人からの酷評を受けると打撃も三倍でしょうし。それに、力もないのに大きなことを言うのも、抑圧が二倍。
そう言えば「世間には、大志を抱きながら大志に溺れて、何ひとつできない人がいる。言うことは立派だが実行が伴わない人が。そういう人はたいがい失敗している」という言葉も「松下幸之助」は遺していました。
老子が「大国を治めるのは、小魚を煮るようにする」と言っていますが、大志が大きいなら、ちょっと数歩、引き返して、身近なこと、小さなことから、自分のできるところから取り組むのが、よいかもしれません。
何か物を書くにせよ、急がば回れで、できれば小さなことからコツコツと取り組む方がトータルで見ると進みが確かなのではないかと。
あと、小説ならば読者の反応に注意しつつ、読者の求めるものは何かを研究して、知ることが大切なことかも?
あと、物書きなら、作家として、自分のテイストを提供するという意識や、他には無い独自の文章世界や文体。そしてキャラを提供する強いスタンスが必要でしょう。
実際、多くの読者はその作家の特色を求めて本を買いますから。綾辻さんの本に宮部みゆきさんのテイストを求めないし、森村ミステリに孤島の館は求めない。ロジックと人情を売りにしている十津川警部に、森博嗣ならではの象牙の塔的と言うか、難解な台詞やムードを求めないように。読者はその作家のテイストに対してお金を払う。
それと、やたら刊行する猪突猛進。あるいはその逆の刊行の遅馬になりすぎないよう、独自の執筆ペースの確保。かつ、読者の読むリズムに合わせる(呼吸法的刊行リズム)も大切ではないかと。
実際、そんな姿勢は、読者の目から見ても、大切ではないかと?
となると、読者の目を意識することは即ち、小説を俯瞰することが出来ると言えるかもしれません。
太公望が、国を治めるのに最も大切なことは何かと文王に聞かれた際「民を愛すること、これに尽きます」
と言ったそうですが(「六韜」参照)、これを小説に置き換えると「小説とは、読者を愛すること、これに尽きます」
なんだかそんな気がしてきた、今日この頃。
9月1日(水)大安・冥王星が留・金星が土星の南1°57'・月が赤道を通過
長野県境の浅間山が噴火というニュース。
8月は五黄の申の年の五黄の申の月なので(五黄の申は天災が多いデータから)、何かあると思ってましたが(ちなみに占術では9月6日までは8月と見ます)。
噴火で来るとは……しかも関東大震災と同じ日に……。救いは今日は大安なのと、日が癸羊だった点。いや、癸は水を澱ませ、羊は地震に縁のある干支かもしれない……でも日だけを見るとさほど危機に縁深いものではないはず。もっと縁深い日があるので。
天文(占術)から観ると、冥王星が逆行を終え、順行に転じ、その瞬間で地球から観ると停止して見えるのが今日。
五黄申+これが怪しい気が。冥王星の意味に、破壊。限界点と臨界点。死と再生があることから、これと噴火を結びつける見方もある。ただ金星と土星の接近は、吉兆のサインなので、今回の噴火は、大事には至らない気もしています……。
冥王星には破壊後、回復、再生という意味もありますし!
今日発売少年サンデー「名探偵コナン」=先週の水曜日に推理した通り、どうもあの暗号「teiu」の示す真意は「かのう」そんな展開に。実際に「かのう」氏が登場しましたし。(ダブル・サプライズ<二度目のどんでん返し>がなければ……)
最近の読書=加賀美雅之著「監獄島」(上)ようやく読了。
全521頁中、300頁頃から急に面白くなってきました!ようやく拍車が掛かる!(幾つかのトリックは読めたもの、もしや、これを企てたのは……では?と、すでに臭い始める。後、鍵の論理は、あの人が持てば例え三人に分けようとも、開けられるのでは?とか、色々思うものの、加賀美さんも「名探偵コナン」に挑戦しているのか、コナン的な密室の謎と構図が登場して、わかる、わかると腕組み。でも土台からのチョイス以上に(トリックの)創造の領域をもっと広げて頂きたいと思ってはいます!以上。下巻に期待!)感想は下巻読破後に!
ちなみに、今日の読了本は、数年前、23歳最年少にて第120回芥川賞を受賞した平野啓一郎著「日蝕」です!
「異形コレクション」を購入。
「終夜図書館」(早見裕司)まで読みましたが、現在のところ「いちばん欲しいもの」(石田一)と「箱」(冲方丁)と「終夜図書館」(早見裕司)が私的ヒット!
「陰陽師」はアイデアが面白いし論理もなかなか秀逸!雰囲気(気持ち悪いけど)は「愛書家倶楽部」(北原尚彦)がマックス?「終夜図書館」(早見裕司)は、物理的なオチがイマイチながらメンタル的なオチにビビッド!
何より、アイデアが面白いですね!でも、こんな図書館が本当にあったら凄い!?
ふと「坐して百城を擁す」という中国の故事を思い出す。
「出世競争や金もうけに興味のない者にとっては、高位高官になるよりも、万巻の書物を蔵して、書物に囲まれた自分の世界に身を置き、そこで生きることこそ、いかなる世俗的価値にもまさる王国のようなものだ」そんな意味の故事。
「終夜図書館」は、書物に囲まれる(読者の)話と言うよりは、作家側の視点に立った物語なので、論点がズレますが、本の虫という点で喚起。
だけど、ここに登場する作家の選択には胸を打たれました!
閉じた世界で何不自由なく本を書いていく道よりも、厳しい読者に向き合い、這いずってまでも生の読者に良作を与えようとする早見さんのスタンス!志の高さを感じました!(読後感の爽快なオチです!)
しかし、本ってやっぱり、素晴らしいものですね!
実は「坐して百城を擁す」という題の安楽椅子探偵ものをいつか書こうと思っていただけに、改めてこの故事の言葉の奥ゆかしさに、感慨!
B・C・スペリオール「こまねずみ常次郎」=常次郎は独立したもの、初の従業員「奥野細道」が問題児だったばっかりに困る常次郎。しかし、色仕掛けで酒を飲ませた後、寝込んだ隙に(借金の支払い額を記載した)領収書の数字を書き換える領収書詐欺なんて、こんな手を今頃やる人などいない気も……(一昔前のドラマでは多かったですが)すぐ足が付くでしょうし……。
イヴニング「極悪がんぼ」=確かに土地は高いし、店舗を借りたくてもその主がその土地を退くことはない。よって資金はあっても目をつけた土地で商売することはほぼ不可能。と、これは先祖問題にも関わる問題ですが……強い先祖の子孫はやはり受け継ぐ物も多い現実。だとしても、こんな禁じ手を使うのはどうかと。しかし、やはり生活圏内に存在する悪ほど根の深いものはないのかも。
恐怖新聞は身近にある。ということか。
・「日蝕」 平野啓一郎読了。書評荘UP!
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